斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

戯言

2021年06月03日 | 日記

ごはん作ってる時に考えてた事。

いきものがかりの曲がラジオで掛かってた。

いきものがかりの歌は、どんな状況にもよく充てはまり、誰の心にも寄り添う。

「今日から、ここから」ここからスタート。これを機に動いていく。変わり始める。歩み始める。どうにかなってしまう。

 

先日、與布仁老師(モンゴル人歌手)の訃報の動画に出くわしました。

 

與布仁老師は2018年に既に亡くなっていましたが、先日亡くなられたかの様に錯覚して、悲し過ぎてしばらくの間、曲をきく事が出来なかった。

 

時が経ても、その事情に出くわしたときに、その只中に直面するんだ...と感じました。

 

何もしないでいると、色々考えちゃうので何かしてた方がいい。

 

こんなときには無性に臓器とかを捌きたくなる。

 

臓物カレーを食べる予定なので臓物を調理した。

 

臓器を触っていると何でか知んないけど、

救われる。癒される。

レバーをひとおもいに裁断する。

癒される。

 

犠牲になるのはいつも動物。人間はいつも動物によって救われる。

 

食材を乱雑に扱ってはいけない。最善に調理すべき...

 


 

色々考えたくはないけど、

ステップ=ロード(草原の道)は未だに抗争と戦乱が続いている。

スキタイ人や韃靼人が、野人との抗争の果てに無抵抗な者への暴虐の限りを尽くしていた。

 

つい50年程前にそれが起きていた...という。

 

ステップ=ロードという世界はまだ実在していて、そんな宿命なんだと色々感じました。

 

50年前ではなく、今起きたばっかの事に思えて仕方ない。

 

古来からステップで生きてきた人々は、そんな複雑な想いやら体験をしながら動物を捌き臓物を捌き、持ち堪えていたのかなと...

 

そして身を持ち直し自分のすべき事を全うしようと努めていた。

 

自分とは直接関係ある事ではないので、深く関わるべきではない。のは承知しているつもりでいる。

そんなものに足を引っ張られてる場合じゃないと自分に言い聞かせてはいる...

だから私の気分が沈むのはおかしい。

 


 

ステップロードという世界はこれを機にどう歩み始めるのか?

 

自分とは全く無関係だがいきものがかりの

「今日から、ここから」という曲が沁みた。

 

ティッピーさんが今朝のニュースとリンクするとか言い出すから、ステップロード関係かと思いきや、いきもがかりのニュースだったという。

 

スキタイ人、韃靼人というのは比喩だけど、これはある意味人間だからしょうがないという考えがよぎった。

 

西側が正義で東側が人権蹂躙をする悪なのではなくて、西側も東側も人間だからしょうがない。どっちが善でどっちが悪という考えから、これを機に世界の考え方が変わって行くような気がした。

 

日本人はこれまでは西側につかされていたが、これからは大陸側につくのか、欧米側につくのか個人で選択出来る時代が来るように思えた。

 

それでも何でかよくわかんないけど、気分が晴れない。自分と関係ないのに。

 

コメント
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