今日のTV、アンビリバボーという番組を見ていた。
その中で、中村久子の生涯という本の中の、
『人間は自分で生きているのではない 生かされている
どんなところにも必ず生かされていく道がある 人生に絶望なし』
という言葉が紹介された。
いろんな公演や人の自叙伝の中に出てくる言葉ではあるが、
当たり前のようであって、当たり前に感じることが出来ない。
いったいなにが自分に与えられた道なのか?
今、なにが自分に出来るのか?
目先のことばかりに振り回され、
長い人生の方向性を、いまだに決められていないのかもしれない。
この年になっても考えることは限りなく、
終着点など、到底見える訳もなく・・・
ほんの些細なことでもいいから、
自分の功績を残せたらと考える方は多いことだろう。
勝ち組と負け組という言葉があるが、
周りが客観的に見た判断であって、
当の本人は、十分満足しているのかもしれない。
逆に勝ち組と呼ばれる人の中には、
本当は自分自身の中で満たされていない方もいるのかもしれない。
この年でって思うより、
これから先、いつまでも必要と求められる人生を送りたいものである。
絶望を感じる人生は、この世にはないらしい・・・
その中で、中村久子の生涯という本の中の、
『人間は自分で生きているのではない 生かされている
どんなところにも必ず生かされていく道がある 人生に絶望なし』
という言葉が紹介された。
いろんな公演や人の自叙伝の中に出てくる言葉ではあるが、
当たり前のようであって、当たり前に感じることが出来ない。
いったいなにが自分に与えられた道なのか?
今、なにが自分に出来るのか?
目先のことばかりに振り回され、
長い人生の方向性を、いまだに決められていないのかもしれない。
この年になっても考えることは限りなく、
終着点など、到底見える訳もなく・・・
ほんの些細なことでもいいから、
自分の功績を残せたらと考える方は多いことだろう。
勝ち組と負け組という言葉があるが、
周りが客観的に見た判断であって、
当の本人は、十分満足しているのかもしれない。
逆に勝ち組と呼ばれる人の中には、
本当は自分自身の中で満たされていない方もいるのかもしれない。
この年でって思うより、
これから先、いつまでも必要と求められる人生を送りたいものである。
絶望を感じる人生は、この世にはないらしい・・・