先週は、孫の運動会の後、佐高信さんの講演会、翌日は樋野順天大教授の「がん哲学外来:東久留米10周年」に参加させてもらった。
佐高さんは、舌鋒鋭い中、ユーモアを交えて、だいぶ角が取れた感じでした。
反体制の代表として、西の松下竜一さん(友人の兄さん)、東の佐高、と何かの記事で見たことがある。
佐高さんは、以前 東久留米にも住んでいたとのこと。
しかし、9条を守り、平和を希求することが大切というのは分かるが、それには複雑な大国間の利害関係の中で、神業的な外交力が求められる。
日本の舵取りは、進むも引くも、相当な覚悟と忍耐と構想力が要るはずだ。
今、日本に諸国の信頼を勝ち取るだけのリーダーは望めないとしたら、日米同盟の手先となって、その場しのぎの立ち位置で対面を繕ろうしかないのだろう。
がん哲学外来は、2009年娘が療養中、新聞で紹介され、一度参加しょうと思っていました。
順天堂大の樋野興夫(病理学教授)さんは「ガンで起きることは人間社会でも起きることと全く同じ」
として、”哲学” という言葉を使っている。
今、全国140ケ所でメディアカル・カフェが広がり、ドキュメンンタリー映画も公開予定とのこと。
奥様(アメリカ人)のあいさつの後、樋野さんはひょうひょうとした人柄をにじませて、ユウーモアたっぷりに含蓄のある言葉で真理を説く。
「二人に一人ががんになる時代、病気であっても病人にならないこと」
「良い人生は、最後の5年で決まる、to Doよりもto Beで自分らしく人生を完成させましょう」
「がんは、目標を見失った細胞、生物学の法則+人間学の法則=がん哲学」
⇒この考えは、ゲノム編集とかAI時代(とくに兵器)とか言われる今、研究者や技術者にも求められている様に思える。
講演の後は、7,8ケのテーブルに分かれて、よもやま話。
親御さんをがんで亡くした女性、卵巣がんを全摘したばかりの明るい女性、笑顔を絶やさず司会をやられた30代の女性(闘病中)、
緩和ケアの仕事をしている20代の若者、3度再発して闘病中の60代の男性、ボランティアでお世話していた高齢のご夫婦(今年まさかの胃がんで摘出したばかり)、ここに僕も参加。
深刻になりがちな話も、できるだけ明るく語り合う雰囲気があって、なるほど癒される。
がん闘病の人も含め、万座温泉でミュージカルをやり遂げたというパンフレットでは、皆さんの笑顔が溢れ 、まさに「人生思い出づくり」の様子が伝わってくる。
自分や身内が、がんになったとき、どうしてもアタフタしやすいので、こういう交流の場があると力になる と思う。
小さな冊子「われ21世紀の新渡戸とならん」を買い求め、一気に読み終えた。
尊敬する人たちとの出会いが、自分を育て、また新しい世界を拓いて行く。
南原繁(戦後初の東大総長)⇒その薫陶を受けたという新渡戸稲造・内村鑑三⇒矢内原忠雄(南原の後の東大総長)という流れの中で、必然のごとく彼らの膨大な著作と思想に導かれて行ったと回顧されている。
南原先生は「自分が専門にせんとする以外の本を、寝る前に30分読む習慣を身につけよ」と知人に語ったという。
そして「何かを成す前(to Do)に、何である(to Be)ということをまず考えよ、これが新渡戸先生の一番大事な教えだった」ともいう。
新渡戸は「日本にも偉い人物はいる。しかし祭り上げられる。アメリカでは台所に、学校に、人生のありふれた路上に見つけられる。日本では素晴らしい人が見落とされる」と権威に弱い国民性を見抜いている。
内村鑑三は「真理は円形に非ず、楕円形である・・・何ごとによらず円満を要求するのが間違いの始めである」大いなる矛盾は それはそれで意味があるということか?
