いつも応援ありがとうございます。
よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング
真相に近づくことができる考え方の良い動画を見つけましたので、コメントさせてもらいました。お付き合いください(;^ω^)
刮目天
おっしゃるとおり、現存する最古の正史「日本書紀」はある元ネタを使って同じような話を多用しています。何のためにそのような面倒なことをしたのかを解説されていましたが、倭国が唐・新羅連合軍と百済との戦いに参戦し、663年に白村江の戦いで敗戦したことで、纏向ヤマトの日本は敗戦した倭国とは別の国だと主張するためだと説明されています。
しかし、日本書紀の完成は720年です。その前に完成したとされる古事記は712年ですから、いずれも敗戦から半世紀近くたってから完成していますので、おかしくないでしょうか?
そして「日本書紀」編纂はやっつけ仕事だったと言いますが、天武天皇が編纂を命じたのですが、686年の崩御から34年後の720年に完成していますから、上のような理由で史実と異なる歴史書を創る理由は考えられません。
日本書紀の内容には虚偽があるというのは賛同していますが、その理由、そして日本建国の過程の仮説については全く異なります。
日本建国は3世紀後半だったことはヤマト王権の発祥した纏向遺跡の遺構や古墳などから判明しています。そして大和盆地の中では戦闘の痕跡もありませんし、3世紀初頭に造成された纏向遺跡自体に防御性が見られません。そして3世紀後半には各地で戦闘があった痕跡が見つかり、それが、崇神天皇の四道将軍、景行天皇の九州遠征・日本武尊の東海遠征のルート上で発見されていますので、日本書紀のこれらの話は3世紀後半の史実を約350年に引き延ばして創作したものだと分かるのです(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。
そして国譲り神話もこの史実を誤魔化す目的で創作されたと考えています(詳細は「国譲り神話の史実は?」参照) 。大国主の葦原中つ国はヤマト(狗奴国)などを除く列島主要部のことです。大国主が最初に国造りしたのは宇佐市安心院町佐田地区だと分かりましたので、大国主の傘下となったすべての地域を葦原中つ国で代表させたのだと推理しています。中つ国は龍蛇神(ナーガ)大国主の支配する国という意味です(詳細は「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」「宇佐は記紀が隠した秘密が満載だ」参照)。
誰が何の目的で日本書紀で歴史を捏造したのかを考えると、当時の権力者が藤原不比等だったことに気づきます。天皇の歴史書を装って、藤原氏の子孫が権力を握り続ける正統性を主張するためだと分かりました。そのために、史実は曲げられ、不都合な天皇を隠し、架空の天皇を何人も登場させています。これらはほぼ判明しています。先日、豪華な副葬品で話題になった富雄丸山古墳の被葬者は応神天皇の皇太子ウジノワキノイラツコで、宇治天皇に即位していましたが、372年にオオサザキ(仁徳天皇)に暗殺されたと推理しています。詳しくは「富雄丸山古墳に隠された大きな秘密?」「空白の世紀と倭の五王の謎?(その1)~(その3)」などをご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)
@akb2301さん
いつも楽しみにしてます。
全て正しいとして見てるかと言えば別になるけど、人物設定の設定、物語の繰り返し、業績の付け替えなんかはどう考えてもあるし、同じ様な事、設定ありすぎ。 古代氏族はみんな仲良し親戚縁者でないのは天皇家の争いでもよく分かる。 武士政権同様姻戚関係を通じた関係性で結びついてはいるものの、親子、兄弟、親戚は今の様な関係性でなく争い奪い取る。そういうのが書いてない部分にも古代氏族連合にはあったと想像する。逆に武器が1人が1人を頑張って殺せる時代だっただけに日本においては兵士が中国の様に多くないから大規模戦闘な痕跡はこれからも見つからず、下がトップをトップが下を誅殺すると言う効率いいやり方ばかりだったはず。
古代氏族の和珥氏がどれくらい世の中に関与してたかは分からないが。
氏族連合共同体でその後古墳時代終焉までは後裔氏族達が権力を握っていたに違いないのは日本全国に散らばってるのみると分かる
刮目天
和邇氏に着目したのは素晴らしいです。日本建国の過程を調べると卑弥呼の正体が和邇氏の祖宗像女神イチキシマヒメだったことが分かりました(詳細は「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎」参照)。おっしゃるとおり、初期天皇家の殺し合いの原因は日本建国時代の仲間の裏切りによる確執だと分かりました。最終的に決着するのは光仁・桓武天皇の時代ですから400年以上かかっています。
