この前見た映画は「終の信託」です。実際にあった事件を元にしたものと思いますが、簡単に言うと「死は誰かが決められるものなのか?」ってことです。実際にあった事件というのは川崎協同病院事件。喘息発作で心肺停止状態になって搬送された人に医師が筋弛緩剤を投与して死に至らしめた、というものです。詳しく知りたい人は「川崎協同病院事件」で検索してみてください。ものすごくたくさんの記事がヒットします。
娘の高校の入学説明会の時、娘とずっとおしゃべりしていて「お墓に入りたくない。遺骨は瀬戸内海に散骨してほしい」というようなことを話していました。死んでしまったら散骨してもらうとして、今時は死ぬのもなかなか大変です。事故とかで即死なら簡単、というか悩む余地もありませんが、何かのきっかけで自分の意識がなくなってから人工呼吸器を付けられたり気管切開とかされてしまうと回復の見込みがない場合にも生命維持装置をいつはずすか、はずさないかとか自分では決められないのです。自分的には回復の見込みがないなら延命はしてほしくない。でも、痛いのとか苦しいのはイヤ。そして「回復の見込みがあるか」って一人の医者の独断で決めていいのか?って疑問もある。「朝起きてこないな、と思ったら死んでた」というのが理想なんだけど。
色々考えさせられる映画でした。
今日はキムチ鍋。←またかよ。この前の日曜日もキムチ鍋だったよね。
これは我が家のキムチ鍋には欠かせないチーズ。遺跡からの出土品ではありません。