『天地の神にぞ祈る朝凪の海のごとくに波たたぬ世を』
『あめつちの、かみにぞいのる、あさなぎの、うみのごとくに、なみたたぬよを』
昭和天皇御製 昭和八年 歌会始 お題、『朝海(あしたのうみ)』
昭和六年満州事変が勃発、昭和七年上海事変5.15事件と続き
この国が、暗黒の渦に飲み込まれてゆくのを憂いて読まれた一首です、
昭和天皇が、如何に戦いを、望まれなかったのが良くわかります。
私たちの生誕が、此の御製の出来た翌年です、平和を願って此の御製を
四〇歳の厄年に奉納しました。なぜかと言えば、昭和一六年に大東亜戦争勃発
昭和二〇年敗戦幼少の頃に体験した、戦争は二度としてはならぬと、感じた
からである。昭和五〇年奉祝記念。
・・・ニコニコ (^_-)-☆ 情夜灯。
冤罪とはっきりわかります、今の天皇が生誕された年に詠まれた、歌ですからね、当時の世相が軍国主義の盛りの頃ですから、昭和天皇も、軍に佐治吃んぼに置かれていたと解釈します、我ら少年期に戦争勃発、不自由な生活を強いられて、あの難儀は、二度としたくはない。
平和の世の中が続くことを願いたいですね。
40年間雨風に晒されても、確り読み取れます、同年の仲間10名で奉納しましたが、友の中には、3名ほど他界
しました、今もコの句碑を見るたびに、平和で有れと祈り続けています。
詠まれた御製を、読めば、当時の日本国軍の参謀の
勇み足と明らかに判る、戦犯の、首謀「東條元帥」であった。