角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

#062 為末大さん、正直者です。

2015-05-28 21:05:20 | 障害あるいは障碍の話
為末大さん。
オリンピアンです。

NHK教育(!)で、ソチパラリンピックのナビゲーターをしてました。
その時の、
障碍者だから、とか、障碍者なのに、とかいったことを決して口にせず、

一つ一つ競技として、一人一人アスリートとして、
そういう解説の仕方にすごく好印象を持ちました。

その流れで、
中公新書ラクレ「『遊ぶ』が勝ち」を購入したりして、
ちょっとしたマイブームになりました。

その後も、ツイッター等で時折物議をかもしたりして、楽しませてくれています。

で、
またまた、厄介なところへ踏み込んでしまったようで・・・

為末大が障害者問題で指摘した「ヒステリックな正義の人」って誰だ?
というニュースがそれです。

(↓)ことの発端はこれ。


成り行きは、ぜひ、
為末さんのツイッターに直接あたって考えて欲しいんですけど、

途中(↓)こんなやりとりもあって、


ああ・・・と考えさせられたり、

で、一応(↓)これで収束したのかな?


その後も、チラチラと余波がありますが、
ほんと為末さん、正直な人だと思います。
皮肉でなく、素直に。

闘病者、障碍者として括るのが自然な(?)人は、
健康優良児(死語?)、健常者と並べてしまえば、確かに存在します。

けれども、だから特別、
「〜なのに」「〜にもかかわらず」ということではナイですね。

正常、軽度、中度、重篤、様々な「レベル」もあるわけですが、
そういうのも、行政の都合で付いているだけです。
本当は無限のグラデーションをなしていて、境界線は引けません。

障碍者(というか、健常であっても)それぞれに、
それぞれの「困っていること」があって「出来ないこと」も厳然とあります。
ですが、そこは難しく考えず、

「目の前で困っている人がいたら手助けをしましょう」

ということで良いんじゃないでしょうか。

第三者に向かって、
「弱い立場の人は助けるべきです、救いの手を差し伸べるべきなんです」
等、一般論をぶったりするからややこしくなるんです。

そういう「困っている人がいないと困ってしまう人」っていうのが、
為末さんの言う「面倒臭い人」なんでしょう。

障碍者の傍らに、貧困のまわりに、
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、オキナワに・・・
色んなところにそういう人がいます。

いずれも、
当事者にとって、有り難いのか、そうでないのか、
そこを考えてくれると、
「面倒くさい人」なんて言われずに済むと思うんですが。

最近(DVDで)観た映画ですけど、『グレートデイズ』
徹頭徹尾当事者目線で、面白かった。

障害者、障がい者、障碍者、chalenged・・・
どう呼ぶかは、それほど重要なことじゃありません。

いわゆる健常者と同じように、善人も悪人もいて、笑って泣いて、
自分と向き合って一歩先を目指すことがスゴイんです。

(↓)昨年、豊橋で試合を観て、スポーツとして普通にドキドキしました。


車椅子バスケットボール、応援してます。


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