斎藤朋
「変化に富んだ群舞」
悲喜劇と詩情
ダイナミックに描く
「人は一粒の種にすぎない。自分がどんな花になるべきか日々感知し、見つめ、気づき生きれば、自分の生成すべき花がわかるだろう。植物はみごとに間違えずに自分の行く先を知っている」(ケイ・タケイ)。
激動の20世紀、芸術としてのダンスも大きく変貌した。バレエ、モダンダンスといった主流に対し、ケイ・タケイが米国に渡った1960年代は、ポスト・モダンダンスという既存のテクニックや物語性をつかわない、反舞踊が勃興した時代だった。
その双方の影響を受けながら、東洋から来た小柄な女性舞踊家ケイが、孤独を深め、公園の枯れ葉を来る日も来る日も踏みしめながら自身の踊りを模索した日々。そうした格闘の中で、1969年、まったく独自の創作が始まった。現在、Part34まで続く「LIGHT」シリーズだ。
多国籍のメンバーと生成りのインド綿の衣装で、主流のダンスや反舞踊にも抗しながら、近現代のダンスの在りようとは違う、もっと根源的なムーブメントとしての世界を創造。それは、既成のダンスともパフォーマンスとも肌合いを異にする「ムービングアース」としか形容できない世界観だった。
今回の「二つの麦畑」も、農民たちが、種を植え、麦穂を刈り、肩にかつぎ、投げ渡す。息を合わせた、また変化に富んだ群舞に満ちている。ときにつえが耕作具となり、地を踏み、跳躍、こもりうたをうたう。そのすべては集団であり、畑や村での耕作と儀礼の一年を通じたいとなみの躍動を彷彿とさせる。
ただし、いつの世も牧歌に平和でいられるわけではない。男とおんながいれば自然と愛欲は生まれ、欲望はまた支配や富の収奪、破壊へと発展する。
〈光〉は、闇のただ中にあるから希望の道しるべとなる。ヒトが人となり、社会を持った太古から、生産と共同、善と悪から逃れることなく生きていかなければならない宿命。そんな人類の営々と続く個と社会の狭間の悲喜劇と詩情がダイナミックに描きだされる。
踊りには言葉がない。抽象化された表現だ。だからこそ、自分の生と体験が生き生きと照らしだされてくる。おのおのが自由に感じとればいいのだ。長年田畑や山で仕事をする人が多くいる地域では、都市以上にゆたかな実感と想像力に恵まれた観客が多いことを私は知っている。
(アートプロデューサー、山形市出身)
「変化に富んだ群舞」
悲喜劇と詩情
ダイナミックに描く
「人は一粒の種にすぎない。自分がどんな花になるべきか日々感知し、見つめ、気づき生きれば、自分の生成すべき花がわかるだろう。植物はみごとに間違えずに自分の行く先を知っている」(ケイ・タケイ)。
激動の20世紀、芸術としてのダンスも大きく変貌した。バレエ、モダンダンスといった主流に対し、ケイ・タケイが米国に渡った1960年代は、ポスト・モダンダンスという既存のテクニックや物語性をつかわない、反舞踊が勃興した時代だった。
その双方の影響を受けながら、東洋から来た小柄な女性舞踊家ケイが、孤独を深め、公園の枯れ葉を来る日も来る日も踏みしめながら自身の踊りを模索した日々。そうした格闘の中で、1969年、まったく独自の創作が始まった。現在、Part34まで続く「LIGHT」シリーズだ。
多国籍のメンバーと生成りのインド綿の衣装で、主流のダンスや反舞踊にも抗しながら、近現代のダンスの在りようとは違う、もっと根源的なムーブメントとしての世界を創造。それは、既成のダンスともパフォーマンスとも肌合いを異にする「ムービングアース」としか形容できない世界観だった。
今回の「二つの麦畑」も、農民たちが、種を植え、麦穂を刈り、肩にかつぎ、投げ渡す。息を合わせた、また変化に富んだ群舞に満ちている。ときにつえが耕作具となり、地を踏み、跳躍、こもりうたをうたう。そのすべては集団であり、畑や村での耕作と儀礼の一年を通じたいとなみの躍動を彷彿とさせる。
ただし、いつの世も牧歌に平和でいられるわけではない。男とおんながいれば自然と愛欲は生まれ、欲望はまた支配や富の収奪、破壊へと発展する。
〈光〉は、闇のただ中にあるから希望の道しるべとなる。ヒトが人となり、社会を持った太古から、生産と共同、善と悪から逃れることなく生きていかなければならない宿命。そんな人類の営々と続く個と社会の狭間の悲喜劇と詩情がダイナミックに描きだされる。
踊りには言葉がない。抽象化された表現だ。だからこそ、自分の生と体験が生き生きと照らしだされてくる。おのおのが自由に感じとればいいのだ。長年田畑や山で仕事をする人が多くいる地域では、都市以上にゆたかな実感と想像力に恵まれた観客が多いことを私は知っている。
(アートプロデューサー、山形市出身)