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古代史ランキング
しっかり説明されている、とてもいい動画(約10分)を見つけましたので、是非ご覧ください。例によってまたコメントしました。どうぞお付き合いください(#^.^#)

刮目天
とても分かり易く解説され、どうも有難うございます。なぜ邪馬台国が発見されないのかについては同感ですが、その中には、はっきりとわかる思い込みがあったことに気づきました。つまり、九州説にしろ畿内説にしろ、最初に自分の思う邪馬台国の場所があるので、それに合うようにつじつま合わせで主張しているということです。科学的でないのは、以下の二つの思い込みがあるのが原因です。
<思い込み その1>「魏志倭人伝」は歴史家の陳寿が編纂した歴史書だから、正しく解釈すれば邪馬台国に導いてくれるはず
<思い込み その2>古事記や日本書紀は天皇が編纂を命じたから天皇の歴史書のはずだ
権力者は不都合な史実は無視するか誤魔化さないと歴史書を編纂する意味がなくなりますね(^_-)-☆
古代史の謎は文献と考古学の成果の乖離が原因なのですから、このような問題を科学的に解明するには、これらの思い込みを排除して、事実(考古学や民俗学などの成果)から文献の信ぴょう性を議論し、歴史書を編纂した権力者の意図を推理することが必要です。つまり、対象とする時代を挟む事象群を矛盾なく説明できる仮説を立てて、その仮説から期待できることを事実で検証することによって科学的に解明する手法です。仮説構築のこのプロセスは論理学ではよく知られた演繹法・帰納法ではなく、アブダクションと呼ばれる発見的な第三の推論法です。
これによって日本の建国過程を推理し、邪馬台国も卑弥呼の正体が記紀神話で宗像三女神とされた、その主神イチキシマヒメであることも分かりました。

径百余歩(直径約150m)の日本最大の円墳も宇佐市安心院町の三柱山古墳であることも発見しました。よろしければ拙ブログ「刮目天の古代史 邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」をご参照ください。忌憚のないご意見を頂戴できれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
@user-pz4jw1db1q
魏志東夷伝倭人の条をキチッと読むことが出来れば、邪馬台国の所在地は、それ程難しくありません。一つだけ例を挙げれば、陳寿は、文中の何処にも、帯方郡から邪馬台国までの距離など書いていません。帯方郡から女王国までの距離を記しています。何故陳寿は、この女王国と言う地名をすぐ前の文で、邪馬台国に到る、と記しているのにあえて邪馬台国では無く、女王国としたのでしょうか。これを合理的に解釈しようとすれば、邪馬台国は女王国の中に含まれている、とするか、邪馬台国と女王国は全く別のものである、のどちらかと理解するよりありません。ただ、邪馬台国と女王国を全く別のものとしてしまうと、魏志東夷伝のこの箇所の文の意味自体が、非常に不自然なものとなってしまいます。従って、消去法でいけば、前者の意味が合理的な解釈となるはずです。その方が自然に、しっくり読めるはずです。邪馬台国に到るの文と、女王国に到る萬二千余里の、この二文の関係は、所在地の確認に対して非常に重要な意味を含んでいると、考えられます。又、邪馬台国と、女王国は、同一のものだとするのは、自分の中では、全く成立しません。もちろん、充分な根拠を挙げる事はできますが、ここでは長くなるので、省略します。
刮目天
そういう魏志倭人伝の解釈の議論を二・三百年重ねても邪馬台国にたどり着けてはいない事実を考えると、今までとは別の視点でこの問題を見つめる必要があると思います。上で述べた、<思い込み その1>に気づく必要があると思いますよ。
@user-yh3jo3bc5t
無理くり前方後円墳から卑弥呼の墓探してるからじゃないですかねえ。
大先生達はどしてもただの円墳では不都合なの?と思えるほど、前方後円墳をひたすら押しまくってますけど。
刮目天
大規模集落に卑弥呼が居たと考えているのが見当違いだと思います。なぜなら、多くの人々が出入りするような大集落は安全ではないと思います。吉野ヶ里遺跡でも多数の鉄鏃が環濠から出土しているので、敵のものだと分かります。二世紀末から三世紀初頭の卑弥呼が登場するまでの鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べましたが、倭国大乱の主戦場は佐賀平野、筑紫平野、福岡平野などです。よろしければ「刮目天の古代史 【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」をご参照ください。これによって当時の倭国の範囲や邪馬台国の場所も判明しました。卑弥呼は山間部の要害堅固な山城に住んでいました。そこに直径150mの日本最大の円墳「三柱山古墳」を発見しました(^_-)-☆古墳マップでご参照ください!https://kofun.info/kofun/6769
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【刮目天の古代史】古代史を推理する

古代史問題の科学的解決手法はアブダクションによる仮説構築と検証ですよ(^_-)-☆
人間とAIの違いは「ひらめき」にある?! アイデア発想の鍵を握る思考技術「アブダクション」とは
2018年09月20日に開催 安藤昭子 株式会社編集工学研究所 主任研究員
科学的な発明には、たいていアブダクションが関与している
仮説を強化し論理を前に進める“仮説的推論”の力
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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<思い込み その1>「魏志倭人伝」は歴史家の陳寿が編纂した歴史書だから、正しく解釈すれば邪馬台国に導いてくれるはず
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大規模集落に卑弥呼が居たと考えているのが見当違いだと思います。なぜなら、多くの人々が出入りするような大集落は安全ではないと思います。吉野ヶ里遺跡でも多数の鉄鏃が環濠から出土しているので、敵のものだと分かります。二世紀末から三世紀初頭の卑弥呼が登場するまでの鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べましたが、倭国大乱の主戦場は佐賀平野、筑紫平野、福岡平野などです。よろしければ「刮目天の古代史 【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」をご参照ください。これによって当時の倭国の範囲や邪馬台国の場所も判明しました。卑弥呼は山間部の要害堅固な山城に住んでいました。そこに直径150mの日本最大の円墳「三柱山古墳」を発見しました(^_-)-☆古墳マップでご参照ください!https://kofun.info/kofun/6769
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