かんちがい

、かも知れないけど、思いついたことを書いていく、ヤマサキタカシの日記です。

14.現在の状況ととりあえずまとめ

2018年10月21日 | 舌がん治療
今このブログを書いているのは、2018年10月の下旬なので、治療をしてからおよそ1年半が経過していることになります。


前回のブログで、治療後3ヶ月くらいすると、強い痛みはなくなったということを書きました。

その後、3ヶ月おきくらいに、かなり強い痛みがぶり返したりしました。
もう大丈夫かな?と思って歌の練習を再開した矢先、ということが多かったので、精神的に結構きついものがありました。

それも、1年くらい経つと、強い痛みが続く、ということはなくなってきました。
たまにあっても、一晩くらいでおさまるような感じです。

ただ、右側の舌の裏に、常に、小さい口内炎がある感じなのは、なかなか消えないです。
歌ったり、しゃべったり、食べたりする分には痛くはありませんが、違和感がずっと残っているというのは、あまり気持ちがいいものではないです。

主治医の話では、いずれそれもおさまるだろうとの話ではありますが…


効くのかはわかりませんが、個人的にやっていることとしては、口内炎用のビタミン剤を、毎晩一錠ずつ飲んでいます。

あとは、妹が以前ニュージーランドに留学していたことがあるのですが、マヌカハニーというハチミツの一種が、口内炎によく使われている、ということなので、それを痛いところに塗っています。難点としては、日本で買うと結構高いことですね…

また、ペットボトルに、乾燥昆布を入れて水を入れただけ、というものを飲むと口内炎に効くという話を母が聞いてきて、それに母がアレンジを加えてアロエを突っ込んだものを、痛みが強い時・強くなりそうな時には飲んでいます。

どれも、劇的に効くわけではないので、効果がどの程度なのか分かりませんが、悪くなってはいないので、ボチボチと続けています。ビタミン剤は、そろそろ今あるのがなくなりそうなので、これを機に止めてみようかとも思っています。


それでも、以前はいつ痛くなるかわからないので、ライブの予定は決められず、2、3日前にお話をいただいたものに出演させていただく、というような感じでしたが、最近ではある程度予定を立てられるようにはなってきました。

病院に関しては、治療後1年経った頃から、2ヶ月に一度の通院となりました。
定期的に超音波検査などをやってもらっていますが、今のところは、再発していないということです。
ただし、治療後2年間に再発する率が高い、ということで、あと半年はまだまだ気が抜けないかな、という感じです。


最後に、今の段階でのまとめを書きたいと思います。

小線源放射線治療を選んで良かったのかどうか、ですが、今の段階ではなんとも言えません。
私の場合はどうしても舌を切りたくなかった、というのがあるので、後悔はしていませんが、他の人に自信を持って薦められるわけではありません。
治療が結構大変だった、というのもありますが、ここまで副作用の口内炎が長引くとは思っていませんでした。
3ヶ月くらいで元通りになるかと思っていたので、ちょっと思っていたのと違いました。
もちろん、症状には個人差があるはずなので、あくまでも私の場合は、ですが…

また今回、私としては痛み止めをなるべく飲まないようにしていました。
しっかり飲んでいれば、いろいろともっと楽だったのかもしれません。ただ、そうした場合、内臓には負担がかかっていたとは思います。もちろん、私は医療の専門教育を受けてはいませんし、なんとも言えません。


また、最初はがん治療をしようとは思っておらず、いろいろ考えた上、がん治療を受けたわけですが、受けてみて思ったことは、体力というか、生命力を削られてしまったような気がしました。

もし私が次再発してしまったとしたら、今度は治療をしないという選択をするのではないかと思います。
再発した部位や程度にもよりますし、宣言とかではなく、今現在の私の気持ちとしては、です。
人は3日経てば別人と思え、なんていうことも聞きますので、考えが変わることもあると思います。

しかし、今回のことで、それまで太り気味だった体重も標準まで落ち、D判定だった肝臓も、この前の健康診断でA判定まで戻りました。(腎臓がC判定のままでしたが…)
これはこれで、体のことを見直す良い機会だったとは思います。


