うんたま森のキジムナー

イモ

百姓と言って、子供の頃、祖母にこっぴどく
叱られた。「お百姓さんと言いなさい」
「世の中で一番強いのはお百姓さんやで、
ど偉い社長さんも、大金持ちもイモ一つ
作ることが出けへんのや」この言葉が心に残って
いて、農業をしている知り合いに
イモの作り方を習ったことがある。

イモの葉っぱを植えると、土の中でイモが育つと
知ったときは驚いた。簡単そうで、これがなかなか
うまく育たない。本土復帰前頃は、ほとんどの家庭が
イモを主食としていたそうだ。
沖縄=紅イモと思う人が多いようだが、オバァや
知り合いから頂くイモは、ほとんどが紅イモでは
ない。種類は知らないけれど、よく焼き芋にされる
皮の赤いサツマイモでもなく、色はジャガイモの色を
している。おそらくこの種のイモが中国から
琉球に伝わり品種改良されてサツマイモとなった
のだろう。

大陸(中国)からイモの苗を琉球に持ち帰った人が
いて、儀間真常と言う人が沖縄でイモの普及栽培に
努めた。歴史にイモが登場してくるのが1615年、
三浦按針(ウィリアムアダムス)映画、将軍に
出てくる主人公の外人と言ったほうがわかりやすい。
三浦按針が琉球から本土へ持ち帰ったのが最初だ
そうだ。イモの発祥の地は九州だと言う人がいるが、
大陸から琉球、琉球から本土が正解!
イモの歴史など知っても食べられない。人が生きて
いく為にはイモの栽培の仕方くらい
学校で教えてもいいんじゃぁないかな。

南岸「顔面岩」。

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