連日、国会やTVワイドショーなどで、豊中市の「瑞穂の国記念小学校」のスキャンダルが話題になっている。
この学校法人「森友学園」が運営する「塚本幼稚園」での、驚くような実態も背景にある。
幼稚園児に、運動会の団体競技で、「安倍首相ガンバレ」 「北方領土を取り戻して」とか 「新安保法案で国を守って!」などと唱和させているユーチューブも流れた。
おまけに、安倍首相夫人の昭恵さんが、この小学校の名誉校長にもなっていた。
なぜ、幼稚園から小学校の新設につながったのか? その際の、国有地の格安の払い下げ、4月の開校に間に合うような認可手続きの速さ、など次々に異常事態が暴かれている。
それに、安倍首相記念小学校と銘打って、寄付と生徒募集を行っていたようで、首相本人は国会で、自分は被害者だと弁解している。
この幼稚園の教育方針には、天皇国日本とか、教育勅語素読など、戦前か北朝鮮かと見まがうようなことが書かれ、実際に行われている。五箇条の御誓文の唱和もYoutubeで見れた。
国会中継でも、稲田防衛大臣は勅語を是認し、安倍首相も文科大臣も園児の勅語の素読を否定しなかった。(実に驚き !)
極右と言われる日本会議とのつながりも強いと疑われている。
この政権の主張の変遷「戦後レジームからの脱却⇒教育基本法改正⇒美しい日本⇒特定秘密保護法案/ 新安保法解釈変更⇒そして現在の「共謀罪」法案・・・」
と考え合わせるとき、この一連の問題は、現政権とのつながりが濃厚だろう。
今の安倍政権の(第一次)だったと思うが、教育基本法の改正が行われていたことを思い出す。
あの頃、なんとなく保守反動への動きを感じ、教育の問題を調べた時のメモを、改めて読み返した。
★以下(改正教育基本法その1)、2007年2月7日記録★
圧倒的な自民党政権で、いつの間にか「改正基本法」が2006/12/22施行された。
約60年ぶりの改訂。(1947/3/31旧法制定、その後1948/6/19教育勅語廃止)
いろいろと、改正の評価が行われているが、
私は、今のところ、次のような感想:
→ これまでと同じように実施されなければ”絵に書いたモチ”だから。
<良い点>
1.家庭教育(新設)、父母の責任と公的機関の支援(新設)、とくに幼児教育の重要性を明記
←旧法では、空白部分?そこに教師の独断と偏見が蔓延していた?
2.学校、家庭、地域住民の相互連携・協力を明記
←旧法では、家庭の役割がちょっとだけ。主体は公的機関(国、県、市町村)
3.宗教一般教育に言及(新設)
←宗教に無防備な国民から反省?オカルト宗教/占いのハビコリ。
<問題点:失望!>
”教育”という対象を、幼児・学校教育として、「私は教育する人」「される人」と、安易に考えていないだろうか?
教育する人:教師・親(広く組織の先輩/上司)それに役人→ こちらの方が問題?とするとこの新法に沿って、やればやるほど致命的になるのではないか。
(とくにまじめな国民だけに、ワナに堕ちやすい?)
これからの高齢社会は、”生涯学習”とともに成熟して行くはず。
学校教育は、その基礎作りの段階で、教育のすべてであるはずがない。
つまり、改正は”拙速”にすぎた感を禁じえない。
改正の趣旨は理解できても、これまでと大差なく、余り期待はできない気がする。
(実に残念!)
戦後60年の復興の功罪の総括として、
「個人の自由(放任?)・経済至上主義」をベースに「経済成長=幸せ」という”夢”に向かって「教育」は組み立てられてきたこと。
→ 今になってみれば”享楽的生活”と個人的価値観だけが支え。
→ この先にあるはずの共有できる「普遍的価値観」の喪失
(ここで”美しい国”を具体化したものが欲しい!)
ということを、共通認識とした上での改正だったのだろうか。
小手先の対症療法では、いくら法律で「民主、自由、真理」など表現しても、”お題目”は空々しいものになるだろう。
*今日の新聞*
「国旗・国家懲戒処分、教職員173人、都を起訴」「思想の自由侵害」・・・「日教組的VS極右」の対立は喧嘩?両成敗! どっちもどっち!戦後の民主教育が”砂上の楼閣”だったことの証明か?