ただ、なんといっても、再発しない努力を続けていこう、とは思っています。


というわけで、一旦、ここで私のがん治療記は、終わりにしたいと思います。
1年の節目などに思い出したり、また何か変化があった場合には、書き足していこうと思います。
特に日記等をつけていた訳ではなく、潜在意識としてあまり思い出したくなかったのか、なかなか筆が進まない時期もあり、最後の方は駆け足になってしまったところもありますので、これまで書いた分について、何か他に思い出したことがあれば、予告なしに加筆することもあるかもしれませんが、ご了承ください。

書いてきたことは、あくまでも私の場合の話です。
もしガンになってしまった方が読んでくださっているなら、その方の参考になれば幸いですが、あくまでも参考程度にお願いいたします。



今後はもうちょっと、映画評とか、くだらない思いついたことなどについても書いていこうと思っています。




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13.副作用の口内炎

2018年09月24日 | 舌がん治療
退院後しばらくは、それほど痛みもなく、刺激物は止めるように言われていましたが、好きなものを食べられました。
仕事も、もう一週間休みをもらっていたので、ゆっくりできました。


しかし、退院後一週間ほど経つと、治療した部分が、ヨーグルトをまぶしたように真っ白なもので覆われ、かなりの痛みを感じるようになりました。
セカンドオピニオンのときにも言われていましたが、人生かつて出来たことがないほどの、バカでかい口内炎です。舌の右半分の裏側全部が口内炎です。

主治医の話では、いちど付近の細胞を放射線で全て殺して、その後本来の細胞が再生しようとしているために起こるとのことでした。



固形物は全く食べられない感じです。
柔らかいものでも、食べるのはかなり大変です。

朝は母親が果物のスムージーを作ってくれたのでそれを毎朝飲んでいました。
しかし、コップに2杯程度のたいした量ではありませんでしたが、20分くらいかけて必死な思いで飲まないといけませんでした。

昼は、知り合いの方に教えてもらった、メイバランスという液体の栄養食を主に飲んでいました。
これは実は病院で鼻からチューブを入れて飲んでいた栄養食と同じものだったのですが、市販されているとは思いもよらなかったので、教えてもらって助かりました。
ただ、入院中に鼻から入れる分には味など関係ないので、一種類だけでしたが、実際には味の種類がいろいろあり、まぁ全体的にそれほど美味しいものではないのですが(失礼)、コーンスープ味はまぁまぁだと個人的には思いました。

それだけだとお腹が足りないのと、栄養を多少補うためにゼリー食をもう一本飲んでいました。

メイバランスは割合サラッとした液体なので、それほど苦労はせず飲むことができました。


夜は、母親が私の分だけおじやにしてくれたので、それを食べていました。

おじやは、スムージーを飲むよりももっと大変なので、痛み止めが飲んだ後30分くらいで効いてくるので、食事の30分ほど前に飲んでおき、痛み止めが効いてきたら食べる、という感じにしていました。
それでもかなり痛みがあり食べるのには苦労しましたが、栄養のためと思って食べていました。


スマホのアプリなどを使って、1日1600kcal ほどは摂るように計算して、野菜ジュースで補ったりとか、飲むヨーグルトを飲んだりとかしていました。
あまりお腹が空いてひもじかった記憶はありません。ただ食べるのが大変でした。


痛み止めは、やはりよく効くロキソニンと、効き目の柔らかなカロナールが処方されており、どちらもそれぞれ1日3回飲んでも良いことになっていました。(ちなみに、ロキソニンは効きはいいのですが、胃を痛める恐れもあるため、2種類の処方になっているようです)
しかしやはりあまり痛み止め漬けにはなりたくなかったので、なるべく代わり番こに飲むようにして、仕事中はロキソニンで、家に帰ってきたらカロナールという感じにして、合わせて1日3、4回程度にしていたと思います。

