地名に“金”が入るバス停を発見。これも蒙古と関連ある?
厚木市黄金原(こがねばら)
これぞАлтан Талбар(アルタンタルバル)
黄金(Алтан) 原(Талбар)
Талбарというのは”田“というよりも”原野“の方がニュアンスがとても近い
黄金原という地名はなく、バス停のみ存在する。
その隣のバス停は小金(こがね)という。
現在の黄金原と小金の住所は緑ヶ丘である。
それらは昔の地名なのだろうか?
もしかしたらここも金田と同じように蒙古集落だったのかも知れない。
黄金原と金田は意味が全く同じような気がする。
がしかし、金田は元々は”田“ではなく”金なんとか“という、別の名前の集落であった。
江戸中期に幕藩体制という、人間が人間を徹底管理、支配するという治世が始まり”金なんとか“集落に大量の倭人を強制移住させ、蒙古人たちと強制的に政略結婚をさせて倭人化し、それらを田に縛りつけ農業従事させ、遊牧民の主要な宿営拠点のひとつを田地に変えた結果が金田の由来だ。
日本全国の異民族集落は、倭人化をさせられた。
黄金原はそれとは違うニュアンス。
天下統一を果たした徳川家はその後人民の奴隷化、家畜化を徹底した。
厚木市黄金原の地名の由来をググったが、何もヒットしなかった。
おそらく黄金原、元々は小金原。小金というバス停もある。
小金が黄金になった。
小金の範囲が広大でバス停を2個使う距離なので、もうひとつを”黄金原“にした印象である。
厚木市小金の地名の由来もググったが、何もヒットせず。
勝手に類推すると、砂金か砂鉄か、製鉄、冶金、鍛治、鉄工に関するものだろうか?
黄金原、小金、共に(カネ)と読むので砂金の可能性がある。それか蒙古に多い“アルタン”という地名の名残り。カネとは、お金や金(きん)のようにそれだけで価値のあるものを指す。
これが(カナ)であれば砂鉄、製鉄、冶金、鍛治、鉄工の可能性がある。
仮に金田がカネダではなくKanadaと読むのであれば、製鉄に関する所が多い(産鉄)
金田と書いてKanadaと読む人は製鉄奴隷の後裔であると金田の地名・姓の由来に書いてあった。
読みがなひとつで意味が変わる。
しかし、稀にカネと読んでもカナと同じく産鉄である場合もある。
黄金原のバス停を降りて少し歩いた所に“武部鉄工所”があった。
黄金原バス停付近は工場が沢山ある。
鉄工所は工場に便乗して建てたものなのか、古来より鉄工業が盛んな場所で武部鉄工所が現存するのか?
小金、黄金原の由来は鉄工業からきているという仮説が立つ。
そこら辺を実踏して、天神杜を探したが見当たらなかった。
自然の川(恩曽川)が流れていて、川沿いを実踏。川沿いは田地である。
川のほとりに、墳丘のような盛り土があり、石で囲われ、天辺に木が植えられている一画があった。
何の文字表記も無かった。何なのか全くわからない。
金田(金鎧)集落のようなテングリ祭祀場なのか、後期古墳時代の円墳なのか何も解らない。
その後も川沿いの田地を実踏。目立つところにテングリ祭祀場はないか探したが見当たらなかった。
鉄工業の可能性が濃い気がした。
でも実際、鉄工業なのか?蒙古集落なのか全く解らない。
*金鎧のようにテングリ祭祀場に関する、モンゴル帝国時代そのままの神観、信仰観を子々孫々に口承で伝えられ、立札に神観、信仰観を記しているという場所は無かった。
金鎧: 以降金田を金鎧とする。
“田”という漢字は農耕民の土地を現し、金鎧集落民の誇りを損なうものなので以降“鎧”とする。
金鎧のようなケースは全国的にも大変珍しいのであろう。
例えテングリ祭祀場があっても何の表記もなければ、全く解らない。
テングリ祭祀場は、通常ひとつの共同体にひとつである。道理でここにもある筈はない。
黄金原は金鎧とは違い“黄金原”からは金帳汗国を連想することが出来ないし、空目する事も無かった。
金鎧集落のような、砂漠みたいで人心荒い感じは全く無かった。
集落の人間がその土地を創り出すものなのか?と思える。緑地であっても砂漠出身の民が宿営、入植すれば砂漠のようになる。
昔の漢人がよく言ったように、内蒙古の砂漠化は“過剰放牧”による。を連想してしまったが、
それは荒唐無稽な言いがかりである。
遊牧民は元来砂漠のような土地に住む。内蒙古地域は始めから砂漠地帯であった。
これ以降の内容は尋常な人間であるほど理解し難い為、神や仏などを否定する者は読まなくても良い。
金鎧のテングリ祭祀場に関わった事が原因かどうか良く解らないが蒙古斑(仮)とスフバートルコーヒー(仮)と縁が切れてしまった。
無関係だと思うが、完全に無関係とも思えない。
聞き取った神はテングリなのか、アルタンジャルガル神なのか、ダルハチン神なのか、よく解らないが、私が気にくわない国を見抜かれてるのか?
