品川駅から高輪へ歩いてみる。
風もなく、止まって見えるような公園。
冬の寒さのせいか、遊んでいた子供が帰ると、だぁれもいなくなる。
その寒さも、凪いだ空気のせいで穏やか。
そんな空気を乱さないように立つ。
あるいは手を伸ばしてみる。
自分がそこに居ることと同じくらいに、まわりにある物々が、居る。
と感じられてくる。
語りかけてみよう。
あるいは、相手の「様」を受けてみよう。
例えば、元気な人を見ると、自分も元気に「なる」ように。
そうしたら。
今度は、在るものと在るものとに挟まれた・囲われた・包まれた、空間にも。
その「様」を感じ受けてみる。
梅は「梅」だから香り眺むべきものなのでなくて、
明らかに他と異なる態を顕しているから、梅と名付けられた。
といった事が、
空間にも感じられ、
木の葉、潅木、幹の肌、ブランコ、砂地にも感じられ。
仰ぐと、真半分の月。
そんなものを取り込み、
風にふかれ、
赤子のようなまなざしで、
夜にあるそこのすべてと、戯れ、
よちよち進み、
我をなくすようにして、すべてを肯定された私がそこにあるように。