しかし最初、顆粒タイプの痛み止めが処方されており、粒が口に残って舌にあたってこれまた激痛で、飲むのもかなり苦労しました。これは入院中鼻からチューブで薬を入れるのに、顆粒を乳鉢ですり潰したものを水で溶かして鼻から入れるので、顆粒タイプが入院中処方されていたのがそのまま処方されていたらしく、次の薬が処方されるときに先生が気づいて錠剤に変えてくれたので、飲みやすくなりました。


しゃべるのもかなり痛みが伴う感じです。職場ではあまり話さなくてもよい仕事なので、基本的には問題ないのですが、こういうときに限ってしゃべらなくてはいけない仕事・用事が回ってくるもので、そういうのは痛み止めを飲んで乗り越えるか、本当に痛みがひどい時には代わってもらったりしました。

本当に痛みがきつくなってくると、かなり痛み止めに頼らざるをえない感じになりましたが、なるべく回数を減らすようにはしていました。



平行して、体力を戻すために運動しようと、ジョギングなどを始めてみましたが、5日間動かなかったのが効いているのか、かなりきつく感じました。

そこでもう少し体力が戻るまで、陶板浴に通うことにしました。
知り合いの方に大腸がんを患った方がおられるのですが、その方に教えて頂いたところです。

通常のサウナや岩盤浴とは違って、あまり湿度を上げないため、汗をあまりかかないので、長く入っていられるので、体温を上げた方が良いと言われるガンには良いとのことでした。

そこに通っただけでガンが治った人もいるとの話でしたが、個人的な意見としては人それぞれだと思っています。

スタッフさんもガン予防などに熱心で、「牛乳は飲まない方がいいですよ!」など最新のガン予防知識を教えて下さるのですが、まぁ正しいのかもしれませんが、十年後とかにはコロッと学説が変わってたりするので、個人的にはあまり気にしないようにしているので、ちょっと面倒くさく感じるところもありました。

コーヒーなんかも一昔前はガンの原因の一つに挙げられていたと思いますが、今では逆に体にいいという学者さんもいるようで、個人的には、「過ぎたるは及ばざるが如し」だと思っています。なんでも過ぎてしまえば、ガンの要因になってしまうと思っています。体の代謝・自浄機能を越えていろいろ物質を取り込んでしまうと、ガン化の要因になるのではないかと勝手に思っています。
私はちょっとコーヒーは普段飲みすぎかなと思うのですが、酒を我慢しているのでコーヒーくらいは、という感じでなかなか自制は難しいですね。

話がずれましたが、陶板浴そのものは気持ち良かったですし、自家製の発酵ジュースを出して下さるのですが、これがめちゃめちゃ酸っぱくて好みが分かれるとのことでしたが、私は好きでそれを楽しみに通っていたようなところもありました。

しばらくは週2回くらいのペースで通っていましたが、回数券が10回分だったので、それを使い切ってってからは、たまに行く程度になりました。


ひと月ちょっと経って、ゴールデンウィークの頃には、痛みはまだ結構あるものの、それなりに食べられるようになってきました。
妹夫婦が遊びに来て、日帰りで長野に行った時に、昼に入ったそば屋で、わさびの入ってない温そばか何かを食べたような記憶があります。


6月頃には、かなり痛みもおさまって、先に書いたように炎症のためか舌がヨーグルトをまぶしたように右側半分が真っ白になっていたとことも、綺麗になっていたような覚えがあります。


病院の方は、はじめは一週間、その後二週間に一回通っていました。同じ病院の耳鼻咽喉科の先生を紹介していただいて、耳鼻科と放射線治療科の2つを受診していました。耳鼻咽喉科では、超音波検査や、舌がんになった人は食物のなどの流れから食道がん・胃がんになる確率が高いとのことで胃カメラで検査をしてもらったりしていました。

