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観照の小径



柴犬アミをつれて毎日散歩する林の小径に立つコナラの樹。
右下の緑の葉は冬に落葉しないカシの樹。
誰ひとりこの小径を通るひとはありません。



右下の道です。
京都の「哲学の道」とは大違い。
京都の画学生だった若い日、水路わきのあの道をよく歩きました。
京都の哲学者・西田幾多郎がひたいに油汗して沈思黙考した道。
もともとは「思索の小径」といわれていた。

急に有名になって観光コースになり
たくさんのお店ができました。



散歩コースのこの小径はお米を作る季節には
小さな溝が田をうるおす農業用水路になります。
今は一部、ちょろちょろと流れています。

その小さな水音を聞きます。
鳥のさえずりも聞こえます。
風の音も聞こえます。
アミの四本足が落ち葉をかさこそ踏む音も聞こえます。

この小径を歩くときは思索しません。
思索するとこの季節のこのときにしかない美しさ豊かさを
見過ごしてしまうから。



小径の水路にたまる落ち葉。
呼吸にも気づきます。
呼吸は意識のベクトルを内側に向けるきっかけになります。
そのとき鳥のさえずりが聞こえたらそれにも気づいています。

この小径は「哲学の道」ではありません。
僕たちにとって「観照の小径」です。