龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

鈴木光義先輩を偲ぶ

2024年03月18日 | 相撲

昨年9月6日にFacebookに中央大学相撲部の鈴木光義先輩からメールが届いた。

「タツ!元気か! 5月のはじめに膵臓ガンと診断され、割腹手術をしたら広範囲に転移していて、余命1年位だと言われました。急に人生の時短営業になってしまった。今は終活中だ~~!、でも行けるところまで楽しんでいくよ!
ここ数年、体調を崩していたのは知っていたが、突然のことで実感がわかなかった。

鈴木光義先輩は、中央大学相撲部の1年先輩で3年間一緒に相撲の稽古をし、中央大学体育連盟南平寮で寝食を共にした仲でした。

鈴木先輩は、当時の高校相撲の常勝軍団、明治大学付属中野高校相撲部の出身でレギュラーとして、各種全国大会の団体優勝を総なめにしていました。大学でも直ぐに1年生からレギュラー入りし、4年次には全日本学生相撲選抜秋田大会で中央大学の大将として、団体優勝に貢献しました。

相撲の稽古は、人一倍熱心で番数もこなしていました。
体格が同じくらいなので、よく三番稽古(二人だけで数十番相撲をとる)の相手にも指名されました。

頭からかましてきません。前みつ狙いで肩で当たってきます。四つ身からまわしを切る技術が秀逸でした。

性格は、誰にでもやさしく、人なつっこくて、明るく、おしゃべり(失礼!)でした。
納会、宴会の一発芸では、「鉄腕アトム」「帰ってきたウルトラマン」を振り付きで歌います
ニコニコ笑顔で歌うので、かわいらしく、周りも笑顔にします。

ここ数年も、Facebookにいつもコメントをくれていましたが、昨年夏に膵臓ガンが判明して「余命宣告」を受けたと連絡があり、亡くなる1週間前の3月8日にも私の「野村高校相撲部祝勝会」の記事にコメントのないメールが届いていたので、「その後、体調はいかがですか?」と返信したが、応答がなかった。

3月8日に何か伝えたいメッセージがあったのかも知れないが残念。
鈴木先輩のことだから「タツ!野村高校相撲部が強くなって良かったな!お前は俺の分も生きろよ!」と言いたかったのかな。

一週間後の3月14日に「今朝、鈴木先輩がお亡くなりになった」と中央大学相撲部の同級生から連絡があった。

しかし、鈴木光義先輩には、余命宣告を受けたと連絡があった時に、いままでの感謝の気持ちを伝えられたので良かった。鈴木先輩からは「立つ鳥、跡を濁さず。泣いて生まれてきたので、笑って往きたいです!」との返信があった。

みつよし先輩、一年先輩ですが、友達のような、明るく、楽しい、最高の先輩でしたよ!
後輩として、かわいがってくださって、ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。


▲1985年5月2日 全国大学選抜相撲宇和島大会(愛媛県)から宇佐大会(大分県)に向かう船の前で撮影
(左から松井さん、龍山、鈴木さん、下谷内さん)


▲1986年4月29日 全日本大学選抜相撲宇和島大会が終わって、ちゃんこ鍋を囲む
(左から龍山、小西さん、鈴木さん)


▲1986年4月28日 全日本大学選抜相撲宇和島大会の前日に西予市明浜町の松島先輩の自宅で
(前列右端が龍山、後列の右端が鈴木さん)


▲1987年9月27日 大学の祝勝会で(左端が鈴木さん、前列が龍山)


▲全日本大学選抜相撲秋田大会で中央大学相撲部が団体優勝
(左から2人目が鈴木さん、後列の右端が龍山)


▲1989年3月25日 中央大学卒業式が終わった後に中央大学学事課に行って、平岩大典監督にあいさつ。鈴木先輩は一学年上ですが、卒業は一緒でした。(右端が龍山、隣が鈴木さん)


▲2015年12月6日 全日本相撲選手権大会の後、中央大学相撲部の納会で
(左端が龍山、隣が鈴木さん)


▲最後の言葉。亡くなる一週間前の3月8日17時45分に私の「野村高校相撲部祝勝会」記事の引用メールが来たが、コメントはなかった。鈴木先輩のことだから「たつ!野村高校相撲部が強くなって良かったな!お前は俺の分も生きろよ!」と言いたかったのかな。

 



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