それも、7月からは1ヶ月に一度の受診になりました。

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12.入院と治療

2018年08月15日 | 舌がん治療
どうにも続きを書く気にならなかったので、1年近く間が空いてしまいました。申し訳ございません。


というわけで、2017年の3月20日(月曜日)からの入院となりました。

実は、ものごごろついてからそれまで入院したことがなかったので、入院生活がどんな感じなのかよくわかっていませんでした。

まぁ舌に針を刺して我慢するだけで、基本的にはヒマなんだろうと、勝手に想像していました。

なので、最近おろそかになっていたパソコンでの音楽制作をやろう、とか、スマホゲームもいっちょインストールしておくか、とか、ちょっとした旅行気分でした。

のちに見事に打ち砕かれるわけですが…



初日は、特に治療の予定は何もありません。静かに音楽を聞いたりして過ごしていました。幼なじみも、ちょうど近くに来たとかで顔を見せてくれました。

病室は、放射線治療を行うので、隔離とかの関係があるのでしょうか、個室でした。トイレも部屋の中についています。感じとしては…留置場と安ホテルの中間、みたいな感じでしょうか?留置場に入ったことはありませんが。
トイレも仕切りが付いてはいましたが、多分これ、後付けだよなぁ、流すスイッチ仕切りの外にあるし…という感じです。

でも、放射線治療のためにその区画は隔離されていて一般の人は入って来ないようになっており、私の他に隣室にも治療中の人はおらず、これ、ギターとか持ってきてもオッケーっだったんじゃね?と、まだまだ余裕な感じでした。


2日目(火曜日)は、まだ準備段階です。
午前中は隣の歯科病院に行き、放射線から顎を保護するスペーサーの調整です。
一度、地元の歯医者で歯ぎしり防止のナイトガードを作ってもらったことがあり、そんな感じかと思っていましたが、もっと5倍くらい?ごっつい感じで、患部の関係か、かなり口の奥まで入る感じでした。

歯科の先生が、「結構奥まであるから、唾が止まらないかもね〜でも患部の位置的にしょうがないんだよね、タオルをいっぱい用意しておいたほうがいいですよ」と言っていて、あ〜それで持ち物に「ティッシュペーパー(多めに)」って書いてあったのか、でも2箱くらい持ってきたから大丈夫だろう、とこの時は軽く考えていました。

しかし、治療が始まったら、このゴッツイのをを5日くらいつけ続けなければいけないのか…と少し憂鬱になりました。途中で外しちゃう人もいるとのことで、気持ちはわかるような気がしますが、放射線による骨髄炎を予防するためにも、辛抱しなくてはなりません。

治療中は口から食事が取れないので、鼻からチューブを通して栄養補給したり、薬を飲んだりすることになります。
実際に治療が始まるのは翌日からですが、慣れておくために前日の昼からチューブを通しての食事となります。
このチューブが、食事自体は難しくないのですが、チューブが入っているという状態が最初はかなり違和感があり、唾を飲み込んだりすると気持ちが悪く、引っこ抜きたい衝動に何度もかられ、ちょっと家に帰りたくなりました。
ただ、寝て次の日に起きると、だいぶ違和感はなくなっていました。


3日目(水曜日)から、治療が始まります。

午前中はゆっくりして、お昼ごろにとうとうイリジウムの針を舌に刺します。
私の場合は舌根の方まで患部が広がっていたので、麻酔を3箇所打たれました。これがやっぱり痛いです。
針はホッチキスの針の長いやつのような、二本の針がつながっている針を三本刺されるのですが、これは麻酔が効いているので痛みはありません。
ただ、刺すまでにマーキングしたりなど、口を最大全開にしたまま、舌を掴まれてぐっと引き出された状態でしばらくいなくてはいけないのが辛かったです。

最後にスペーサーをはめて、終了です。これは治療終了するまで外すことはできません。

落ち着いたら昼食をチューブでとって、少し休憩です。
最初は余裕ですが、やはり、麻酔が切れてくるに従い、じわじわ痛み始め、最終的には激痛です。
痛み止めは処方されているので、痛み止めを投入です。

記憶ではその日の夕方ごろだったような気がするのですが、もしかしたら翌日だったかもしれません、針がちゃんと刺さっているか確認するためのレントゲン撮影がありました。
撮影時に絶対舌を動かさないでください、と言われるのですが、唾がスペーサーの関係か止まらない感じで、ちょっと窒息しそうな感じで結構きつかったです。