日本書紀や続日本紀は徹底的に隠して、誤魔化していますから、多くの皆さんは正史に沿った話を仮説にして組み立てていますが、ほとんど見当違いです。
古代史の謎は文献と事実、つまり考古学や民俗学などの成果との不整合が原因です。ですから、事実から文献の虚偽の部分を見つけ、編纂者・著者の意図を推理して仮説を組み立てるのが科学的です。このような手法で日本建国の過程を解明しました。詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する」に考え方を説明していますので、よろしければご参照ください(^_-)-☆
@user-ot2fh5ie3yさん
すばらしいです。神武東征を応神東征と見抜きましたね。ご考察に賛同します。藤原不比等は実際のところ秦氏ですよね。倭国なんぞ別国と書いた国を守る対策は天才的だと思っています。藤原不比等が作った我が国最初の律令制度である大宝律令・養老律令は幕末まで使われた訳ですし、藤原不比等って我が国の英雄とされていないことの方が不思議です。実際は応神天皇・秦氏が国を乗っ取ってしまったと思うのですが、もし藤原不比等がいなかったら、今の日本は台湾に似た存在というか中国に乗っ取られていたかもしれないと思っています。
@user-ot2fh5ie3yさん、すばらしい!卓見です(^_-)-☆
不比等が将来にわたり藤原氏の権力の正統性を主張する目的で日本書紀を創作したと推理しています。先に成立したとされる古事記は、9世紀に日本書紀を講義した学者多人長(おおのひとなが)が突然表に出したものです。その前の正史には一切記録がなく、日本書紀で参照した痕跡もありませんから人長の創作だと分かるのですが、天皇の歴史書だと習っていますので、誰も偽書とまでは言いにくいのでしょう。でも、人長の目的を考えると、日本書紀で隠された史実を暴露するためです。藤原氏にそれが分からないようにいろいろと工夫をしていますので、この目的が分かると古事記と日本書紀の記事の違いに着目すれば、真相解明の暗号書として使えます。詳しくは「刮目天の古代史」をご参照ください(^_-)-☆
【関連記事】
日本の古代史が謎な理由?
古代史の盲点はここだ(^_-)-☆~(つづき)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング
よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング
真相に近づくことができる考え方の良い動画を見つけましたので、コメントさせてもらいました。お付き合いください(;^ω^)
刮目天
おっしゃるとおり、現存する最古の正史「日本書紀」はある元ネタを使って同じような話を多用しています。何のためにそのような面倒なことをしたのかを解説されていましたが、倭国が唐・新羅連合軍と百済との戦いに参戦し、663年に白村江の戦いで敗戦したことで、纏向ヤマトの日本は敗戦した倭国とは別の国だと主張するためだと説明されています。
しかし、日本書紀の完成は720年です。その前に完成したとされる古事記は712年ですから、いずれも敗戦から半世紀近くたってから完成していますので、おかしくないでしょうか?
そして「日本書紀」編纂はやっつけ仕事だったと言いますが、天武天皇が編纂を命じたのですが、686年の崩御から34年後の720年に完成していますから、上のような理由で史実と異なる歴史書を創る理由は考えられません。
日本書紀の内容には虚偽があるというのは賛同していますが、その理由、そして日本建国の過程の仮説については全く異なります。
日本建国は3世紀後半だったことはヤマト王権の発祥した纏向遺跡の遺構や古墳などから判明しています。そして大和盆地の中では戦闘の痕跡もありませんし、3世紀初頭に造成された纏向遺跡自体に防御性が見られません。そして3世紀後半には各地で戦闘があった痕跡が見つかり、それが、崇神天皇の四道将軍、景行天皇の九州遠征・日本武尊の東海遠征のルート上で発見されていますので、日本書紀のこれらの話は3世紀後半の史実を約350年に引き延ばして創作したものだと分かるのです(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。
そして国譲り神話もこの史実を誤魔化す目的で創作されたと考えています(詳細は「国譲り神話の史実は?」参照) 。大国主の葦原中つ国はヤマト(狗奴国)などを除く列島主要部のことです。大国主が最初に国造りしたのは宇佐市安心院町佐田地区だと分かりましたので、大国主の傘下となったすべての地域を葦原中つ国で代表させたのだと推理しています。中つ国は龍蛇神(ナーガ)大国主の支配する国という意味です(詳細は「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」「宇佐は記紀が隠した秘密が満載だ」参照)。
