令和6年5月5日(日)に東京の両国国技館で開催された「風賢央 新十両昇進 並び 押尾川部屋創設祝賀会」に出席してきた。
風賢央は、小学5年生から中学2年生の9月に野村中学校に転校(相撲留学)するまでの約3年間、春日館相撲道場で私の指導の下、稽古に励んだ相撲の教え子です。
祝賀会の当日の朝、松山空港から飛行機で羽田空港へ向かった。
羽田空港 から電車 を乗り継いで両国駅へ行き、両国国技館の地下にある大広間で行われる祝賀会会場に到着。
押尾川親方と風賢央 厳太 関(以下、厳太と敬称省略)が、祝賀会会場の入り口で出席者を迎えてくれた。
厳太は、関取になると許される「大銀杏」を頭に結い、羽織袴の晴れ姿。
大銀杏を結った髪形を見て、厳太が関取になったのだという実感がわいた。
会の司会進行は、NHKの大相撲放送、スポーツ中継などでアナウンサーとして活躍された刈谷富士雄さんが務めてくださった。
中央大学相撲部の先輩、後輩も多数出席してくれていた。
祝賀会終了後は、中大相撲部の後輩の中尾君のジンギスカン料理の店で中大相撲部OBが集まって、二次会を行い、お酒を飲みながら、ひさしぶりの再会を祝った。
祝賀会が終わった後は、両国のホテルで一泊。
▲ 風賢央関が「大銀杏」を結った姿を見て、あらためて関取になったのだという実感がわいた。
▲ 化粧まわしが2本、これに西予市からの化粧まわしも加わる予定。
▲ 中央大学相撲部の同級生(平成元年卒)の小西くん(左端)、中山くん(中央)も出席してくれました。
▲ 東京都墨田区文花町に新築された押尾川部屋。
今回の祝賀会は押尾川部屋の創設祝賀会も兼ねていた。
翌日の朝は、東京スカイツリーを臨む墨田区文花町にある押尾川部屋の朝稽古を見学に行った。
部屋には厳太の両親とお姉さんも朝稽古を見学に来ていた。
本場所用と思われる「紺色の締め込み」を締めて、四股、すり足といった基本稽古をしていた。
押尾川親方に聞くと、締め込み(関取が取り組みでつける絹製のまわし)の方が、折り目の癖がつきにくいので、新しい締め込みは場所前から使って、体に馴染ませる必要があると言っていた。
三番稽古に入る前に、締め込みから白い稽古まわしに巻きなおして、風の湖と15番ほど稽古した。
風の湖も体重160キロあるそうだが、引き締まっているので、160キロあるようには見えなかった。
稽古を見ていて、彼もこれから強くなってくる逸材だと思った。
稽古が終わった後は、ちゃんこ鍋を押尾川親方と一緒に食べさせていただいた。
お腹を空かせているであろう稽古が終わったばかりの力士たちが、後ろで立って私がちゃんこ鍋を食べるのを見ているのが、気の毒なので早めに食事を終えて、押尾川部屋を後にした。
帰る際に野村高校相撲部出身の厳太(風賢央)、ゆうや(風佑城)がお見送りをしてくれた。
二人を激励して、押尾川部屋を後にした。
来場所の二人の健闘を祈ります。
▲ 野村高校相撲部出身の風賢央関(中央)、風佑城の二人と稽古の後に撮影