この撮影を元に何かを計算するとのことで、その結果、針を抜くのは27日(月曜日)の早朝、ということになりました。5日間の辛抱です。
針はちゃんと正確に刺さっているとのことでした。



いろいろ大変だったことはありますが、まずは、痛みでしょうか。
針が動いてしまうこともあり、話すことは禁止されているのですが、そもそも痛くてしゃべれないので、看護師さんや先生とは筆談になります。それは入院の案内に書いてあったので、母親が100円ショップで小さいホワイトボードを買ってきてくれていたので、それが役に立ちました。
先生の話では最後の方はしゃべれるくらい痛みが落ち着く人もいるらしいのですが、私の場合は最後まで痛いままでした。

痛み止めは処方されているのですが、それが切れてくると、信じられないほど痛みます。
ただし、痛み止めのよく効くやつ(○キソニン)は、あまり頻繁に使わないほうが良いらしく、もう一つの効き目がやわらかなものと代わり番こに、という感じで処方されていました。
ナースコールで呼び出してドアに「痛み止めをください」のサインを出しておけばもらえるので、我慢しないでください、と看護師さんからは言われていたのですが、あまり痛み止め漬けになりたくなかったのもあり、痛みが出始めるのを待ってから痛み止めをもらっていました。なので、結構痛みに震えながらチューブから入れる、みたいなことを繰り返していました。今思えばもうちょっと早めにもらっておいても良かったかもしれません。

眠れない時は注射の痛み止めと睡眠剤を出します、と言われていたのですが、それも結局もらいませんでした。


また、唾が止まらないことが大変でした。
歯科の先生の予告通り、信じられないほど唾が出て止まりませんでした。
しかし、飲み込もうにも、激痛が走るので飲み込めません。

痰を吸引するための装置がベッドも枕元に取り付けられており、使い方は入院当初に習っていたので、それで唾を吸引するのですが、なんかそれもだんだん面倒になっていきます。また、ベッドのすぐ脇に洗面台があるのですが、唾が口に溜まる度に立って洗面台に吐き出す、というのも面倒です。下手したら5分に一回くらいのペースになるので…

たまたま、茶碗くらいのサイズのタッパーみたいなものを100円ショップで購入して持ってきていました。これは、特に言われてたわけではないのですが、スペーサーを歯科で調整した後、自分で保管して置かなくてはいけないのかな、と勝手に想像して持ってきていました。結局先生の方で保管してくれていたので必要なかったのですが、これに唾をためて、たまってきたら捨てる、ということに使えたので、意外と役に立ちました。

眠るのにも一苦労です。普通に横になって寝ると、寝たと思った頃に唾が気管に入ったりして、熟睡できません。もちろん咳き込むと激痛が走ります。
うつ伏せに寝て、ベッドにタオルを敷きまくって口から唾がだだ漏れ状態で寝ようと試みましたが、どうもすぐ目が覚めてしまいます。
治療中は部屋から出られないので、運動不足で疲れてないこともあると思いますが。
前述の睡眠剤をもらわなかったのも、起きたらベッドがビショビショ、というのが嫌だったのもあると思います。

というわけで、逆に昼間特に何をしなくてはいけないというわけではないので、夜・昼関係なく、眠くなってきたら、ベッドのリクライニングで45度くらいにして、胸のあたりにタオルを巻いておいて、ウトウトする、ということに落ち着きました。


続いて大変だったのは、痰が止まらないことでした。
よく理屈は分からないのですが、鼻からチューブを入れている関係で、痰を出やすくする薬が処方されており、そのためかどうなのか、痰がなかなか切れない状態が最後まで続きました。

普段は意識していないのですが、私の場合、痰を切る動作と唾を飲み込む動作が一連の流れになっており、唾を飲み込むのに激痛が伴う以上、なかなか上手くできません。
ふと無意識に痰を切って、はずみで唾を飲み込んで、痛みに悶える、とか何回かありました。
前述の痰の吸引器も、やってみましたが、なかなか素人には喉の奥の方の痰は吸引できませんでした。

