今日の新聞で、耳慣れない言葉、「ポスト真実」を知った。
恥ずかしながら、聞いたことがなかった。なぜ、一般的になっていないかはなんとなく想像できるが、この歳で、今一度学ぶたい気持ちがすこしわいている。
その言葉は、昨年末、世界中に流布された言葉らしい。
で、その新聞で述べられていることを抜き出すと以下のようだった。
以下、新聞から、内容をほんの一部引用
その言葉(ポスト真実)の内容は、「事実の真実よりも感情的な言辞や虚言、あるいはうその情報に民意が誘導されていく状態をさしている」ことだという。昨年のイギリスのEU離脱、今回のトランプ大統領誕生がきっかけに、その言葉が叫ばれるようになったということだそう。古くはヒトラーも、その土壌から台頭した独裁者で、「人は小さなうそより大きなうそにだまされやすいと平然と述べ、大衆の理解力は小さいが忘却力は大きい」と大衆に寄り添うふうをして徹底的に大衆を蔑視したという。
ここまで、新聞記事引用
翻るに、今の日本はどうか。以下はわしの主観だから聞き流せばいい。一つの考え方であり、他の意見もあるだろう。
ネットには根拠がのあやふやな情報にあふれている。閉塞した環境におかれているものは、目立つ、刺激的な言葉に、考えることもなく反応してしまっている。
不特定の対象に向かって、誤った情報に基づいて理不尽に毒々しいことばを吐きかける。昔なら、言うことも恥であったであろうことを平気で叫ぶようになっている。日本人の一つの美徳であったろう恥の文化が消え去ろうとしている。
事実に基づかないものをあたかも事実だと強弁する。様々な都合のいい数値を並べ替えながら、いい面だけをひたすら強調し、外見だけ立派に仕立てる。
実行できてもいないのに出来ていると言い張る。安全である根拠が足らないのに、経済優先という思想をよりどころに安全だという。なにもかも、国民生活が優先という錦の御旗が掲げられているが、本当にそうなのか、その国民というのが、どういう国民をいっているのか教えてほしい。危機を訴え、某国に対抗するために、ひたすらお金を使うのに、足下のわずかで済む「国民の教育」に使うのには、ひたすら地味なのはなぜ。
それに対し、聞き触りのいい言葉に直接的に反応して、その裏側を見ようとすることを放棄し、情報を取捨選択する手段を持たないものは、盲目的について行く。
冷静になれば、判りそうなものなのに、誰もが同じ方向に行ってしまう。議論もそこそこに、ある意図された目標に突き進む怖さが、今の時代にはある。
もう一度、過去を勉強して、様々な先人の知恵を今一度立ち止まって聞く冷静さを持ちたい。