1959年のサラ台風、1966年のコラ台風、そして68年デラ台風と
大きな台風で被害を受けて、そのほとんどの赤瓦の家は
吹き飛ばされた。
現在でもわずかに残ってはいるが、空き家であったり人の
住んでいる赤瓦の家は少ない。
今では赤瓦の職人さんじたいがいなくなっている。
八重山の竹富島は、重要伝統的建造物群保存地区に
指定されていてすべての家が赤瓦となっている。
私の知り合いに、サラ台風 デラ台風 コラ台風にも赤瓦が
飛ばされなかった人がいる。
集落内のすべての家の赤瓦が飛ばされたのに、たった一軒だけ
飛ばされなかった。
当時は子供だったのでわからなかったそうだが、大人になって
家を改修するとき瓦一つ一つが縛り付けられてあったそうだ。
「ウチのオジィはすごかった。」と言っていた。
私の同級生に瓦職人がいる。
「瓦を拭くというのは瓦を編むということ」だとよく言っていた。
九州の地震で熊本城の瓦が落ちたのは建物そのものを守るために
瓦は落ちるようにできている。神戸の地震のときに瓦を張り付けて
いた家は瓦の重さでつぶれた家もあったそうだ。
沖縄の建造物は、台風などの災害に対しては工夫されているが、
地震に対しては耐震構造を備えていない家が多い。
今も海の中では断層のズレル音が頻繁に聞こえてくる。
関西産まれなので、どうも地震は苦手だ。
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