しだいにぜんそくみたいになってきて、咳が止まらなくなってきました。これまた咳をすると舌がちぎれるんじゃないかというくらいの激痛が走るので、咳を我慢するようにしていましたが、最後の2日ほどはお願いして咳止めを出してもらいました。

入院中、スクワットくらいやって体力を落とさないようにしよう、と入院前は思っていたのですが、運動しようとすると咳が出てしまうので、ストレッチくらいしか結局できませんでした。

喉も痛かったりして風邪をひいていたのかもしれませんが、退院後は全く風邪の症状がなくなったので、放射線なり薬なりの影響だったのかもしれません。専門家ではないのではっきりとは言えませんが。


というわけでまとめると、痛み、唾、痰、咳がかなり辛かったです。


あとは、大変ではなかったですが、便通が少なくなりました。食べ物が鼻から入れる液体なので、そのせいもあるのかもしれませんが、普段便通の良い私としては、あまり気分の良いものではありませんでした。


入院前あれこれウキウキとたくさん持ち込んだものですが、結局頭を使ったりするのはできませんでした。結局のところ、地上波のテレビを見ていることが一番多かったかもしれません。病院のテレビはお金がかかるのと、寝ながら見るのが難しい位置に設置されていたので、スマホのワンセグで見ていました。ちょうど”爆弾”と呼ばれたあの人の国会証人喚問をやってましたっけ。


放射線のため隔離されているものの、面会は短時間であれば許可されています。ただし面会者は、金属板のついたての上から顔だけ出してしゃべるような形になります。しゃべれなくなって筆談になることだし、家族にはお見舞い来なくていいよ、と言っていたのですが、結局母親は毎日来てくれました。誰も来ないと思っていたので、下着を7日分用意してきたのですが、来てくれるならそんなにいらなかったのになぁ、というのは半分冗談にしても、心強かったです、ありがとうございました。



というわけで、27日の朝を迎えました。

針を刺すときは、研修の人達でしょうか、ギャラリーが10人くらいいたのですが、抜くときは主治医の先生と、もう一人の先生のお二人だけでした。確か朝7時とかだったような気がしますが、早朝出勤してくださった先生に感謝です。

まずスペーサーを外しましたが、もともとガッチリしているのもありますが、かなり痛みや咳をこらえるのに歯を食いしばっていたので、なかなかとれませんでした。下の前歯がちょっと抜けちゃうんじゃないかと思いました。

そして、針を外すのには、当たり前といえば当たり前ですが、麻酔はありません。肉がふさがろうとしているせいなのか、これまたかなり痛かったです。涙がじんわり出てきました。

それでも、治療はこれで終わりです。
腫れているような感じがして、ろれつが上手く回らない感じでしたが、とりあえずその時は痛みはなくなっていました。
この開放感と言ったらないです。


その日のうちに帰っても良いとのことだったので、昼ごろには帰路につきました。
持ってきたスーツケースは、宅配便で送ることにしました。
これが正解でした。5日間運動などをしなかったせいか、帰り道何回かくら〜っとすることがありました。
体重を測ったら5キロくらい落ちていましたが、体型はあまり変わっていなかったので、筋肉ばかり落ちたのだと思います。

帰ってからは、久々にぐっすりと眠ることができました。


そして、副作用の口内炎との新たな戦いの日々が幕を開けるのでした。



この章の最後に、大変なことばかり書いているようですが、病状が人それぞれなのと同じように、痛みなども人それぞれのようです。私はこうだった、というのを参考までに書いたつもりです。
書ききれていないこともあると思うので、思い出したら加筆しようと思います。

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11.病理検査を再度受ける

2017年09月10日 | 舌がん治療
というわけでセカンドオピニオン先の病院に転院したわけですが、もし転院ということになるならば、前の病院に紹介状を改めて書いてもらうのと一緒に、プレパラートという、前に舌の組織を切り取った時の肉片を保存してあるものを借りてきてほしい、と言われていました。