極端な例:「教育勅語」では、
絶対(天皇)からの教えという形で、
”臣民”として、国民全体に対する徳目を示し、とくに家族への愛、友人への信義などを謳いあげている。
この中では、「教育される人」だけを対象にしていない。
むしろ「教育する人」に対して、常に心がけるべき方向を示している。
(だから、両親はもちろん年配者が
教育勅語を暗唱しているのを、子供心に厳粛に感じたものだ)
教育勅語は、天皇を絶対化し、帝国主義の元凶のように言われるが、
参考にすべき点もある。
とくに声を出して読んでみると、ムダがなく格調高く美しい。
当時の為政者の、伝統重視かつ国際的認識が伺われ、反って普遍性があるように思う。
但し、権力者が、天皇の名において、都合のよいように悪用していたことは間違いない。
★以下(改正教育基本法その2)、2007年2月8日記録★
戦後の教育は、結果としてどうだったのか?
戦後生まれの自分を振り返って見ると、大きな流れに気づく。
1.団塊世代より下の世代は、”戦後の教育”を受けて育ったつもりでも、そのときの大人(親、先生、戦後の三等重役・経営者、政治家)たちは 戦前の遺伝子を持ち、それぞれ自分の中で新しい教育を試行錯誤で消化していたはずだ、ということ。戦後生まれの自分にも旧制高校への憧れもあった。
2.それは明治以来の西洋化、近代化の中で、個人の尊厳/自由の尊重という民主主義教育・ヒューマニズムを補う意味で、有効なものであったはず。
(伝統と革新、大きな絶対と小さい個人とのバランス?)
3.しかし、今や大人たちのほとんどは、戦前を知らず(書物を通じても)、それ を直接伝えてくれる親も持たない世代、借り物の民主的教育(?)のゆがみがいじめ、ニートなどに顕著になってくる。
4.バランスを欠いた戦後の教育理念と体制の中で、たっぷりと個人主義、自由主 義を享受して育った大人たちの時代になっている、という現状をしっかりと認識しなくてはいけない。
その認識の上で、「改正教育基本法」を理解しょうとしたが、大きな欠落部分を感じる。
戦前の伝統:(絶対的なもの)天皇制・・・⇔・・・畏れ(西洋のキリスト教)
(良き文化・伝統)家族主義、公共精神などからの徳目、富国強兵に基づく創業精神・・・⇔・・・人格(西洋の啓蒙思想:ヒューマニズム)
教育勅語には、この「絶対的なもの」⇔「個人的な徳目」が均衡していたように思えるが、どうだろう?(西洋キリスト教に対応して、天皇制を築いたという説もあるようだ)
個人⇒ 家庭⇒ 地域⇒ 国家(天皇)というつながりで、具体的に、日常的に、しかも普遍的に表現されている。 全体主義には、実に都合がいい盤石の思想といえる。
「改正教育基本法」の大きな欠落部分:
国民の”心を一にする”思想、国の形、価値観、そういったものがないこと。
(グローバリゼーションの波への対応で精一杯)
(参考)
《教育勅語》 M23.10.30制定→教育基本法(1947.3.31制定)の翌年1948年6.19廃止
朕 惟フニ 我カ皇祖皇宗 國ヲ肇ムルコト 宏遠ニ 徳ヲ樹ツルコト 深厚ナリ
我カ 臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ 世世 厥ノ美ヲ 濟セルハ
此レ 我カ國體ノ 精華ニシテ 教育ノ 淵源 亦 實ニ 此ニ 存ス
博愛 衆ニ 及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ 智能ヲ啓發シ 徳器ヲ 成就シ
進テ 公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ 國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 以テ 天壤無窮ノ 皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ 獨リ 朕カ 忠良ノ臣民タルノミナラス
又 以テ 爾 祖先ノ遺風ヲ 顯彰スルニ 足ラン
斯ノ道ハ 實ニ 我カ 皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫 臣民ノ 倶ニ 遵守スヘキ所
之ヲ 古今ニ通シテ 謬ラス 之ヲ 中外ニ 施シテ 悖ラス
朕 爾 臣民ト倶ニ 拳々服膺シテ 咸 其ヲ 一ニセンコトヲ 庶 幾フ
明治二十三年十月三十日
御 名 御 璽
ギョメイギョジ
★以下(改正教育基本法その3)、2007年2月10日記録★
これから教育関連法案など、教育制度改革が行われる予定だ。
今、”ゆとり教育”の見直しが是か非か?といったことも話題になるが、
この反対は”詰め込み教育”ということだろうか。
どっちも大事、両立はできないのかな。
量(時間)⇔”ゆとり”、質⇔”詰め込み”よく内容を整理して考えれば、両立できるし、むしろ相乗効果は高いように思える。
時間当たりの効果(=効率)、適性を考えて、必要なときに集中できるようなシステム(選択できるコース)⇔ 親・教師と本人が相談できる双方向の弾力的な制度
(退職者の経験と知恵も活用すべきかも)
その点、戦前の複線型の教育制度は参考になるかも知れない。
(高度知識社会、グローバル化の中ではそっくりというわけには??)