出来れば取り上げたくもない非常に気に食わない国に関わるであろうバンドを終わりに追い込んだり、気に食わない国の都市名の店を遠ざけたりされているような気がした。
スフバートルコーヒー(仮)は、(仮)というように全くを持って正式な名称ではない。
スフバートルコーヒーの本名はバンクーバー・コーヒーという。
バンクーバーという店名が気に食わなかったが、店自体はとても素晴らしかった。これのどこがバンクーバーと関係があるのか目を疑う店舗名だった。
そのため、素晴らしい英雄の名前を自分が勝手につけてスフバートルコーヒーと呼んでいる。
バンドについていえば、解散を惜しむ人はめちゃめちゃ多く、自分だけではない。自分はニワカに過ぎない。しかしそのような意味では同志である。
某都市名店も、沢山の人に惜しまれながら移転していった。自分は常連でもヘビーユーザーでもなく、たまにしか行かない客であった。しかしそのような意味では同志であった。
その2つが被っているのは自分だけかもしれない。
金鎧に関わると暫くは蒙古タンメンにありつけないという不思議な現象が続いたが、これも無関係だと思うが、完全に無関係とも思えない。
蒙古タンメンが会社にある自販機で3つ(満タン)であっても売り切れ表示が出たりと、奇妙な怪奇現象が続いた。
強制的に買えないように工作されている気もした。ダルハチン神に力づくでされているのか。
知らんけど。
そのうち蒙古タンメンが自販機から消え、別の商品に変わってしまった。
神にそんな強制力はないだろう?と思った。
モンゴル人は蒙古タンメンの存在が気に食わないという話はよく聞く。金鎧神も蒙古タンメンを非常に気に食わないのかも知れない。
金鎧神は遊牧神だ。モンゴル帝国時代を経た神である。モンゴル帝国の人々と共にあった。遊牧民が信仰してきた神だからどういう性質の神なのかよく考えてみる必要がある。と思った。
先日、ロシア・ウクライナ戦争の件で非常に胸糞の悪い事件を聞き、金鎧テングリ祭祀場にロシア、ウクライナ問題について持って行き場のない想いを伝えに行った。そして世界平和を祈った。
金鎧神にとって、ロシア、ウクライナ問題よりも祈祷者の気に食わない国の方が目について仕方無かったのか?
祈祷者の気に食わない国の奴を遠ざける事の方が優先事項だと思ったのか知らんけど、その国の奴らは遠ざかってしまった。
それがバンクーバーと蒙古斑(仮)
モンゴル帝国、チンギスハーンは、気に食わない国を次々と潰して拡大した。
そういう指導者を導いた神だからなのか?祈祷者が今祈っている内容よりも、祈祷者が気に食わない国などに過敏に反応してしまったのかも知れない。そういうものにいち早く気づきやすい性質なのかも知れない。
気に食わない奴を遠ざける。心の安泰。という意味で個人的な平和は保障される。
でも自分は蒙古斑(仮)を非常に気に食わない国の奴だとは微塵も思っていない。それは此れからも変わる事はない。
蒙古斑(仮)はトゥバ系モンゴル籍の人間が牛耳るバンドだと思っている。昔とは違い、現在は気に食わない国の奴らはトゥバ人に隷属している。
蒙古斑(仮)を2度捨てたりはしない。
遊牧民は、自分が気に食わない相手の人生などぶっ壊しても構わない。潰す事を優先する。
そういう神である可能性が高い。
さすがシャーマニズムの神である。
ただ、バンクーバーにしろ蒙古斑(仮)にしろ殺すところまでは行かなかった。
でも自分は、自分の推しが例え非常に気に食わない国の奴であっても構わない。
推しは推し。国は国。分けて考えている。推しがもし気に食わない国の奴という事柄が事実だとしても、それを信じない。絶対に信じてはならない。
推しのカフェが気に食わない国の都市名だったとしても、店名と店は関係ないと考えている。
非常に複雑で、沢山の矛盾を孕むことになるが、極力それを見ない。たまにその情報が顔を覗かせ苦痛になる事はあるが、早く忘れるように努力をする。
もうひとつ考えられるのは、金鎧神自体が気に食わない存在を遠ざけたという事。
スフバートルコーヒー(仮)についていえば“バートル”とは英雄を意味する。金鎧神にしてみれば、”英雄“というのが”チンギス・ハーン“以外に存在するという事が非常に気に食わなかった。
蒙古斑(仮)についていえば、金鎧神と金鎧人からすれば気に食わないトゥバ人の英雄の存在。
トゥバ人の英雄を頂点とするバンドを解散に追い込んだ。
考え得るのはそれだけ。テングリ祭祀場と関わった事とは全て無関係だったのかも知れない。
テングリ祭祀場に相模川の河原の丸石を備えたのは2度。一度目は挨拶と世界平和で二度目は日本と大陸の繋がりが強化する事を願った。
金鎧テングリ祭祀場は、実際に日本と大陸の繋がりの拠点だと信じている。金鎧人はディアスポラ歴が400-500年ある。日本の土を初めて踏んでから約400年以上経つ。幕藩体制や鎖国以前は、彼らの宗主国とのやり取りはあったのだろうか?
テングリ祭祀場から相模川の河原まではとても近いが、河原に辿り着く事が困難を極める。テングリ信仰は異民族信仰なので、それを知る幕府か新政府から地味な嫌がらせを受けているようにも取れる。テングリ祭祀場と河原の間に意図的に、様々な障害物が設けられている。
農民の畑とか、背の高い草で作られた迷路のような細い危険な路。河原から、広いマトモな道に直通する道や階段などは一切存在せず、一度細い路に迷い込んだらどうやって戻れば良いのか分からなくなる仕組みのようだ。
4月の頃より草の背丈が伸び、一層困難になった。
テングリ祭り(通称、オボー祭り)は宗主国であるモンゴルでは夏の終わりにやると言われる。
夏の終わり。当時では多分8月下旬ぐらいだと思うが、その時期に合わせて障害物として植えた草の背丈がピークに達するように計算されているかのようだ。
多分この薮や草は人為的に植えられている。
オボー祭りにはたくさんの丸石が供えられる。簡単に河原の石が持って来られないように妨害したらしい。
先日、上郷水管橋の撮影に行った際、橋の袂のベストスポットで撮る為に厚木市金鎧のその河原に行った。
以前行った時のように、河原の小路の山のような不法投棄は全て片付いていた。
憶測の域は出られないが良心的な清掃工場の人が見かねて引き取ったのだと思われる。
この河川敷は尋常とは全く違う。
草の中の危険な路を延々迷っているとき、幕藩体制以降の金鎧人の気持ちの一部を追体験出来る。
小路にはバイクの轍があり、非常に危険である。そもそもこの集落は治安が悪い。
このような危険地帯には、危険な暑さの日など悪い奴が出歩く可能性の少ない日を選んで足を運ぶしかなかった。
”人は馬上で過ごす時間の方が長い…“
(モンゴルの諺)
そんな言葉がよぎる。人ひとりしか通れない小路にバイクか。この集落民なのか、外部から来た人なのか?
この土地の記憶なのか?徒歩人より馬上の人(バイク上の人)を呼び寄せる。
その日は橋の用事で金鎧に来たのでテングリ祭祀場に寄る予定は無かったが、気になったので立ち寄る。
ブログでテングリ祭祀場の事を書き過ぎたので天神杜の説明書きが撤去されてしまったのではないか気になったのだ。
天神杜の説明は依然、撤去されていなかった。
驚くべき事実が判明。
天神杜の範囲が円形に形どられている。円の内側は、長年、円形に重い物が置いてあったかのように、土の色が変色している。
円錐形の石堆積が長年置かれていたかのように。
驚いたのは、円形の内側の土に雑草の一本も生えていなかった。草を毟りとった跡はない。円の外には草が生い茂っていた。
円の内側に草が一本もないという事は、この円の下には石堆積の礎が埋まっているのでは!!!
これは単なる私の妄想ではなく…..
本物のチベット形石堆積オボーが、ここに実在していた!!!
凄い!!ビリビリビリビリする!!!
いや”----- ここに遊牧帝国の名残りが本当にあった😱
円の外の草は人為的に植えられた草のようであった。
皮肉にもそれは、金鎧相模川の河原に人為的に植えられている草と同じ種類の草だった。
ここの住民が皮肉を込めて人為的に植えたのだろう。
金鎧集落についての記事↓
金鎧集落について 結論(後編) - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる
スフバートルコーヒー(仮)について↓
スフバートルコーヒーの移転💔 - 斑爾里(カルガリー)ちゃんねる