おでぶな、あらため太めのコーギーと迷い子猫と都会に帰りたいおじさんの切実なつぶやき! 

40代でUターンしたおっさんが、
田舎のなにもなさに飽きて、太めなコーギー
マリィと居候猫ピピに愚痴をつぶやくところ

久しぶりに、すこし遠くの笠山まで椿はどうかな

2017-01-03 22:48:23 | 日記

 

晴れたいい天気だから、笠山にある椿原生林にマリィと散歩がてら。ここは萩の城からみると鬼門の方向にあたるということで、入山禁止となっていたため手つかずの自然が残されている中国地方唯一の活火山(といっても、昔は死火山と呼ばれていた部類)。

椿原生林はこんなもの。背の高い椿の群生地。昔、このあたりまでは海の景色がいいので弁当を持ってきて遠足できてたけど、うっそうとして雑木林だった。近年、雑木を除いて、椿だけを残して整備したのだろうと思う。2月~3月の椿祭りが毎年開催されるので、ここ20年?くらいは知っているけど、それまでは顧みらなかった場所でした。見る限り結構な見栄えですね。

そんで、連れ回してごめんね、マリィさん。

入り口の案内板。笠山のさきっぽにあり、現在は整備されている。

椿はまだほとんど咲いてなかった。やはり、椿祭りの頃まで待たんといけんかったみたい。ちなみに椿祭りは2月~3月。

中に入れば、大きな木が群生、全部椿の木(おおやぶと書いてあった。ちなみにこやぶもある)。高さは目測10m以上あるかも。幹の割れ目のなかにはカタツムリがいっぱいいたけど、画像は気持ち悪いという娘がいるので割愛。

周辺全部、こんな景色で結構な芸術作品みたいな幾何学的な文様ぽい。これはこれで素晴らしい。

連理の椿(玄宗皇帝と楊貴妃が長生殿で誓った言葉の一説かららしい)と書いてあった。二本の木の枝がつながって一つになったものだそう。雑木が茂っていた頃押しつけられて癒合したらしい。すこし。卑猥に見えちゃうが、わしだけ?

すでに、ちらほら咲いているものもあり落ちている花びらもぼちぼち。

 

もうすこししたら、花びらの絨毯になるのでしょうが、わしは、なかなかタイミングが合わず見たことがない。次の画像は笠山展望台にあった画像引用。

これは、こやぶの花、いまはちらほら、すこし、汚いかも。

 

あんたは興味ないだろうね。椿の花びらがどうのこうのいってもねえ。

他に、笠山の入り口には、そのお昔噴火で海が閉じ込められた池(海水が出入りできる)があって魚がいるけど、ボラが多い。鯛らしきものもいることはいる。昔は、天然のクーラーといわれる風穴があって、サザエの壺焼きをオヤジとよく食べてた。

えさを狙って、鳶がくるようになってから、鳶にえさをあげる人が多く、うまいことえさをキャッチする。鳶とカラスがいっぱい。

1月3日、天気がよかったので、久しぶりにマリィちゃんを車に乗せて、すこし家から離れたところに行きました。

なお、話は正月の食べ物に代わるけど、いつもの恒例として正月は親戚からもらったトラフグの身欠きをへたくそだけど自分でひいて食べました。今年は通常よりだいぶ高いみたいだけど、従来よりおいしかった気がする。結局、このお皿(※後日談参照)2枚分弱ほどたべた。上の娘が東京にいたとき、山口の人はいつもふぐ食べているだろうと言われたらしいけど、それはない、年に1回くらいですよ。

明日から、通常通り仕事かい、ああ気が滅入る。お休み。

 

※ 後日談

フグの皿が小さいけど、本当はもっと豪華でしょうということがあることろからあって、普通のフグ皿(30cm以上)と比較しました。ほぼ同じか、今回の皿は深さがあるので表面積は今回のものが大きいと思います。失礼しました。豪華にいただきました。

上の画像だと、左上の茶碗が湯飲みのように見えてそう見えたかもしれませんが、煮物を入れる皿です。

 

 

 

 


初詣いって、ぐるり足を母校への感慨

2017-01-03 21:45:57 | 日記

 

初詣にマリィ連れて、産土神の春日神社へ。萩の人は松陰神社よりここが本当。やっぱり、正月の華やかさにすこしかけてます。

 

小さい神社だけど、旧萩市の中心部三角州内の産土神。うちんちの地鎮祭もやってもらった。一組ずつ並んで、鈴を鳴らして拝むのだけど、すこし高いところで一人するということで、後ろの注目を浴びて気恥ずかしかったのでろくにお願いもせずさっさと終えた。あとで娘に聞くと娘もそうだっったらしいから、顔かたちも性格もそっくりだということみたい。

 

面白くもないところにつきあわせて、退屈そうやね。

 

神社の前で、萩名物蒸気船まんじゅうを売ってたので、3個お願いすると、最後だからただでいいと言われた。思わず、今年は運勢がいいぞとおもった。蒸気船まんじゅうを売って人は元市役所職員で、伝統が廃れるということで、定年後技術を継承するためにやっているらしいから、もうける気はないんでしょう。とにかく、ラッキー。 でマリィにもお裾分け。

 

近くにある、わしの母校である萩高校にいったけど、門は変わってないけど、中の建物はすべて変わってる。ここは、昔火災に2度あっているし、わしの在学中か、前か、後か忘れたけどクラブの部室も燃えている。きっと、・・・の消し忘れだろう。

わしは、小中高の学校のうち高校が一番嫌いだったけどね。毎日、授業終了後の補修授業、模擬試験で成績が名前付きで発表されるし。といっても別に成績が悪かったわけじゃないんだけど、勉強嫌いだったし、強制的に勉強させられる雰囲気がいやだった。まあ、わしは小さい頃から通知表には欲がない、欲ががないと言われ続けてきたし、それは、大学行ってもそうだったし、就職してもそうだった。振り返ると、どっかで欲を出していたらと思うところも多少ある。

それと、結局3年間男子クラスだったし、花がなかったというのもあったかもしれん。だだし、フォークダンスは最後の3年のときにやった。今で考えるといい年こいたお兄さん、お姉さん方が身もだえして手をつないだことは、最近の若い人にはわからんだろうね。

左の角にある木造の、柔道場だけ当時のまま残っているみたい。当時は汗臭さ満点だったけど。柔道は結構今でも伝統があるみたいよ。

 

正門のところには、古い石が積み上げられ門が形作られているけど、なんなんかね。なんか説明しておけばいいんのに。それなりに周辺はいいところなのに。

 

校舎は全部変わって鉄筋コンクリートになっている。わしのときは、木造校舎でほんとぼろくそだった。サッカー部がないのにサッカー、ラグビーができる大きなグラウンド、野球部は別のところに専用球場も備えている、恵まれた環境にあるとは思う。昔は駅伝が強くて、全国大会常連だったが、近年は運動部は柔道以外はほとんど名前を聞かない。

体育祭の色は4色あって、それぞれ1中隊(イーグル)、2中隊(インディアン)。3中隊(クラウン)、4中隊(ミッキーマウス)という軍隊形式の名前で呼ばれていた。防衛大学校じゃないけど、棒倒しはほぼ喧嘩だった、創立150年くらいの伝統があるし、明治の名残がそのまま残されているんだろう。

 

マリィ、つきあわせてごめん。つまらんところだったでしょう。

以上が、元旦、さみしい環境ながらも思ったことでした。