誰が何の目的で日本書紀で歴史を捏造したのかを考えると、当時の権力者が藤原不比等だったことに気づきます。天皇の歴史書を装って、藤原氏の子孫が権力を握り続ける正統性を主張するためだと分かりました。そのために、史実は曲げられ、不都合な天皇を隠し、架空の天皇を何人も登場させています。これらはほぼ判明しています。先日、豪華な副葬品で話題になった富雄丸山古墳の被葬者は応神天皇の皇太子ウジノワキノイラツコで、宇治天皇に即位していましたが、372年にオオサザキ(仁徳天皇)に暗殺されたと推理しています。詳しくは「富雄丸山古墳に隠された大きな秘密?」「空白の世紀と倭の五王の謎?(その1)~(その3)」などをご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)
@akb2301さん
いつも楽しみにしてます。
全て正しいとして見てるかと言えば別になるけど、人物設定の設定、物語の繰り返し、業績の付け替えなんかはどう考えてもあるし、同じ様な事、設定ありすぎ。 古代氏族はみんな仲良し親戚縁者でないのは天皇家の争いでもよく分かる。 武士政権同様姻戚関係を通じた関係性で結びついてはいるものの、親子、兄弟、親戚は今の様な関係性でなく争い奪い取る。そういうのが書いてない部分にも古代氏族連合にはあったと想像する。逆に武器が1人が1人を頑張って殺せる時代だっただけに日本においては兵士が中国の様に多くないから大規模戦闘な痕跡はこれからも見つからず、下がトップをトップが下を誅殺すると言う効率いいやり方ばかりだったはず。
古代氏族の和珥氏がどれくらい世の中に関与してたかは分からないが。
氏族連合共同体でその後古墳時代終焉までは後裔氏族達が権力を握っていたに違いないのは日本全国に散らばってるのみると分かる
刮目天
和邇氏に着目したのは素晴らしいです。日本建国の過程を調べると卑弥呼の正体が和邇氏の祖宗像女神イチキシマヒメだったことが分かりました(詳細は「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎」参照)。おっしゃるとおり、初期天皇家の殺し合いの原因は日本建国時代の仲間の裏切りによる確執だと分かりました。最終的に決着するのは光仁・桓武天皇の時代ですから400年以上かかっています。
日本書紀や続日本紀は徹底的に隠して、誤魔化していますから、多くの皆さんは正史に沿った話を仮説にして組み立てていますが、ほとんど見当違いです。
古代史の謎は文献と事実、つまり考古学や民俗学などの成果との不整合が原因です。ですから、事実から文献の虚偽の部分を見つけ、編纂者・著者の意図を推理して仮説を組み立てるのが科学的です。このような手法で日本建国の過程を解明しました。詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する」に考え方を説明していますので、よろしければご参照ください(^_-)-☆
@user-ot2fh5ie3yさん
すばらしいです。神武東征を応神東征と見抜きましたね。ご考察に賛同します。藤原不比等は実際のところ秦氏ですよね。倭国なんぞ別国と書いた国を守る対策は天才的だと思っています。藤原不比等が作った我が国最初の律令制度である大宝律令・養老律令は幕末まで使われた訳ですし、藤原不比等って我が国の英雄とされていないことの方が不思議です。実際は応神天皇・秦氏が国を乗っ取ってしまったと思うのですが、もし藤原不比等がいなかったら、今の日本は台湾に似た存在というか中国に乗っ取られていたかもしれないと思っています。
@user-ot2fh5ie3yさん、すばらしい!卓見です(^_-)-☆
不比等が将来にわたり藤原氏の権力の正統性を主張する目的で日本書紀を創作したと推理しています。先に成立したとされる古事記は、9世紀に日本書紀を講義した学者多人長(おおのひとなが)が突然表に出したものです。その前の正史には一切記録がなく、日本書紀で参照した痕跡もありませんから人長の創作だと分かるのですが、天皇の歴史書だと習っていますので、誰も偽書とまでは言いにくいのでしょう。でも、人長の目的を考えると、日本書紀で隠された史実を暴露するためです。藤原氏にそれが分からないようにいろいろと工夫をしていますので、この目的が分かると古事記と日本書紀の記事の違いに着目すれば、真相解明の暗号書として使えます。詳しくは「刮目天の古代史」をご参照ください(^_-)-☆
【関連記事】
日本の古代史が謎な理由?
古代史の盲点はここだ(^_-)-☆~(つづき)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング