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国鉄クハ55形1
須磨・塩屋間の下り緩行線を走る、クハ55325。
これも戦前形40系57形(サハ57)の、制御付への改造車。
昭和14年製造車を、昭和35年度に改造して誕生した。
国鉄クハ55形2
阪和線、大和川橋梁を渡るクハ55314 天オト所属 浅香駅から、杉本町方面を望む。
天王寺・鳳間の区間各停。 阪和色(薄朱色)に塗られたクハ55形300代
旧40系サハ57形を、昭和34年に運転台取付改造した車両。
国鉄クハ55形3 クハ55163 明石電車区電留線で。
何度も電車区に出入りしていると、整備の方たちと知り合いになれるし、 撮りやすい場所に留めてくださる。
この場所は、本線との間に広い空き地が広がっている為、
架線の影も、草むらなどの影も全く入らず、クモハ51やクハ55などの大阪寄り先頭車を撮るには、絶好の場所。
国鉄クハ68形
クハ68086 大アカ 大阪駅緩行線ホーム。
戦前形の51系で製造当初から、電動設備のない制御車として登場した形式。
国鉄70系クハ76形1
子どもしか撮らなかった当時、動くものは苦手だった気がするが、余った時間を 鉄道写真に使った。
カメラを持った最初期の画像だと思う。
複々線化されていた、明石・西明石間のほぼ中間に位置する場所で、
国道175号線道路から一段高い位置に神社があり、その階段付近を 撮影場所にしていた。
各駅停車は、西明石駅が始発・終着となっていた。
51系、63系に続いて70系が登場したが、
主力にはならず103系に置き換わっていったから 70系車両の画像は殆どない。
国鉄70系クハ76形2
阪和線各停、天王寺・東岸和田間区間運行
クハ76315+モハ70076+モハ70316+クハ76310 横須賀線塗色で運用されていた。
国鉄70系クハ76形3
区間快速運用 堺市・鳳間快速、以南は和歌山まで各停 ←和歌山クハ76094+モハ70319+モハ70075+クハ76079天王寺→
国鉄70系クハ76形4
クハ76097 横須賀線の置き換え用として作られた為に、従来からの塗色だったが
東海道・山陽緩行線投入のためブドウ色と呼ばれる塗色で登場した。
その為に、「茶坊主」の愛称が付けられていた。
後に、天王寺区へ転出し横須賀線塗色されて阪和線運用となっている。
国鉄70系クハ76形5
区間快速の前サボ付き ←和歌山クハ76310+モハ70317+モハ70313+クハ76315天王寺→
国鉄70系クハ76形6
クハ76を先頭にした2編成が留置されていた。
高尾までは103系の快速・特別快速が運転され、以西はこの70系が甲府まで運行していた。
国鉄クハ79形1
63系クハ79を最後尾にした7連の東海道・山陽線緩行電車。
103系新性能電車登場までは、ほぼこの編成で基本運用となってた。
中間には、戦前形の51系車両(3扉車)が挟まっていた。
【訂正】大阪方はクモハ73、西明石方がクハ79なので、この車両はクモハ73形
国鉄63系クハ79形1
改造も含め、様々な車両が同一形式に入っていた旧型国電。 比較的旧63形の面影を残しているタイプだが、 運転席側の窓枠はゴム補強されている。
国鉄クハ79形2
クハ79040 量産型のクハ79が登場する前に登場した改造車。 種車は、42系サロハ46形。
2・3等合造車のクロハ59→4扉化クハ85形→改番クハ79形30番台と変遷した。
国鉄63系クハ79形4
昭和49年当時、まだ旧型車両が全盛だった。
この年の夏以降、103系が順次投入され始めた。
従って、明石電車区の電留線は時折113系が居たが大半は、51系、63系であった。
国鉄63系クハ79形3クハ79034
63系改造ではなく、旧42系クハ58形改造車 クハ79034は、製造時の車番はクハ58004である。
国鉄63系サハ7819663系モハ63時代、サハ代用だった車両群から、運転台を撤去して完全にサハ化した車両。
国鉄63系クハ79形2ハ79106
ほぼ原型のモハ63形のまま、クハ化されたクハ79100台。
モハ63時代も、クハ代用だったために、そのままクハ79に編入されている。
国鉄63系クハ79466
中央線運用の70系、横須賀線塗装のクハ79形
国鉄80系クハ86形1 クハ86358他4両編成
国鉄80系2 クハ86、初期タイプ。
初期のクハ86形(000-020)は、正面三枚窓だった。 昭和24年度製造の1次形である。
国鉄80系クハ86007
岡山駅以西に運用が残っていた80系。 先頭は、1次形の三窓タイプ
国鉄80系3
クハ86併結 岡山駅に、まだ80系が健在だった頃。
国鉄クモハ51+クハユニ82
クモハ51206+クモユニ81002 岡山駅の赤穂線ホームに停車していた各停。
岡山方には郵便・荷物合造車のクモユニが連結されていた。
国鉄クモハ51系
元町駅ホーム東端から、三宮方面を望む。
右の奥の建物は、そごう百貨店。 昭和41年頃の画像
国鉄クモハ51系2 岡山電車区 クモハ51206
左にグリーン帯の残るサロ153+半室ビュッフェ車両のサハシ153
右はクハ86先頭の山陽線ローカル
昭和50年1月、新幹線博多延伸開業で姿を消すことに決まった、
特急つばめ、はとを撮るために岡山に出かけた折の画像。
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国鉄クモハ12形
クモハ12011広ヒロ 可部線運転所
国鉄クモハ12形1
可部線運転所。 クモハ11が5両、クモハ12が6両、クハ16が9両在籍していた。
画像のクモハ12055は、31系モハ31形。
1953年にモハ11200代に改番されたものを両運転台車に改造してもの。
改造前の車両番号は、クモハ11260である。
国鉄クモハ12形2
可部運転所のクモハ12017+12055 右は、可部線上りで先頭車はクハ11205
クモハ12010-018は、モハ31形の両運改造車モハ34。
改番、改正でクモハ12に編入された。
クモハ12050-055は、モハ31形を鶴見線用に改造し、クモハ11として登場したもの。
その後、055のみ可部線に配属された。
国鉄クモハ20形
阪和電気鉄道が、併走していた南海電鉄に買収され、
のちに軍事上の要請で大阪・和歌山の短絡線として半ば強制的に、国鉄化されたのが、阪和線。
旧阪和電気時代の車両を、戦後国鉄形に改造されたが、 色濃く旧型車のイメージは残っていた。
電車は二両連結、種車はモタ300形。
モは電動車、タは縦座席車の意味(ロングシート) モヨは、横座席車(クロスシート)だった。
阪和線天王寺駅は、大阪環状線とは乗り入れしていなかった当時、別世界のような雰囲気も残っていた。
国鉄クモハ20形2 阪和線区間運転の社形国電。
戦時下に買収された私鉄形は、買収国電或いは社形国電と言われた。
車幅、車長、電装設備などが異なるものも多く、
在来線との 乗り入れが必要なかった時代は、電気系統の変更以外、殆ど手を加えられなかった。
国鉄クハ25形
旧阪和電気時代の面影を色濃く残した車両。
天王寺駅の大きな二階ドーム形の行き止まりホームからの発着だった。
国鉄クモニ13形
木造車の鋼体化改造で生まれた50系、車体長16メートル。
モハ50、クハ65、サハ75の三形式が登場した。
クモニ13形の登場は、50系モハ53形の鋼体化の課程で生まれている。
国鉄クモニ83形
国鉄舞子駅東端からの画像。
現在は、明石海峡大橋の取付道路が駅の遙か上部を走っている。
国鉄クモニ83形
横須賀線塗色車が東海道線を走っていた。
画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。
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昔、鉄ちゃんがいました 国鉄編 -1 -2 -3 -4
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【その後に纏めた画像】
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