もう一度改めてこちらの病院でも、病理検査という、細胞のガンの進行度を顕微鏡などで調べたいとのことでした。

前回ちらっと書きましたが実はセカンドオピニオンの時にもやってもらいたい感じだったので、願ったりかなったりでした。
病院によっては「上皮内癌」は癌ではないと診断されることもあるらしいからです。


セカンドピニオンは2017年の1月末でしたが、転院の手続きなどで最初の診療は3月の頭になりました。

もう一度小線源治療を受けるかどうかの確認をされ、さらにセカンドオピニオンを受けたいかどうかも聞かれましたが、もう心は決まっていたので入院の予定をその日に決めてしまいました。

年度末ということで、少し仕事などが落ち着いた5月頃にお願いしようかとも考えましたが、逆に「都合の良い時」というのはあるようでないので、思いついた時がベストタイミングだろうということで、3月の終わりに入院して治療を受けることになりました。


病理検査について、前回から1年経って、もう一度肉片を採り直した方が良いのではないかと質問したところ、見た感じが1年前と変わっていないのであれば、恐らく同じだろうと言われ、別に好んで痛い思いをしたいわけではなかったので、前回のをそのまま使うことにしました。

プレパラートを預け、入院前の血液検査を行ってからその日は終了でした。


放射線による顎の骨へのダメージを軽減するためにスペーサーを作製するので、その型取りに、1週間後あたりに、同じ敷地にある歯科病院を受診してくださいとのことでした。
またその時に放射線治療科にも寄って、入院の詳細を説明しますとのことでした。その頃には病理検査の結果も出ているだろうとのことでした。


最初の回もセカンドオピニオンの時と同じく一人で受診したのですが、はっきりとは言われませんでしたが、「ご家族は何と言ってらっしゃいますか?」とか家族についてあれこれ聞かれ、、もしかしたら心配されているのかな?と思って聞いたところ、やはり次は家族を連れて一緒に話を聞いた方が良いみたいだったので、次回は母にも来てもらうことにしました。


予定の内容は順調に終わったものの、その時にはまだ病理検査の結果は出ていませんでした。
というわけで次は入院になってしまうので、結果は電話で伝えてくださるということになりました。


ドキドキ期待しながら待つこと1週間ほど、入院の3日ほど前にお電話がありました。

結果は期待に反して「上皮癌」ということでした。

「上皮内癌」と「上皮癌」では何が違うのか?という感じですが、この「内」があるかないかでだいぶ意味合いが違ってきます。

「上皮内癌」とは、上皮にとどまっている癌で、浸潤しない、つまり転移しづらい癌です。「がんもどき」なんて言う先生もいるくらいです(その表現については議論が分かれるところのようですが)。

対して「上皮癌」は上皮にある癌というだけで浸潤する可能性のある癌です。転移してもおかしくはない癌ということですね。

これまで自分は「上皮内癌」だから転移しづらいし、しばらくは大丈夫だろうと1年ほど治療をせずに様子を見ていたわけですが、そのまま放っておいたらもしかすると転移していたかもしれないわけです。

ただ私も病理の勉強をしたことがあるわけではないのですが、病理検査というのは結構ライン引きが難しいのかもなぁと思います。
必ずしもどちらかの病院の診断が正しい・間違っているというわけではなくて、非常に微妙なラインに自分がいたんだろうと思っています。それで診断が出るのにも時間がかかったのかな?

もし運悪く癌になってしまったら、ステージ1とかの場合には病理検査は2つ以上の病院で受けた方がいいと思いました。もちろんそれで悩みが増える可能性もあるわけですが(苦笑)

まぁ結果として転移していないし、治療についてもじっくり考えることができたので私の場合にはこれで良かったとは思います。


治療方針としては特に変更ないというこで、これで心置きなく治療に入ることができます。

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10.セカンドオピニオンを受ける

2017年07月16日 | 舌がん治療
というわけで紹介状をもらい、セカンドオピニオンの予約のため書類を送りました。

予約のやり方に、病理検査(細胞を調べて癌の状態を調べること)も受けたい人は、主治医からプレパラートを借りて送ってください、というようなことが書いてありました。

本などを読むと、上皮内癌は病院によっては癌と判断されないこともある、ということが書いてあったりして、受けておこうかとも思いましたが、なんとなく癌じゃないということはないかな、という気がしていたので、(あとプレパラートを借りるのが面倒だったので)今回はやめにしました。


