唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学存在論 解題(2.弁証法と商品価値論(5)価格主導の市場価格決定)

2020-03-13 07:25:00 | ヘーゲル大論理学存在論


17)商品需給による市場価格決定

 商品需給が市場価格を決定するとの考えでは、次の動きを想定する。


・商品購入量は、購入価格の増減と逆方向に増減する。
・商品販売量は、販売価格の増減と順方向に増減する。


 上記が想定する商品価格に対応する購入量と販売量の動きを、縦軸に価格、横軸に需給量の座標で表わすと、価格に対応する各商品量の動きは、次の二つの曲線で現れる。

 (17Ⅰ)購入価格の増減の反対方向に増減する購入量の曲線
 (17Ⅱ)販売価格の増減と同方向に増減する販売量の曲線

 この二つの曲線は、需要と供給において同じ価格に対する商品量を異なる値で決定する。しかしその購入量と販売量の不一致は、それぞれに対して現れる購入価格と販売価格が補正する。販売量に比して多すぎる購入量は、購入価格高騰により減少を促され、あるいは購入量に比して少なすぎる販売量は、販売価格高騰で増加を促される。逆に販売量に比して少なすぎる購入量は、購入価格下落により増加を促され、購入量に比して多すぎる販売量は、販売下落で減少を促されると考えられる。この補正は購入量と販売量の一致において収束するので、二曲線の交点座標の需給量と商品価格が、それぞれ需給均衡量と市場価格となる。座標で見る限り、需給量の増減が需給価格に連動するのと同様に、需給価格の増減も需給量の増減に連動する。それゆえに一見するとこの表現は、それぞれ次の曲線に代替可能に見える。

 (17Ⅲ)販売量の増減の反対方向に増減する販売価格の曲線
 (17Ⅳ)購入量の増減と同方向に増減する購入価格の曲線

上記の(17Ⅰ)(17Ⅱ)と(17Ⅲ)(17Ⅳ)は、似ているが、前者二つと後者二つで価格と需給量の規定関係が逆に表現されている。すなわち前者二つは価格が需給量を決定する需給曲線であり、後者二つは需給量が価格を決定する需給曲線になっている。前者の商品価格を規定するのは、意識の恣意である。しかし後者はこの商品価格の恣意を補正し、それを新たな商品価格と入れ替える。もちろん新たな商品価格がまだ恣意的であるなら、それは再び後者により補正される。その商品価格の補正は、最終的に商品価格が市場価格に収束するまで続く。この商品価格の補正運動は、精神現象学の冒頭での虚偽的思いみなしの補正が終局に物として真理を現わす運動を彷彿とさせる。その弁証法に従えば、購入者にとっても販売者にとっても市場価格は不可知であり、だからこそ両者は恣意的な価格を擁立する。しかしこの恣意的価格は需給量による規定を経て真の価格へと変化するものである。言うなればこの現れ出た真理は露呈した物自体であり、その認識である。それゆえにその補正運動は、それ自身が物自体の認識運動だったと説明される。この弁証法は大論理学存在論では、質論における限定存在についての記述や度量論における比率的量についての記述に対応するが、あまり判然としない。むしろ大論理学本質論での実存論における実存超出の記述の方が、この弁証法の説明に該当する。この解釈に従えば、需給均衡に現れる市場価格を規定するのは、需給量であり、恣意的価格ではない。すなわち需給量が価格を規定するのであり、価格が需給量を規定するのではない。それゆえに恣意的価格が市場価格を規定すると考えるのは、価格が価格を規定する自家撞着に落ち着く。そこで以下ではこの観点に従い、この自家撞着がもたらす諸難点を確認する。


18)価格主導の市場価格決定の動き

 もともと価格と商品量の座標で(17Ⅰ)の曲線が下り坂になり、(17Ⅱ)の曲線は上り坂になるとおおざっぱに考えられているが、その詳細は次のような商品価格の需給量への連動だと解釈される。


