舞踊家 木室陽一 きむろよういち おどるおどる

木室陽一の舞踊活動が、次第に明らかに。創作・舞台・即興。彼は何処に居て何処に向かうのか。現在、愛媛・中島にて島暮らし中!

岸井大輔「吉原の起源」に出演、あら、明日からだ。

2014-04-04 12:11:20 | 無事に終えました
何年振りでしょう。

かの劇作家:岸井大輔くん、に誘われて東京入りしてます。

そして、なんとさっそく明日・明後日とイベント本番。これから下見。

(^ω^)

そもそもは、こんなイベント
「吉原芸術大サービス ~ 春一番 ~」

現代美術と古典芸能が巻き起こす、吉原、春の突風

2014年4月5、6日(土、日)
10時~19時
東京都台東区千束三丁目、四丁目 ( 吉原神社 / 吉原弁財天 )

http://yoshiwarasuperartservice.tumblr.com/#movie_box

そう、江戸最大の色街「吉原」全体を会場とした、芸術祭です。
この中の、
岸井大輔くんの『吉原の起源』に出演しています。

『吉原の起源』
2014年
4月5日(土)6日(日) 11時~13時 14時~16時 17時~19時

ダンスと朗読を吉原神社に奉納します。みなさまも是非いっしょに朗読にご参加ください。



こんにちは、劇作家の岸井大輔と申します。
吉原は、江戸の美学「いき」が生まれ育ち広まった所です。僕は、今の東京には「いき」が力を取り戻すことが何より必要だと思っています。そのために吉原神社に祈りを捧げようと思います。


昔、吉原の裏手には、弁財天と池があり、いつも水がわき、たたえられていました。埋め立てられ干上がった吉原弁財天をもう一度濡らし、みなもと(源)を、おこすために、昔の吉原に取材した物語を謡み踊ってみます。


吉原神社の社殿の中で、隆慶一郎の『吉原御免状』を2日間で全編輪読し、ダンスと共に吉原神社に奉納します。
聞いて観ていかれるだけの方も歓迎です。

投げ銭は、賽銭箱か、おひねりで。

***

作 
岸井大輔

出演 
立ち寄った皆さん

ダンス
木室陽一 外山晴菜 大歳芽里 カワムラアツノリ 大川原修平 さいとうなるみ

キャスト 
澄井葵 やまぎわあかる うしお 金藤みなみ やつだひろみ 坂田尚(6.5/w)

本奉納は吉原芸術大サービスに参加しています。http://yoshiwarasuperartservice.tumblr.com/

(=゜ω゜)ノ
てことです!
お近くの方はいらしてね~
うっかりすると、2時間×3回×2日間。と、踊りっぱなし。

わぉ。



(吉原:出典Wikipediaより)



さて、こっから先は長いですよ~
(^ω^)
お時間ある方だけ、読んでね。


***

(岸井大輔による)
吉原への道ー『吉原の起源』観劇のためのオススメコースー


吉原は、将軍から許された唯一の風俗街である御免遊郭でした。
江戸時代には電車はありませんから吉原に行く人は歩きか舟でいきました。遠くて大変なので、途中に楽しい寄り道場所がたくさんできました。
折角吉原に来ていただくので、イニシエのコースをご紹介します。徒歩30分程度。今は桜が綺麗ですよ。

スタートは浅草です。

本来なら上野で将軍家の墓参りをし浅草寺(せんそうじ)にいきます。時間がある方は上野から歩くのもいいでしょう。30分くらいですね。
浅草についたら、吾妻橋(あずまばし)のたもと、水上バス乗り場の前から、隅田川の上流を目指します。お金のある人はここから舟だったそうです。今なら人力車を雇うのもいいかもしれません。川沿いは桜が満開。人も多いです。いろいろお店も出ています。
隅田川をこのまま北に遡ると、千住大橋にでます。今日はそこまで行きませんけど。大昔から、関東から東北の海側に行く人はみんな隅田川沿いを通って千住で川を渡りました。今でも電車で東北に行く人はこの辺りを通ります。東北新幹線は上野から、常磐線は千住を渡り、浅草から、つくばエクスプレスと東武の日光に行く電車はでます。北国から東京にきたら、まずつく場所が浅草あたりということでもあります。
なぜこんなことになっているのか、というと、今でこそ隅田川はおとなしい川ですが、江戸時代までは荒れた大きな川でした。ところが、浅草から千住にかけてのこの辺りは、その大川の中でいつも安定して人が通ることができる島でした。

