うんたま森のキジムナー

45周年

初めて宮古島に来たときは、那覇の南西航空の
ターミナルから国産機のYS11型プロペラ機だった。
宮古島の空港もユニークな建物で「花笠空港」と
呼ばれていた。

南西航空(現JTA)は、今年で45周年を迎える。
当時は航空運賃も高かった・・・・
45年前の事は知らないけれど、私がこの島にやってきて
25年余り、あの頃、飛行機に乗ってくる地元の人は、
ネクタイをしめてちゃんとしたかっこうをしていた。
サンダルにヨレヨレTシャツの私は、回りから冷たい視線を
感じていたような気がする。

ジェットに乗って着陸したら、エンジンのカバーが開く式の
飛行機にはビックリしたことがある。
あの頃はスチュワーデスさん(デスさん)と呼んでいた。
「デスさん!エンジンのカバーが外れたでぇ~」
大声を出してしまった。
今では笑って話せるが、離島を飛ぶ飛行機なんて、どこかの
払い下げのスクラップという思い込みがあったのだろう。

今では、那覇―宮古は、バスか電車に乗るような感覚で
利用する。実際にタクシーで東平安名岬に行くより
安いわけだ。最近では、那覇―宮古間の航空運賃より、
待合室で飲むビール代のほうが高くつくときがある。


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