 18Ⅰ)商品価格の高騰がもたらす需給量の動き
  18Ⅰ1) 購入価格の高騰は、高騰前後で購入者の同一額の購入商品量を減らす。
       購入価格が不当に高ければ購入者は商品の購入を断念し、購入量はさらに減少する。
       そうでなければ購入量は減少することはなく、とりあえず現状を維持する。
  18Ⅰ2) 販売価格の高騰は、それ以上の原価の高騰が無い限りで、高騰前後で販売者の同一商品量の販売収益を増やす。
       それが販売者に商品の大量販売を促せば、販売商品量は増加する。
       そうでなければ販売量も増加することは無く、とりあえず現状量を維持する。
  18Ⅰ3) 販売価格が高騰でも、それ以上の原価の高騰があれば、高騰前後で販売者の同一商品量の販売収益を減らす。
       極端な原価の高騰は、販売収益を赤字に転じるかもしれない。
       販売損失は、販売者に商品の販売を断念させ、販売商品量を減少させる。
       そうでなければ販売量も減少することはなく、とりあえず現状量を維持する。
 18Ⅱ)商品価格の下落がもたらす需給量の動き
  18Ⅱ4) 購入価格の下落は、下落前後で購入者の同一額の購入商品量を増やす。
       それが購入者に商品の大量購入を促せば、購入量はさらに増加する。
       そうでなければ購入量も増加することは無く、とりあえず現状を維持する。
  18Ⅱ5) 販売価格の下落は、それ以上の原価の下落が無い限りで、下落前後で販売者の同一商品量の販売収益を減らす。
       極端な販売価格の下落は、販売収益を赤字に転じるかもしれない。
       販売損失は、販売者に商品の販売を断念させ、販売商品量は減少する。
       そうでなければ販売量も減少せずすることはなく、とりあえず現状量を維持する。
  18Ⅱ6) 販売価格が下落でも、それ以上の原価の下落があれば、高騰前後で販売者の同一商品量の販売収益を増やす。
       販売増益は、販売者に商品の大量販売を促し、販売商品量を増加させる。
       そうでなければ販売量も増加することは無く、とりあえず現状量を維持する。


19)価格主導の市場価格決定の問題

 上記18)で示した価格主導の市場価格決定の動きは、必ずしも価格主導の需要曲線理解に合致しない。当然ながらその需要曲線は、座標において右肩下がりの曲線にならず、その供給曲線も右肩上がりの曲線にならない。そもそもそれらの曲線は、単一な曲線として描けるかどうかも怪しい。そのような需給量変動の不明瞭さの要因は、次のような事情に従う。

18Ⅰ1)の価格高騰による購入量の減少は、価格主導の需要曲線理解に合致する。しかしこの理解は、しばしば購入商品量に対する購入者の執着と対立する。そのような購入者は価格高騰に対し、可能な範囲で赤字覚悟の商品購入を続ける。言うなればそれは、購入者自身による需要曲線の引き直しである。もちろんこの場合に需要曲線は、価格ではなく購入量に規定される。

18Ⅰ2)の価格高騰による販売量の増大は、価格主導の供給曲線理解に合致する。ただしその価格主導は、価格高騰を超える原価高騰が無いのを前提にする。それは供給量の規定者に、販売価格ではなく商品原価を擁立する。しかし価格が価格を規定するこの無限循環は、価格の規定者として意識の恣意と労働力の二択を用意する。当然ながら供給量の規定者も、意識の恣意と労働力の二択で現れることになる。

18Ⅰ3)の価格高騰での販売量の減少は、価格主導の供給曲線理解と合致しない。ただしこの非合致も、価格高騰を超える原価高騰があるのを前提にする。このことは供給量の規定者に商品原価を擁立し、最終的な供給量の規定者に、意識の恣意と労働力の二択を用意する。

18Ⅱ4)の価格下落による購入量の増大は、一見すると価格主導の需要曲線理解に合致する。購入者に対して下落した価格は、下落以前よりも同一額で買える商品を多くする。考え方によれば、このことは購入者の単に消費欲を刺激するだけでなく、安くなった商品を使った新たな商品使用場面を増やし、購入量を増やしそうである。しかしそもそも下落した価格において、購入者は必要商品量を既に購入できている。ここで購入量を増大するのは、商品価格のさらなる高騰を誘導する。それは購入者の消費欲に反する。それゆえに価格下落による購入量の増大は、単なる可能性に留まる。

18Ⅱ5)の価格下落による販売量の減少は、価格下落を超える原価下落が無い限り、価格主導の供給曲線理解に合致する。しかしこの理解は、しばしば販売商品量に対する販売者の執着と対立する。そのような販売者は価格下落に対し、可能な範囲で赤字覚悟の商品販売を続ける。言うなればそれは、販売者自身による供給曲線の引き直しである。もちろんこの場合に供給曲線は、価格ではなく販売量に規定される。ここでの販売者は、18Ⅰ1)の購入者と裏表の一体の関係になっている。両者は、資本主義的な利益関係から外れた小資本家的相補関係で連繋しており、それゆえに両者による需給曲線の引き直しが可能となっている。したがって両者は、価格主導の商品量規定の生きた反証である。ここでの価格主導の供給曲線理解との合致は、価格下落を超える原価下落が無いのを前提にする。このことは供給量の規定者に商品原価を擁立し、最終的な供給量の規定者に、意識の恣意と労働力の二択を用意する。

