後期高齢者医療制度、年金問題など高齢社会の話は
部分最適、針小棒大でその場しのぎの議論が多く、うんざりする。
それにしても、数年前に法律が制定されたときには、関係者(議員、官僚など)は何を検討していたのだろうか?
私たちも、何もかも国や制度のせいにしないで、自分に関係した制度(年金、健保はじめ)をどれくらい知っているか、反省した方がいい。
年金でも健保でも、先送りのツギハギだらけの制度だから、ちょっとやそっとの知識では全体が理解できないことも問題だろう。(社会保険労務士の通信教育を1年、その後2年間資格に挑戦した経験から実感)
老いも突然やってくるものではない。
長く生きてきた年の功で、備えること。
尊厳をもって老いるためには、最低必要なことだろう。
最近、そんな生き方を、詩人に見た感じがする。
茨木のり子さん(昨年82歳で死去);最後まで力強い生き方だった。
「わたしが一番きれいだったとき」
・・・
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
・・・
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
*20歳で敗戦を迎えた女性詩人は、、一貫した視点からの詩で、昭和ー平成の平和ボケの世相を突いた。*
「自分の感受性くらい」
・・・
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
*何でも弱者の立場でうそ臭い現在の風潮に響く*
欧米の老人は、自我が確立していて、老い方も自立している気がする。
ヘルマン・ヘッセ1877-1962(85歳没)
「人は成熟するにつれて 若くなる」
「老いていく中で」
・・・
死があそこに待っているのが見えるから
立ち止まったままでいるのはよそう
私たちは死に向かって歩いて行こう
私たちは死を追い払おう
死は特定の場所にいるものではない
死はあらゆる小道に立っている
私たちが死を見捨てるやいなや
死は君の中にも私の中にも入り込む
若いとか、年とったとかいうことは、本来平凡な人間のあいだにしか存在しないのだ
才能があり、洗練された人間はすべて、喜んだり悲しんだりすることがあるのと同じように、あるときは年をとったり、あるときは若くなったりするものである
成人の本領は、青年よりもずっと自由に、ずっと簡単に、ずっと上手に、ずっと寛大に、自分自身の愛する能力とつきあえることである
「五十歳の男」
・・・
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
*何と人間の本性から出た素直な詩だろう。
ヘッセは「十三歳のときから、詩人になるか、さもなければ何ものにもなりたくないという一事がはっきりしていた」というくらい、余り社会適応力のない性格だったという*
できることなら、こんな力強さを持って、年を重ねて行きたい、
老いるその時々の尊厳をもって!
部分最適、針小棒大でその場しのぎの議論が多く、うんざりする。
それにしても、数年前に法律が制定されたときには、関係者(議員、官僚など)は何を検討していたのだろうか?
私たちも、何もかも国や制度のせいにしないで、自分に関係した制度(年金、健保はじめ)をどれくらい知っているか、反省した方がいい。
年金でも健保でも、先送りのツギハギだらけの制度だから、ちょっとやそっとの知識では全体が理解できないことも問題だろう。(社会保険労務士の通信教育を1年、その後2年間資格に挑戦した経験から実感)
老いも突然やってくるものではない。
長く生きてきた年の功で、備えること。
尊厳をもって老いるためには、最低必要なことだろう。
最近、そんな生き方を、詩人に見た感じがする。
茨木のり子さん(昨年82歳で死去);最後まで力強い生き方だった。
「わたしが一番きれいだったとき」
・・・
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
・・・
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
*20歳で敗戦を迎えた女性詩人は、、一貫した視点からの詩で、昭和ー平成の平和ボケの世相を突いた。*
「自分の感受性くらい」
・・・
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
*何でも弱者の立場でうそ臭い現在の風潮に響く*
欧米の老人は、自我が確立していて、老い方も自立している気がする。
ヘルマン・ヘッセ1877-1962(85歳没)
「人は成熟するにつれて 若くなる」
「老いていく中で」
・・・
死があそこに待っているのが見えるから
立ち止まったままでいるのはよそう
私たちは死に向かって歩いて行こう
私たちは死を追い払おう
死は特定の場所にいるものではない
死はあらゆる小道に立っている
私たちが死を見捨てるやいなや
死は君の中にも私の中にも入り込む
若いとか、年とったとかいうことは、本来平凡な人間のあいだにしか存在しないのだ
才能があり、洗練された人間はすべて、喜んだり悲しんだりすることがあるのと同じように、あるときは年をとったり、あるときは若くなったりするものである
成人の本領は、青年よりもずっと自由に、ずっと簡単に、ずっと上手に、ずっと寛大に、自分自身の愛する能力とつきあえることである
「五十歳の男」
・・・
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に口づけし
スカートを パンティーを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
*何と人間の本性から出た素直な詩だろう。
ヘッセは「十三歳のときから、詩人になるか、さもなければ何ものにもなりたくないという一事がはっきりしていた」というくらい、余り社会適応力のない性格だったという*
できることなら、こんな力強さを持って、年を重ねて行きたい、
老いるその時々の尊厳をもって!
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