話題のドラマ『太陽を愛したひと~1964あの日のパラリンピック~』視ました。
1960年、整形外科医の中村裕は研修先のイギリスで、スポーツを取り入れた障害者医療を学んだ。帰国した中村は障害者スポーツを広めようとするが、日本はリハビリという言葉すらなかった時代、同僚からも抵抗にあう。それでも、ある少年との出会いをきっかけに、車いすバスケットボールを少しずつ普及させていった。そんな彼に驚きのミッションが。第2回のパラリンピックとなる東京パラリンピックを実現させよ、というのだ。再び彼の前に立ちはだかる社会の常識という壁。障害者の家族からも「見せ物にしないでほしい」と反対の声があがる…。
*NHK公式サイト:ドラマ『太陽を愛したひと~1964あの日のパラリンピック~』
→https://www.nhk.or.jp/dsp/taiyo/
というあらすじを読んで想像したとおりの、とてもシンプルで分かりやすい『成功物語』。なのに(いや、だから、かも)イカンイカンと思いながら、ついうっかり泣いてしまった。枠が小さいだけに展開が早すぎるのは気になったけど、まあ「人生」振り返ってみればそんなものなのかもね。
「たとえ障害者と言えども、その能力は磨けば無限です。だけどそのためには、彼等を甘やかしてはいけない。彼等を保護しようとするのは、私達健常者のエゴイズムに過ぎません」
とう主人公のセリフで始まったドラマは、パラリンピック終了後、今で言う障害者福祉施設の設立から、それを軌道に乗せるまでをも描いてて(だからこそ展開が無茶早かった)、ホント言うと、そこをもっと掘り下げたら良かったのに、と思ったりもしました。地味な話になちゃうけどね。
で、その障害者福祉施設は今も存在してまして、それが「太陽の家」です。「No Charity, but a Chance!~保護より機会を~」を理念としてて、
太陽の家は障がい者が働き、生活する施設であり、地域社会の一住民として普通に暮らしています。
1965年の創立以来、障がい者の働く場づくりに取り組み、多くの人が社会復帰しています。たとえ身体に障がいがあっても働く能力は関係なく、太陽の家では、仕事や生活の場においてユニバーサルな環境づくりに努めています。
また、日常生活で常に介助を必要とする重度の障がい者も地域と交流を深めながら生活を楽しんでいます。障がい者にとっての太陽でありたい、それが太陽の家の願いです。
*社会福祉法人太陽の家:太陽の家とは
→http://www.taiyonoie.or.jp/about
と説明しています。
『太陽通信』という広報紙もあって、それによると今年になって理事長さんが代わったそうです。
*『太陽通信』No.336 1018(H30)-7
→http://www.taiyonoie.or.jp/wp-content/uploads/2018/07/6cc818d9e0afafb0b1fc25b8b9e17a55.pdf
さて、ドラマ後半、太陽の家設立にあたって主人公が言います。
「ここに、私のこの『太陽の家』の目標を掲げておきます。それは入所者の数を増やすことでも、この施設の存在を日本中に知らしめることでもありません。それは、入所者の皆さんが国に税金を納めることです。それこそが一人の人間として独立し、生を謳歌していることの証明となる」
もちろん、障害にも色々あって、努力や工夫でどうにかできるものでもない(と思われる)重度なものであれば、納税するのは難しいことです。それでも「だから保護しなきゃ」と安易に言ってしまうと、それは「だから抹殺するのだ」に転落しかねません。障害者差別、エゴイズムの表裏です。
障害者スポーツ、障害者の就労、どちらも「特別なこと」ではなく、健常者のすぐ隣りにあるもの、地続きにあるもの、延長線上にあるものとして捉えることが、まず初めの一歩かなあ、とか、そんなこと思ってます。
「失ったものを数えるんじゃない。残っているものを最大限に活かすんだ」
お約束のセリフもしっかり出てきた『太陽を愛したひと~1964あの日のパラリンピック~』、好評につき再放送が決定したそうです。
2018年9月1日(土)総合テレビ 午後3時5分から4時15分
視ましょう。
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東京オリンピック招致プレゼンテーションで注目された佐藤真海(その後結婚され谷真海)さん、東京パラリンピック出場が(彼女自身の意志・努力の及ばないところで)危ぶまれているそうです。そんなんで良いのか、って思います。
「残酷ですよね」と、彼女は言った。
2020年東京パラリンピックのパラトライアスロン実施8種目が発表された。昨年の世界選手権を制した谷真海が出場する運動機能障害PTS4のクラスは、実施を見送られた。出場選手数抑制のためという。
体重別競技のクラス変更とは事情が異なる。障害の軽重は自身で選べない。大会の顔となるべき彼女は出場資格を失う。彼女の不在は「東京」にとって、大きな損失である。
それ以上に、彼女自身の失意が大きい。
大会時、5歳になる息子の応援をパラリンピックの沿道から受ける夢が、ついえようとしている。勝負に敗れたならともかく、手の届かぬところで。彼女ほど、五輪の招致やパラリンピックの周知に貢献したアスリートはいない。あげくにこの仕打ちか、と悲しくなる。彼女ほど、若くして多くの試練を乗り越えてきた人を知らない。あげくにこれも試練と乗り越えよと、誰が言えるか。
*Web産経ニュース:あまりに残酷で理不尽 東京パラ 谷真海の不出場はこのままでいいのか 論説委員・別府育郎
→https://www.sankei.com/column/news/180819/clm1808190004-n1.html
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