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刮目天
ほとんどの日本人は、記紀神話が太古から日本人が伝えてきた史実に基づく話だとなんとなく思っていますが、神話や歴史書が真実に基づいて作られているのならば、考古学や民俗学などの成果と合致し、謎は存在しません。古代史が謎だらけなのはそういう誤った思い込みで歴史を見ているから起こるのですよ。
現存する最古の正史「日本書紀」は天武天皇が編纂を命じたので天皇のための歴史書だと学校でも習っています。しかし崩御から34年も経って、時の権力者藤原不比等によって完成されています。
先に完成されたという古事記ですが、日本書紀を講義していた9世紀の学者が突然、その存在を明かしたもので、それ以前の正史にそれが存在する記録は全くありません。日本書紀も古事記を引用したと分かるものはないのです。古事記はその学者が作った歴史書なのです。
一部の卜占を担当する氏族が細々と伝えていたのですが、江戸時代に本居宣長が古事記を発掘し、高い評価を与えました。その影響を受けた平田篤胤が復古神道を提唱し、幕末の志士に人気となりました。
明治政府は、西欧列強に対抗して国民をまとめるために復古神道に基づく国家神道を創設しました。それまでの日本人が伝えてきた神仏習合、山岳信仰の修験道、道教などの影響を受けた、記紀とは異なる神話が語られていたのを、神仏分離令によって破壊しました。新たに作られた記紀神話に基づいて国史が教育されましたので、戦後は学術的な研究が自由になりましたが、記紀神話は国民に定着しています。
つまり、記紀神話は藤原氏が政権を正統化・正当化するための政治文書だったのです。
これは、考古学・民俗学などの成果に基づいて仮説を検証して得られた結論です。
また、古事記は日本書紀に添いながら所どころで違えることにより、隠された真相に導く暗号書だったのです。空白の4世紀や倭の五王を調べて分かりました。
不比等が隠した歴史で最もやばい話は現実には存在しなかった女性天皇の存在です。藤原氏が政権を維持するために作られたフェイクなのですが、今の日本人の8割が女性天皇を待望し、女系天皇まで容認していることです。これによって易姓革命が起こるかも知れませんので、伝統国家が崩壊する危機的状況です。詳しくは拙ブログ「刮目天の古代史」をご参照ください。長々とお邪魔しました。

“小柄”で“高貴”な人の可能性 吉野ケ里遺跡 棺を初公開(2023年6月9日)
ANNnewsCH@YouTube 2023/6/10
刮目天
この墓の被葬者ですが、男王ならば大国主の国造りのパートナーのスクナヒコナこと息長宿禰王でしょう。近江・越(コシ)を根拠地とするムナカタ海人族の王です。大国主は巨漢でしたので、小柄な人物だったようで日本神話でスクナビコナとされたわけです。
神功皇后台与のお父さんですよ。
台与は卑弥呼の死後の内戦で勝利した大国主久々遅彦(豊岡市久久比神社の祭神・上棟式の木の霊、ムナカタ海人族を束ねる王で、最後の奴国王スサノヲの子孫)によって、たった13歳で女王に立てられて、魏を後ろ盾にして狗奴国(纏向遺跡の旧奴国)と対立します。最終的に、狗奴国軍に大国主も台与も討たれて、日本が纏向で建国されます。初代天皇は応神天皇です。二人の子ですが、大国主の祟りがあって最初の祭祀王とされました。詳しくは【刮目天の古代史】をご参照ください!(^_-)-☆
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先に完成されたという古事記ですが、日本書紀を講義していた9世紀の学者が突然、その存在を明かしたもので、それ以前の正史にそれが存在する記録は全くありません。日本書紀も古事記を引用したと分かるものはないのです。古事記はその学者が作った歴史書なのです。
一部の卜占を担当する氏族が細々と伝えていたのですが、江戸時代に本居宣長が古事記を発掘し、高い評価を与えました。その影響を受けた平田篤胤が復古神道を提唱し、幕末の志士に人気となりました。
明治政府は、西欧列強に対抗して国民をまとめるために復古神道に基づく国家神道を創設しました。それまでの日本人が伝えてきた神仏習合、山岳信仰の修験道、道教などの影響を受けた、記紀とは異なる神話が語られていたのを、神仏分離令によって破壊しました。新たに作られた記紀神話に基づいて国史が教育されましたので、戦後は学術的な研究が自由になりましたが、記紀神話は国民に定着しています。
つまり、記紀神話は藤原氏が政権を正統化・正当化するための政治文書だったのです。
これは、考古学・民俗学などの成果に基づいて仮説を検証して得られた結論です。
また、古事記は日本書紀に添いながら所どころで違えることにより、隠された真相に導く暗号書だったのです。空白の4世紀や倭の五王を調べて分かりました。
不比等が隠した歴史で最もやばい話は現実には存在しなかった女性天皇の存在です。藤原氏が政権を維持するために作られたフェイクなのですが、今の日本人の8割が女性天皇を待望し、女系天皇まで容認していることです。これによって易姓革命が起こるかも知れませんので、伝統国家が崩壊する危機的状況です。詳しくは拙ブログ「刮目天の古代史」をご参照ください。長々とお邪魔しました。

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この墓の被葬者ですが、男王ならば大国主の国造りのパートナーのスクナヒコナこと息長宿禰王でしょう。近江・越(コシ)を根拠地とするムナカタ海人族の王です。大国主は巨漢でしたので、小柄な人物だったようで日本神話でスクナビコナとされたわけです。
神功皇后台与のお父さんですよ。
台与は卑弥呼の死後の内戦で勝利した大国主久々遅彦(豊岡市久久比神社の祭神・上棟式の木の霊、ムナカタ海人族を束ねる王で、最後の奴国王スサノヲの子孫)によって、たった13歳で女王に立てられて、魏を後ろ盾にして狗奴国(纏向遺跡の旧奴国)と対立します。最終的に、狗奴国軍に大国主も台与も討たれて、日本が纏向で建国されます。初代天皇は応神天皇です。二人の子ですが、大国主の祟りがあって最初の祭祀王とされました。詳しくは【刮目天の古代史】をご参照ください!(^_-)-☆
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