18Ⅱ6)の価格下落での販売量の増大は、価格下落を超える原価下落があるなら、価格主導の供給曲線理解と合致しなくなる。販売収益の増加は、販売者の致富欲を刺激し、販売量を増やしそうである。しかしそもそも下落した価格において、販売者は販売増益を既に確保している。ここで販売量を増大するのは、商品価格のさらなる下落を誘導する。それは販売者の致富欲に反する。それゆえに価格下落での販売量の増大は、単なる可能性に留まる。ここでの価格主導の供給曲線理解との非合致も、価格下落を超える原価下落があるのを前提にする。このことは供給量の規定者に商品原価を擁立し、最終的な供給量の規定者に、意識の恣意と労働力の二択を用意する。


20)価格主導の市場価格決定についての総括

 上記6ケースの記述は、いずれも需要と供給の各側面だけを見ると、価格変化に対応する商品量の増減は一方向の変化である。しかし需要と供給のそれぞれ3ケースをひとまとめにして商品量の動きを見ると、その増減の動きは正反対のものを含んでいる。したがってもともとそれらがもたらす商品量の増減は、市場において相殺され、その変化方向を定めることができない。このような変化方向の不定に対し、その分析を省く思考は、購入側と販売側の商品量変化を起こす圧力の強い方が、商品量変化の方向を決めると考える。それは、変化圧力の強さを決めるものが市場価格を規定すると言うのと同じである。その規定者とは、変化圧力を維持する強い意志である。ところが上記では、この観念論を避けようとして分析の手間を省いたわけではない。それにも関わらず上記では最終的な供給量の規定者に、意識の恣意と労働力の二択が現れた。ここでもし意識の恣意が供給量を規定するなら、最初から価格を材料にして需給曲線を描いた理由は無い。市場価格を決めるための需給分析は、無駄な遠回りさせられただけとなる。この結論が導くのは、意識の恣意が市場価格を規定するとの経済学的直観主義である。このような思考は、風が吹けば風を吹かす風の精霊を想定し、不幸が起きれば不幸を招く悪鬼を想定するような科学以前の思考パターンである。しかし求められているのは、それらの精霊や悪鬼の正体を示すことであり、それらを精霊や悪鬼として放置することではない。闇夜の黒牛の直観は、理性の明るみへと引き摺り出されなければいけない。これらの解釈上の不都合は、上記の価格主導の需給曲線理解に由来している。すなわちこの不都合は、価格を需給曲線の規定者に扱ったことに由来する。ただしこのような解釈上の不都合は、商品量主導の需給曲線理解にも付きまとう。価格は商品量規定の媒介者として登場するからである。しかし商品量主導の理解は、価格を度外視して商品量を労働力量から説明することが可能である。このためにそれは、需給曲線に関する不都合を死滅する基礎をもともと備えている。また労働価値論が要請されるのは、そのように需給曲線に関する不都合を死滅させるためである。


(2020/02/24) 続く⇒((6)需給量主導の市場価格決定) 前の記事⇒((4)需給曲線と限界効用曲線)


ヘーゲル大論理学 存在論 解題
  1.抜け殻となった存在
  2.弁証法と商品価値論
    (1)直観主義の商品価値論
    (2)使用価値の大きさとしての効用
    (3)効用理論の一般的講評
    (4)需給曲線と限界効用曲線
    (5)価格主導の市場価格決定
    (6)需給量主導の市場価格決定
    (7)限界効用逓減法則
    (8)限界効用の眩惑

ヘーゲル大論理学 存在論 要約  ・・・ 存在論の論理展開全体

  緒論            ・・・ 始元存在
  1編 質  1章      ・・・ 存在
        2章      ・・・ 限定存在
        3章      ・・・ 無限定存在
  2編 量  1章・2章A/B・・・ 限定量・数・単位・外延量・内包量・目盛り
        2章C     ・・・ 量的無限定性
         2章Ca    ・・・ 注釈:微分法の成立1
        2章Cb(1) ・・・ 注釈:微分法の成立2a
        2章Cb(2) ・・・ 注釈:微分法の成立2b
         2章Cc    ・・・ 注釈:微分法の成立3
         3章      ・・・ 量的比例
  3編 度量 1章      ・・・ 比率的量
        2章      ・・・ 現実的度量
        3章      ・・・ 本質の生成


唯物論者:記事一覧


コメントを投稿