数日後、書類を送った病院から電話がかかってきて、舌がんだと頭頚部外科という耳鼻科のようなところで全体的な話を聞くか、それとも小線源治療について放射線治療科に聞くか、どうしますか?と言われました。

全体的な話も聞きたかったので迷いましたが、一番聞きたいのは小線源治療についてだったので、連絡してきた職員の方と相談の上、放射線治療科でセカンドオピニオンを受けることにしました。



2017年の1月の終わりに予約がとれ、病院に向かいました。
いろいろ質問することを紙に書いて持っていきました。

大抵の方は家族と来られるようで、一人で行くと少し驚かれましたが、案内役の看護婦さんが非常に親身に対応してくださいました。

部屋に通され先生と面会し、45分ほどお話を聞きました。

まずは一通り小線源治療について説明を聞き、その後質問をしていきました。


私の患部は6センチくらいの長さがあるので、イリジウム針という、ホッチキスの針を長く大きくしたようなものを、3本(実際にはそれぞれ2本の針がついているので、針としては6本)を刺し、4、5日間ほどそのままにし、その間は放射線のため隔離室から出られない、ということでした。

副作用としては、治療後、口内炎がその治療した範囲、6センチほどにわたって、人生かつてないほどの大きさの口内炎ができ、それが収まるまでに2か月から3か月かかること。
その時に無理をすると潰瘍になってしまうので、歌の練習などはその間は避けた方が良いこと。

最悪の場合骨が溶けるという骨髄炎も起こりうるが、スペーサーを装着することによって骨髄炎になることはほぼないこと。
「ほぼ」というのは、スペーサーをつけたまま5日間といのは結構大変なので、人によっては外してしまう人もおり、きちんとつけていればまず大丈夫とのこと。

ただ、治療した側の下の歯は抜くと骨髄炎になってしまうため、虫歯になっても抜くことはきないこと。(ただこれ、僕は2、3か月の話かと思っていたら、一生抜かないでくれとのことでした。)

また、放射線を用いるということで、放射線が原因で別の癌になってしまう、というリスクも否定はできないこと。ただし、20年、30年後の話になってくるので、今のところは因果関係ははっきりとは分かっていない、ということ。


完治する割合については(正確な数字を見せてもらったのですがよく覚えておりませんが)、7、8割の方が完治しているということ。
私の場合はまだ進行度が浅いので、もう少し確率は上がると思う、とのことでした。

再発で一番多いのが、2年以内にリンパに転移するということなので、2年は特に気をつけて経過を観察する、ということでした。

もし再発してしまった場合には、今度は手術になってしまうこと。


治療後何ヶ月かの写真を見せてもらったところ、あまりにも綺麗に治っている感じだったので、「白板症も治るんですか?」という問いには、なぜかは分からないけれど、また出てきてしまうことが多いということ。でも癌細胞は死んでいるということでした。

また、「今しばらく様子を見て、もう少し癌が大きくなってから治療する、というのはどうですか?小線源治療にベストなタイミングとかってあるんですか?」という問いには、やはり早めに治療した方が効果が大きいということ。

また気になるお代についてですが、健康保険が適用されるので、入院費込みで30万円前後ということでした。また私はそれまで知らなかったのですが、健康保険には高額医療の減免制度があり、それについて説明した資料も頂きました。


一通り話を聞き、「転院される場合にはまた改めて紹介状を書いてもらってください」ということで終了となりましたが、ほぼ既に私の中では「小線源治療を受けよう」ということで気持ちがまとまっていました。


というわけで主治医に転院したい旨を告げ、お世話になったお礼を言って、紹介状を書いてもらい、セカンドオピニオンを受けた都内の病院に通院することになりました。

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