快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み身近の被写体を撮り歩く暇爺。

天神さんの梅まつりのブログで今上天皇の御製が読めないとのご指摘が有りました再度ブログをします。

2017年02月18日 21時23分05秒 | 家具買い替え

『天地の神にぞ祈る朝凪の海のごとくに波たたぬ世を

『あめつちの、かみにぞいのる、あさなぎの、うみのごとくに、なみたたぬよを』

昭和天皇御製 昭和八年 歌会始 お題、『朝海(あしたのうみ)』

昭和六年満州事変が勃発、昭和七年上海事変5.15事件と続き

この国が、暗黒の渦に飲み込まれてゆくのを憂いて読まれた一首です、

昭和天皇が、如何に戦いを、望まれなかったのが良くわかります。

私たちの生誕が、此の御製の出来た翌年です、平和を願って此の御製を

四〇歳の厄年に奉納しました。なぜかと言えば、昭和一六年に大東亜戦争勃発

昭和二〇年敗戦幼少の頃に体験した、戦争は二度としてはならぬと、感じた

からである。昭和五〇年奉祝記念。



最新の画像もっと見る

18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (毎日日曜大工)
2017-02-18 23:33:26
読めました。
返信する
快談爺さんへ  (温泉ドラえもん)
2017-02-19 07:34:56
 ほお~、厄年の時に奉納されたとはねえ。平和を希求する心がうかがわれますねえ。
返信する
毎日日曜大工様 (快談爺)
2017-02-19 08:23:34
ご理解できました?、カメラマンがヘボいのですみませんでした。
返信する
ありがとう (・・・ニコニコ (^_-)-☆ 情夜灯。)
2017-02-19 08:26:34
又一つお利口になったな
・・・ニコニコ (^_-)-☆ 情夜灯。
返信する
温泉ドラえもん様 (快談爺)
2017-02-19 08:37:54
昭和天皇が、第二次世界大戦の戦犯と指名されたことを、思いだせば・・・此の歌を詠まれて、居ることを思えば、身も心も冷え切ってしまい、
冤罪とはっきりわかります、今の天皇が生誕された年に詠まれた、歌ですからね、当時の世相が軍国主義の盛りの頃ですから、昭和天皇も、軍に佐治吃んぼに置かれていたと解釈します、我ら少年期に戦争勃発、不自由な生活を強いられて、あの難儀は、二度としたくはない。
返信する
情夜灯様、他愛もないブログに (快談爺)
2017-02-19 08:57:09
コメント下さって有難う御座います、今の日本もこの時代に逆戻りしないかと心配です、子孫達の苦労が目に見えていますから、今の日本は、平和で住み良いですね。
返信する
良い句ですね (もっくん)
2017-02-19 11:30:42
本当ですね。
平和の世の中が続くことを願いたいですね。
返信する
もくん様 (快談爺)
2017-02-19 12:56:49
子の句碑を40年前に天神さんに奉納しました、色褪せず
40年間雨風に晒されても、確り読み取れます、同年の仲間10名で奉納しましたが、友の中には、3名ほど他界
しました、今もコの句碑を見るたびに、平和で有れと祈り続けています。
返信する
なるほど (Mota)
2017-02-20 09:16:10
なるほど、昭和天皇のお気持ちが良く現われたお歌ですね。
返信する
Mota様、コメント有難う御座います (快談爺)
2017-02-20 10:24:07
第二次世界大戦の戦犯に、と戦後の動乱の時に、冤罪にされるところでありましたが、昭和天皇33歳の時、
詠まれた御製を、読めば、当時の日本国軍の参謀の
勇み足と明らかに判る、戦犯の、首謀「東條元帥」であった。
返信する

コメントを投稿