為末大さん。
オリンピアンです。
NHK教育(!)で、ソチパラリンピックのナビゲーターをしてました。
その時の、
障碍者だから、とか、障碍者なのに、とかいったことを決して口にせず、
一つ一つ競技として、一人一人アスリートとして、
そういう解説の仕方にすごく好印象を持ちました。
その流れで、
中公新書ラクレ「『遊ぶ』が勝ち」を購入したりして、
ちょっとしたマイブームになりました。
その後も、ツイッター等で時折物議をかもしたりして、楽しませてくれています。
で、
またまた、厄介なところへ踏み込んでしまったようで・・・
為末大が障害者問題で指摘した「ヒステリックな正義の人」って誰だ?
というニュースがそれです。
(↓)ことの発端はこれ。
成り行きは、ぜひ、
為末さんのツイッターに直接あたって考えて欲しいんですけど、
途中(↓)こんなやりとりもあって、
ああ・・・と考えさせられたり、
で、一応(↓)これで収束したのかな?
その後も、チラチラと余波がありますが、
ほんと為末さん、正直な人だと思います。
皮肉でなく、素直に。
闘病者、障碍者として括るのが自然な(?)人は、
健康優良児(死語?)、健常者と並べてしまえば、確かに存在します。
けれども、だから特別、
「〜なのに」「〜にもかかわらず」ということではナイですね。
正常、軽度、中度、重篤、様々な「レベル」もあるわけですが、
そういうのも、行政の都合で付いているだけです。
本当は無限のグラデーションをなしていて、境界線は引けません。
障碍者(というか、健常であっても)それぞれに、
それぞれの「困っていること」があって「出来ないこと」も厳然とあります。
ですが、そこは難しく考えず、
「目の前で困っている人がいたら手助けをしましょう」
ということで良いんじゃないでしょうか。
第三者に向かって、
「弱い立場の人は助けるべきです、救いの手を差し伸べるべきなんです」
等、一般論をぶったりするからややこしくなるんです。
そういう「困っている人がいないと困ってしまう人」っていうのが、
為末さんの言う「面倒臭い人」なんでしょう。
障碍者の傍らに、貧困のまわりに、
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、オキナワに・・・
色んなところにそういう人がいます。
いずれも、
当事者にとって、有り難いのか、そうでないのか、
そこを考えてくれると、
「面倒くさい人」なんて言われずに済むと思うんですが。
最近(DVDで)観た映画ですけど、『グレートデイズ』、
徹頭徹尾当事者目線で、面白かった。
障害者、障がい者、障碍者、chalenged・・・
どう呼ぶかは、それほど重要なことじゃありません。
いわゆる健常者と同じように、善人も悪人もいて、笑って泣いて、
自分と向き合って一歩先を目指すことがスゴイんです。
(↓)昨年、豊橋で試合を観て、スポーツとして普通にドキドキしました。
車椅子バスケットボール、応援してます。
オリンピアンです。
NHK教育(!)で、ソチパラリンピックのナビゲーターをしてました。
その時の、
障碍者だから、とか、障碍者なのに、とかいったことを決して口にせず、
一つ一つ競技として、一人一人アスリートとして、
そういう解説の仕方にすごく好印象を持ちました。
その流れで、
中公新書ラクレ「『遊ぶ』が勝ち」を購入したりして、
ちょっとしたマイブームになりました。
その後も、ツイッター等で時折物議をかもしたりして、楽しませてくれています。
で、
またまた、厄介なところへ踏み込んでしまったようで・・・
為末大が障害者問題で指摘した「ヒステリックな正義の人」って誰だ?
というニュースがそれです。
(↓)ことの発端はこれ。
成り行きは、ぜひ、
為末さんのツイッターに直接あたって考えて欲しいんですけど、
途中(↓)こんなやりとりもあって、
ああ・・・と考えさせられたり、
で、一応(↓)これで収束したのかな?
その後も、チラチラと余波がありますが、
ほんと為末さん、正直な人だと思います。
皮肉でなく、素直に。
闘病者、障碍者として括るのが自然な(?)人は、
健康優良児(死語?)、健常者と並べてしまえば、確かに存在します。
けれども、だから特別、
「〜なのに」「〜にもかかわらず」ということではナイですね。
正常、軽度、中度、重篤、様々な「レベル」もあるわけですが、
そういうのも、行政の都合で付いているだけです。
本当は無限のグラデーションをなしていて、境界線は引けません。
障碍者(というか、健常であっても)それぞれに、
それぞれの「困っていること」があって「出来ないこと」も厳然とあります。
ですが、そこは難しく考えず、
「目の前で困っている人がいたら手助けをしましょう」
ということで良いんじゃないでしょうか。
第三者に向かって、
「弱い立場の人は助けるべきです、救いの手を差し伸べるべきなんです」
等、一般論をぶったりするからややこしくなるんです。
そういう「困っている人がいないと困ってしまう人」っていうのが、
為末さんの言う「面倒臭い人」なんでしょう。
障碍者の傍らに、貧困のまわりに、
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、オキナワに・・・
色んなところにそういう人がいます。
いずれも、
当事者にとって、有り難いのか、そうでないのか、
そこを考えてくれると、
「面倒くさい人」なんて言われずに済むと思うんですが。
最近(DVDで)観た映画ですけど、『グレートデイズ』、
徹頭徹尾当事者目線で、面白かった。
障害者、障がい者、障碍者、chalenged・・・
どう呼ぶかは、それほど重要なことじゃありません。
いわゆる健常者と同じように、善人も悪人もいて、笑って泣いて、
自分と向き合って一歩先を目指すことがスゴイんです。
(↓)昨年、豊橋で試合を観て、スポーツとして普通にドキドキしました。
車椅子バスケットボール、応援してます。
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