多様性の時代といわれる今日、味わい深い言葉であると思う。
まさに”がん”を語る哲学、とても良い学びになった。
2019.4.20追記:
5月3日公開で、ついに映画化が実現した。多くの人に見て欲しい。
タイトル「がんと生きる言葉の処方箋」
佐高さんは、舌鋒鋭い中、ユーモアを交えて、だいぶ角が取れた感じでした。
反体制の代表として、西の松下竜一さん(友人の兄さん)、東の佐高、と何かの記事で見たことがある。
佐高さんは、以前 東久留米にも住んでいたとのこと。
しかし、9条を守り、平和を希求することが大切というのは分かるが、それには複雑な大国間の利害関係の中で、神業的な外交力が求められる。
日本の舵取りは、進むも引くも、相当な覚悟と忍耐と構想力が要るはずだ。
今、日本に諸国の信頼を勝ち取るだけのリーダーは望めないとしたら、日米同盟の手先となって、その場しのぎの立ち位置で対面を繕ろうしかないのだろう。
がん哲学外来は、2009年娘が療養中、新聞で紹介され、一度参加しょうと思っていました。
順天堂大の樋野興夫(病理学教授)さんは「ガンで起きることは人間社会でも起きることと全く同じ」
として、”哲学” という言葉を使っている。
今、全国140ケ所でメディアカル・カフェが広がり、ドキュメンンタリー映画も公開予定とのこと。
奥様(アメリカ人)のあいさつの後、樋野さんはひょうひょうとした人柄をにじませて、ユウーモアたっぷりに含蓄のある言葉で真理を説く。
「二人に一人ががんになる時代、病気であっても病人にならないこと」
「良い人生は、最後の5年で決まる、to Doよりもto Beで自分らしく人生を完成させましょう」
「がんは、目標を見失った細胞、生物学の法則+人間学の法則=がん哲学」
⇒この考えは、ゲノム編集とかAI時代(とくに兵器)とか言われる今、研究者や技術者にも求められている様に思える。
講演の後は、7,8ケのテーブルに分かれて、よもやま話。
親御さんをがんで亡くした女性、卵巣がんを全摘したばかりの明るい女性、笑顔を絶やさず司会をやられた30代の女性(闘病中)、
緩和ケアの仕事をしている20代の若者、3度再発して闘病中の60代の男性、ボランティアでお世話していた高齢のご夫婦(今年まさかの胃がんで摘出したばかり)、ここに僕も参加。
深刻になりがちな話も、できるだけ明るく語り合う雰囲気があって、なるほど癒される。
がん闘病の人も含め、万座温泉でミュージカルをやり遂げたというパンフレットでは、皆さんの笑顔が溢れ 、まさに「人生思い出づくり」の様子が伝わってくる。
自分や身内が、がんになったとき、どうしてもアタフタしやすいので、こういう交流の場があると力になる と思う。
小さな冊子「われ21世紀の新渡戸とならん」を買い求め、一気に読み終えた。
尊敬する人たちとの出会いが、自分を育て、また新しい世界を拓いて行く。
南原繁(戦後初の東大総長)⇒その薫陶を受けたという新渡戸稲造・内村鑑三⇒矢内原忠雄(南原の後の東大総長)という流れの中で、必然のごとく彼らの膨大な著作と思想に導かれて行ったと回顧されている。
南原先生は「自分が専門にせんとする以外の本を、寝る前に30分読む習慣を身につけよ」と知人に語ったという。
そして「何かを成す前(to Do)に、何である(to Be)ということをまず考えよ、これが新渡戸先生の一番大事な教えだった」ともいう。
新渡戸は「日本にも偉い人物はいる。しかし祭り上げられる。アメリカでは台所に、学校に、人生のありふれた路上に見つけられる。日本では素晴らしい人が見落とされる」と権威に弱い国民性を見抜いている。
内村鑑三は「真理は円形に非ず、楕円形である・・・何ごとによらず円満を要求するのが間違いの始めである」大いなる矛盾は それはそれで意味があるということか?
多様性の時代といわれる今日、味わい深い言葉であると思う。
まさに”がん”を語る哲学、とても良い学びになった。
2019.4.20追記:
5月3日公開で、ついに映画化が実現した。多くの人に見て欲しい。
タイトル「がんと生きる言葉の処方箋」
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