言問橋まできたら、左折し、言問橋西交差点を「靴・袋物・爬虫類製品全般卸」のお店の前の信号渡って聖天町交番の手前を右折、HARUTAの前で電柱に「皮は君塚」とあれば正解。直進してください。この辺は動物製品を扱っているお店が多いです。靴の問屋や刷毛を扱っているお店もありましたね。明治のころ、軍隊の靴と作るために、全国から皮を扱う人がこの辺りに移住させられたからだそうです。

道沿いに進むと「待乳山聖天」(まつちやま、と読みます)が左側にあります。まず、ここにお参りします。吉原に行く人はマストで拝んでいたのでぜひ。乳を待つ山ですから。大根と巾着が祭られているのに気がつきますか。都内の農家は立派な大根ができるとこの神社に奉納するんだそうです。待乳山聖天は現在でもパワースポットとして人気があります。お堂の中では、熱心に祈祷されている方がいます。祈祷の説明書も200円で売ってます。興味ある方は拝んできてください。
さて、お堂の右側に「さくらレール」という乗り物があります。乗ってください。1分もかからず終点につきます。4人乗りです。16時30分までしかやっていないので、乗れなかったら、さくらレールの終点まで歩いてくださいね。

さくらレールを降りたら道に出て左に「今戸橋」があります。今戸橋から左に延びているのが山谷堀公園です。昔は、この公園のところに山谷堀という川がありました。隅田川を舟で来た人は、この堀を吉原に向けて進みました。今は川はありません。公園を歩いていきましょう。ここも桜が綺麗です。

山野堀公園の近辺には、合力稲荷など、吉原に行く途中に拝まれていた小さい神社がたくさんあります。よい娘にあたるように力を貸してくださいということですね。地方橋に出たら、左折。信号をわたって右にいきます。公衆便所があれば正解です。
この道、日本堤通りが少し盛り上がっているのがわかりますか?隅田川の水が浅草に来るのを防ぐために作られた土手なんです。この土手、日本堤で、浅草を守ろうというわけ。日本中の大名に手伝わせて作ったので日本堤という名前になったとか。この道は今でも日本堤通りといいます。さっきまで歩いていた山谷堀は、排水用に作られた川なんですね。

歩いて吉原に行く人は、日本堤の上を通りました。周りは全部田圃で、ヒトケのない寂しい所だったそうですが、堤の上だけは吉原に行く人向けの飲食店でにぎわていました。精がつくということで、馬肉屋なんかが多かったそうで、今でも何軒か残っています。この堤防、人工ですから壊れたら大変です。なので、この堤防の先に吉原を作ったんだろうという説を唱えている学者さんもいます。みなさんがそうしているように、大勢が歩くことで、土が踏み固められて堤防が守られるわけですね。

さて、吉原大門の交差点がそろそろ見えてきました。いよいよ吉原です。

大門の交差点には、見返り柳があります。吉原から出てきた人は名残を惜しんでここで振り返ったので見返り柳です。今は6代目と言われています。
吉原大門を右に入ると、ぐにゃりと右に曲がっています。吉原に入る人を外から見せないように、また、吉原を外から隠すように、わざと道がS字形に曲げてあるんだそうです。衣紋坂といいます。

吉原から遊郭はなくなりました。昭和33年に売春は禁止されたからです。同じ所にソープ街があります。道幅は昔のままです。見番といって、吉原の出入り口を見張っている人のいた所に交番があり、その横に吉原大門と書かれた棒が2本立っています。且つては立派な門だったそうです。


ここから吉原です。

3つ先の信号まで見通せますね。且つて、大きな燈台があり、提灯の灯がならんで、吉原は夜中でも昼のようだったといいます。三味線の音がなり、いつも、テーマパークのようでした。
大通りから脇に、大きな道が直角にいくつも出ていますね。今はソープランドが並んでいますが、ここが全て遊郭だったのです。

大通りをまっすぐ進んでください。あなたが男性ならば、客引きに声をかけられることでしょう。普通に挨拶してください。生活している家族もいるまちですが、男性がくるのに客引きを無視するなんて、ここではちょっと不思議なことなんです。なので、他に用事があるのですみませんと心の中で挨拶するといいと思います。
5分ほど歩くと、右側に吉原神社が見えてきます。ここは吉原の裏側、昔は森と池がありました。池の中には弁財天が祭られ、四角に囲われた吉原のスミには稲荷が祭られていました。いくたびかの震災や火事で焼け出されたので、ここに纏めて祭られることになりました。
もうちょっと道を進めば吉原弁財天もありますし、台東病院の裏のオオトリ神社にも是非行っていただきたいですが、まずは吉原神社の社殿のほうへ来てください。中で、吉原の神様に奉納しています。ぜひ、ご一緒に。



はぁ、
おつかれさまでした。
おまけに、見にくいけど、このコースの地図です。
(あ、見やすい写真に変更しました~♪)

ここまで読んでいただき、
本当にありがとうございます!!

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

では、
素敵な春の週末をお迎え下さい~!
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新月のワーク。博多にて。

2014-04-04 00:19:30 | ワークショップ


珍しく平日の夜に、開いたワークショップ。

この博多での舞踊ワークは3回目になります。
今回も、博多でヨガのインストラクターをつとめながら踊っている鶴田薫さんの尽力による開催。
たまたま、いろんな都合で決めた開催日が、平日の夜。
そして、
この日は、新月でした。

会場が、なんとオープンしたての個人スタジオ。
その名を「shake ☆ hands!!」といって、本格オープンはこの5月から。
今回は、そのプレ・オープン企画となりましたっ。
(^○^)
集まっていただいたのは、みなさんダンスやヨガやピラティスの講師ばかり、
いや、
これも、
たまたま、そぉなっただけなのですけれども。



自己紹介から、
「いまここにある」ことや、「いまここで起きている」ことへと意識を向けることへ。

実は、はじめの意図としては、
オープン間近のこのスタジオのお祝いに、皆でこの空間と踊る、事と、
始めて出会う人々でもある参加者全員とで、同時に踊りあう瞬間を作る、事と、
なんて思っていたのだけれど、
皆の興味まかせの展開に委ねているうちに、
自然と「事」は起きてゆくものなんですね。

会話の中に、そのヒントがあったり、
空間の持つサインやら、
それを他の人がどのような眼差しで見ているのかに注目することや、

そうこうしているうちに、

突然の暗闇の瞬間!
そうして、室内にいるにもかかわらず、満天の星空に包まれる。

その、暗闇の中で過ごす時間の中で、
だんだんと人との距離や、
あたたかさや、
会話、
ふれあい、
消えてゆく恐れ。

次に窓を開けた時の、差し込む光が生む影のダンス。

もしかしたら、もう少し踊り足りなかったかなぁ、と思いながら、
まずは気づきが生まれたこの時間を大切にしたくて、
ワークを閉じました。

新月である事は、最後に明かしたのですが、
やはり女性にとって、天体の運びは感性の基となるのか、
それを象徴するような展開となりました。



ユニークなのが、
終わってからの、
ソーキそば・おにぎり・みかんでのお食事パーティ!!
アットホームなスタジオの環境ゆえの、
暖かなひと時。

外には満開の桜。

前日まで公演やライブ本番であったり、
次の月から仕事が新しくなる方もいたり、
変化の真っ只中での、
特別なワークとなりました。

素晴らしい、未知との不可解な体験。
そんな時間を許してくれた、
皆様に感謝!

ありがとうございます~!!

2014年3月31日
福岡市南区平和
ダンススタジオ「shake☆hands!!」にて
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