ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

世間とは何か

2007年04月15日 | 私生活 雑感
世間は冷たい/世間は理屈どおりには行かない/世間に顔向けできない・・・
「世間」という言葉はいろんな意味に使われる。

世間は勝ち組が支配する!(負け組みを?)
世間のものさしは、ゴムひものように目盛りが伸び縮みする!
(この結果が「常識」となる?)

だから世間(常識)を気にする余り、何となく生きている場合が多いのだろうか。
若い人にうつ病など精神的な悩みが増えていることにも関係がありそう。

昔に較べて、世間は移ろいやすく、その変化の速度と広さが大きくなっている。
そんな世間の物差しだけでいろいろ考えていたら、
おかしくなって当たり前だろう。

生命保険の保険金不払い、耐震偽装問題、もっと大きくイラク戦争etc
毎日のニュースでの不祥事を見ても、世間がいかに狂っているか、分かる。

そう思っていたが、良い本があった。
『「狂い」のすすめ』 ひろさちや著 がそれ。

世間は狂っているから、自分の方も狂っていることが大切で、
もう一つの「目盛りのない物差し」という思想・哲学を持とうではないか、
という仏教哲学者の書いた本だ。

自分→家族→地域・職域→組織全体→(国家)→グローバル社会 というつながりで、次第に大きいものに重点がシフトしている気がする。
例えば、おらが村・町・県そして国家、一番はウチの会社!
ついこの間まで欧米は,
本とか小耳にはさむ程度だった.
それが今では紛争、株、スポーツ、天気予報まで、毎日の生活の中で身近になってきている。
つまり世間とはグローバル社会そのものになりつつある。
良いも悪いも、あっという間に広い範囲に広がるから、格差も開いてくる。
先進国と後進国、中央と地方、資産家と文無し?知っている人と知らない人
etc
例えば、日本の常識は、世界の非常識という様に、
当然「物差し=ゴムひも」みたいにならざるを得ない。

こんなものに振り回されていてはたまらない。
だから、もう一つ「自分の物差し=目盛りの必要のない自分だけの」を持つことが大切なのだろう。
これは、絶対的な物差し(超人間世界)=宗教にもつながるのかもしれない。

ある大学の先生が「学生に望むこと:それは世間との折り合いの仕方を学ぶことだ」と何かに書いていたのを思い出す。
哲学、宗教など普遍的な価値観に触れること、でもあろう。

今日の、促成の教育を受けた世代には、一番弱いことかも知れない。
(確かな宗教を待たない日本人全体の問題?)

企業のスキャンダルは、これでもか!これでもか!と果てしなく頻発している。
「世間は狂っている」そんなもんだと一歩引いて考えると、何も驚くことではない。
ゴムひもみたいなものさしで一喜一憂して、「世間」で寄ってたかって「叩きのめす」ことを、もうひとつの自分の物差しで考えてみよう。


























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1 コメント

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ごむひも (僕酔伝)
2007-04-20 09:39:27
含蓄ある『償い』論調  いつもなるほどと思いつつ読ましてもらってます。
“ゴムひものような物差し、日本の常識は世界の非常識”全くその通りだと思う。人間夫々自分の物差しを持っていること。全くその通り、そこで大切なことは人夫々が同じように自分の物差しを持っていることを忘れないこと、そしてそれを認識し認めあうことではなかろうか 
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