たったのか。今でもお客さんの住所を見て、神戸と書いて
あれば、「家は大丈夫だった?」とついつい聞いてしまう。
ただ、最近は「子供の頃だったので、あまり覚えていない」
という若い人が増えてきた。
当時、宮古島では民放が放送されていなくて、NHKのニュースでは、
高速道路の高架が倒れているシーンばかり映し出されていた。
朝起きて「大きな地震があったみたい」と言われたが、
死者 行方不明者 約6.000名 負傷者 約4.000名 まさか
そこまで大きな被害が出ているとは、思いもしなかった。
実家に電話しても、知り合いに電話してもつながらず、
2~3日たってから数人の知り合いから連絡があり、
「ごぉっつい地震やで、なにもかも燃えて、マンションや
ビルはぶっ倒れてるわ!」
その後、母から電話があり「あんた、世の中の終わりやで!」
関西人だから、また、おおげさな話をしているもんだと
ばかり思っていた。
その年の夏、「ダイバーとして復興工事を頼む」と
依頼があり、被災地を見たときは本当に驚いた。道路が寸断
していて、車が使えないので船を使って現場まで通ったが
まさか大阪湾~瀬戸内海を船で走り回るなんて
考えもしなかった。
数年前に一度、神戸の方に用事があって立ち寄ったけれど、
街は震災を忘れたかのように美しく変貌をとげているのを見て、
すごいなぁ~と感じた。
あれから17年 早いものだ。
最新の画像もっと見る
最近の「宮古島」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事