ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

日光

2017年06月17日 | 旅 行事
久しぶりに日光市での仕事、一度乗ってみたかった「特急スペーシア」。
JR池袋から途中東武に乗り入れ、日光まで行ける。
前日、早めに予約して池袋で待っていると、10分くらい前に「点検の遅れで、大宮始発に変更します」というアナウンス。
止む無く、キャンセルしていつも通り、新幹線で宇都宮へ。
ここで日光線乗り換え1時間待ち・・・しょうがなく、駅前の名物餃子へ。昼時とあって、ここでも行列待ち、結局30分後にテーブル席に案内された。
急ぐ旅ではないので、行きあたりばったりの気ままさもたまにはいい !
日光線は、外国人の観光客がパラパラといった感じで、日光駅には午後2時ごろに着いた。
あいにくの小雨、傘をさして、大通りを東照宮に向かう。
きれいな歩道沿いに、ゆば料理、ソバ屋などが並び、世界遺産になってからは見違えるような街になった。
古風な市庁舎はそのままだが、別の場所に本庁舎が建設中とか。
大通りの最後に、朱色の神橋が大谷川の清流にまたがって、昔通りの風情を感じる。
東照宮の陽明門は、今年3月 修復を終えたばかりだが、晴れた日にはまばゆい金の輝きが映えることだろう。
そぼ降る雨のためか、それほどの感動はない。
厩舎の壁に、有名な3猿(見ざる/聞かざる/言わざる)があるが、思ったより小さい。
家康公の霊廟への入り口の鴨居に「眠り猫」があり、これも塗り替えられて鮮やかだが、表示がなければ見落とすだろう。
杉の大木の間の急な坂に、200もの石段があり、両側の石の塀はすべて一枚板を切り出したもの、幅1間半ほどの踏み石もすべて一枚ものだ。
家康公の威徳が、江戸時代を通して最優先されてきた証がいたるところに見られる。
家康公は75歳で死去、一旦は久能山に祀られたが、後に遺言により日光山に移された。
この日光山の山腹にある二社一寺(東照宮と二荒山神社、輪王寺)をすべて見て回ると結構疲れる。
輪王寺は修復中で、その工事を上から見て回れる大がかりな外構が作られ、観光客を当て込んだうまい商売を考えたものだ。
二荒山神社は、中善寺湖はもちろん二荒山全体を含み、広大な地域を所有するという。先週行った富士宮市の浅間神社本宮が、富士山の頂上付近2合目を、幕府から寄進された古文書を根拠に、数年前に論争にケリがついた話を思い出した。
この二社一寺は、昔の京都の寺社同士の争いと同様、今のところ折り合いが悪いため、入場料も共通券がなく、観光客は不便を強いられている。
観光客をよく見ると、他の観光地と違い中国人は少なく、欧米人が多いようだ。
多分、中国には寺院も多く、けばけばしいだけの墓所は余り珍しくはないのだろうか。

あいにくの雨で、いろは坂を登って中禅寺湖の景観を楽しむことができず、実に残念!!
宿は、日光街道と例幣使街道が落ち合う追分の近くで、次の日の朝の散歩で1時間くらい両街道の杉並木を散策した。

例幣使街道というのは、京都から東照宮に奉納するための街道で、高崎で中山道から分かれ、ここ今市で日光街道と交わり、東照宮までの杉並木が続く。
家康公と東照宮を建てた家光公の権威にまたしても感服!
ここ今市市(平成の合併で日光市に)は二宮尊徳翁の終焉の地、その偉業を祀る二宮神社と墓があった。

掛川市の報徳社と同様、道徳教育とか経営手法の普及にも一役買っているようで、会館にはイベント案内が見られる。
日本会議のスポークスレディ(?)櫻井よしこ氏の講演会のポスターもある。
日本の心として、尊徳翁を利用する魂胆だろう。こういう講演会は秋田でも見たことがあり、全国各地でこの団体の思想を広めているようだ。
教育勅語と同様、都合よく良いとこどりをした日本礼賛に危ういものを感じる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 忍野八海 | トップ | クラス会と同期会と旅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