刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

日本人も世界共通のヘビ信仰だった!(^_-)-☆

2024-03-29 11:22:26 | 古代史
いつも応援ありがとうございます。
よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング

#三年も前の動画ですが勉強になる内容でしたので視聴し、いつものようにコメントしました。よろしければお付き合いください(;^ω^)



とてもいい話題をありがとうございます。
高天ヶ原に最初に降り立った神は記紀神話で天御中主神とされていますが、実在人物ですよ!
紀元前4世紀初頭に福岡市早良平野に降り立った最初の王です。吉武・高木遺跡に日本で最初の王墓が見つかっています。宋史 王年代紀にある三代の王天御中主、二代目天村雲尊、三代目天八重雲尊と王族の墓です。



天は「あま」で海を意味し、中はナーガ=龍蛇神ですから江南地方のナーガを信仰する海人族の王という名前です。地名に那珂・那賀・長柄・中山など、ナーガに因むものは海人アズミ族が列島に入植した場所を表しています。紀元前473年呉が越に滅ぼされ、王族が半島南部に倭人に助けられて生活していましたが、寒冷化により南下した模様です。

四代目天彌聞尊(あめのににぎのみこと)が祖父から三種の神器を貰って周辺の糸島半島や福岡半島を平定し、春日市須玖岡本遺跡を王宮とし、奴国隆盛の基礎を築いた人物です。記紀神話ではこの史実をもとに天孫降臨神話を創作しています(「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。

第十六代王沫名杵尊が西暦57年後漢光武帝より国宝金印を賜っています。その鈕は蛇(ミズチ)を象っていますのでナーガを信仰する民族ということです。つまり新唐書・宋史にあるとおり「日本は古の倭の奴国」で歴代奴国王は皇祖神だったのです。第十七代王伊弉諾尊が縄文海人ムナカタ族の姫伊弉冉尊を娶り、王族レベルで混血が始まりました。その子第十八代王素戔嗚尊(スサノヲ)が伝統的な奴国祭祀から縄文系祭祀に変えようとしたので宮廷楽師の師升らが反乱し、スサノヲから金印の在りかを聞き出すために拷問し、手に入れることができなかったので殺したと推理しています。スサノヲの部下のアズミ族が金印を持って逃亡し、その途中志賀島に立ち寄与って埋めたと考えられます(「【金印贋作説】亀井南冥は冤罪でしょう!」参照)。



日本は奴国を脱出したスサノヲの弟ニギハヤヒやスサノヲの王子イタケルのその子孫が師升王の一族を滅ぼして三世紀末に日本が建国されます。日本最古の歴史書が天皇の歴史書だと洗脳されているので気づかないのですよ。ちなみに卑弥呼の墓径百余歩の日本最大の円墳「三柱山古墳」も見つかっていますよ(「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」参照)。詳しくは「刮目天の古代史」をご参照ください。

【関連記事】
日本と大陸・半島とは古くから一体だった‼

縄文中期から縄文人もヘビを信仰するようになっていますから、日本人は蛇を信奉する民族で間違いないのです。鏡は太陽信仰のシンボルと思えますが、実は鏡(かがみ)は「カガ=蛇」そして「ミ=目または霊」からきた言葉ですよ。吉野裕子「蛇」にありますが、蛇神は男性のシンボルでもあり、石棒が崇拝されています。安心院町三女神社の三柱石がその石棒です。半島の東海岸に男根公園がありますが、縄文系の人々が祀ったものですよ(^_-)-☆

日本書紀に基づく神道の祝詞には、神代に八百万の神々が居て、山川草木に神が宿るとされ、アニミズムによる多神教だったように考えられていますが、縄文時代の人々はこのようなアニミズムでは説明できない宗教観を持っていたことが分かってきました。佐藤弘夫「日本人と神」(講談社現代新書)の中で、「人類がカミと感じるのは人々に畏怖の念を抱かせる自然現象(イナズマ・台風・太陽・月の天体運行など)や超人的な能力の動物(クマ・鳥・マムシなど)や、巨木・巨石などの奇観のスポットという具体的なモノであり、これらが始原的なカミの姿だった」と説明されています。

日本人の信仰がアニミズムというのは記紀の創作なのです。

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆





通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング