うんたま森のキジムナー

死生観

沖縄の仏壇は、本土の仏壇とは少し異なり、かなり
コンパクトだ。家の中には台所のヒヌカン様をはじめ、
トイレ、玄関などに神様が住む。
仏壇に手を合わせるオバァは、
「今日も無事に過ごせますように」

海人の家なら「大漁して無事に帰ってきますように。」と拝む。
大漁・・・・?それは欲だな。

「オバァ、もしかして宝くじを買ったら、当たるように
お願いする?」と聞いたことがある。帰ってきた答えは
「当たり前さぁ」
「でも、当たらないよね。」
「そりゃぁそうさぁ、まだ神様になっていないからさぁ」
ずっと前にこんな話から沖縄の死生観に興味を持った。

沖縄と一口にいっても離島を含めれば、考え方習慣も若干異なる。
沖縄では、人が亡くなれば、神になる。
御嶽などに祭られているのは、元々実在した人物の墓も多い。
じゃぁ、オバァが言った、「まだ、神様になっていないから・・・・」
沖縄ではあの世のことをグソーと言う。
よくニライカナイと混同されるが、ニライカナイは、海のむこう
西にずっと行ったところにある神の国(ユートピア)
沖縄にはグソーの正月と言われる旧16日 清明(シーミー)が
あり墓の前で親族が集まり亡くなったご先祖様と
グソー(あの世)の正月を祝う。

つまりグソーとこの世を隔てているのは、墓の扉で
墓の門である扉はグソーへと通じる入口のようなもの。
沖縄では人が亡くなると普通はグソー(あの世)へ旅立つ。
そしてグソーで33年間という月日を暮した後、ニライカナイへと
行き神になる。

沖縄ではすべての出来事、そしてこれから起こること、
明日の天気もオジィの寿命も
何もかもすべて神様が決めることであるのだ。


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コメント一覧

ゆう
そうなんですか!すごい助かりました、ありがとうございます(´▽`)
とても素敵なおばあちゃんですね^^
kijimuna
清明は旧暦の2月の終わりごろで、旧16日は、
旧暦の1月16日です。清明もジュウロクニチも
お墓のお掃除をしてから、先祖様と一緒にごちそうをたべます。やることは同じですが、ジュウロクニチはあの世の正月といわれ、清明は一説にあの世のお盆という人もいます。
kijimuna
どうぞ どうぞ お使いください。
清明祭と宮古島のジュウロクニチは違いますよ。私でよければ、いつでもお力にならせていただきます。
ゆう
突然すいません。高校の夏休みの宿題で沖縄の民俗文化の死生観を調べて来いと言われたのですが、清明祭がこのページでいうあの世の旧16日にご先祖様と正月を祝うこと、で合っていますか?良ければこのページを参考にさせてもらいたいです(´▽`)長文失礼しました。お返事くださると助かります!
まゆり
みんな、連休で大集合やで~。
きみかずも早く来れたらいいのになぁ(^O^)
まゆり
泉くんには、「死生観」でなく「素潜り」を
今度教えてさしあげます。
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