●政官財のエリート:高校(官8校公私合わせても32校:1940)→官立大学へ進学
●軍のエリート:陸軍士官学校、海軍兵学校
●資産家の後継者:私立の大学
●教師:各県に最低男女1校づつの師範学校(授業料無料)
●その他、高商や高専など実業界のリーダー養成コース
とくにガツガツ詰め込みされた状況ではなく、思考力を鍛えられた印象。
これは当時の高等教育だから、ほんの一部のエリート層。
ほとんどが、
長男は家業を継ぎ、他は自分の能力に応じて小学校・高等小学校、商業・工業学校を出て、社会人として自分の仕事を通じて人生を築いて行ったと言える。
入り口は運命的であるが、その中では”ゆとり”があった?
それだけに違う進路の序列化は無意味だったんだろう。
それが、戦後180度転換して、サラリーマンめざして民主教育のワンパターンコースに押し込まれた。(家族制度の廃止、傾斜生産方式という国策の下、否応無しに)
そして団塊世代の受験戦争へと加熱し、現在の教育崩壊?へと進んできたといえるだろう。序列化がすべてに浸透している。(でも、この世代には、戦後の"異常な時代"を生きてきたという自覚がない人の方が多いだろう)
今日のTVでも「700万人の団塊再び社会を変える?」特集番組。
戦後教育の量産型成果品(?)とも言える団塊世代の生き方は、これからの教育の方向を探る上で興味があるし、世間(とくに女性、若者)の期待・見方も気になる。
高齢社会は、個人の”差”拡大の一面を持つ。
健康、知識、趣味・生きがい、人脈、資産などこれまでのストック(錯覚も多い?)とその使い方に大きな差が生じるはずだ。
高齢者のそれぞれの生き方を監視・検証することも、一番確実な教育制度改革の一環になるのではないだろうか。
この学校法人「森友学園」が運営する「塚本幼稚園」での、驚くような実態も背景にある。
幼稚園児に、運動会の団体競技で、「安倍首相ガンバレ」 「北方領土を取り戻して」とか 「新安保法案で国を守って!」などと唱和させているユーチューブも流れた。
おまけに、安倍首相夫人の昭恵さんが、この小学校の名誉校長にもなっていた。
なぜ、幼稚園から小学校の新設につながったのか? その際の、国有地の格安の払い下げ、4月の開校に間に合うような認可手続きの速さ、など次々に異常事態が暴かれている。
それに、安倍首相記念小学校と銘打って、寄付と生徒募集を行っていたようで、首相本人は国会で、自分は被害者だと弁解している。
この幼稚園の教育方針には、天皇国日本とか、教育勅語素読など、戦前か北朝鮮かと見まがうようなことが書かれ、実際に行われている。五箇条の御誓文の唱和もYoutubeで見れた。
国会中継でも、稲田防衛大臣は勅語を是認し、安倍首相も文科大臣も園児の勅語の素読を否定しなかった。(実に驚き !)
極右と言われる日本会議とのつながりも強いと疑われている。
この政権の主張の変遷「戦後レジームからの脱却⇒教育基本法改正⇒美しい日本⇒特定秘密保護法案/ 新安保法解釈変更⇒そして現在の「共謀罪」法案・・・」
と考え合わせるとき、この一連の問題は、現政権とのつながりが濃厚だろう。
今の安倍政権の(第一次)だったと思うが、教育基本法の改正が行われていたことを思い出す。
あの頃、なんとなく保守反動への動きを感じ、教育の問題を調べた時のメモを、改めて読み返した。
★以下(改正教育基本法その1)、2007年2月7日記録★
圧倒的な自民党政権で、いつの間にか「改正基本法」が2006/12/22施行された。
約60年ぶりの改訂。(1947/3/31旧法制定、その後1948/6/19教育勅語廃止)
いろいろと、改正の評価が行われているが、
私は、今のところ、次のような感想:
→ これまでと同じように実施されなければ”絵に書いたモチ”だから。
<良い点>
1.家庭教育(新設)、父母の責任と公的機関の支援(新設)、とくに幼児教育の重要性を明記
←旧法では、空白部分?そこに教師の独断と偏見が蔓延していた?
2.学校、家庭、地域住民の相互連携・協力を明記
←旧法では、家庭の役割がちょっとだけ。主体は公的機関(国、県、市町村)
3.宗教一般教育に言及(新設)
←宗教に無防備な国民から反省?オカルト宗教/占いのハビコリ。
<問題点:失望!>
”教育”という対象を、幼児・学校教育として、「私は教育する人」「される人」と、安易に考えていないだろうか?
教育する人:教師・親(広く組織の先輩/上司)それに役人→ こちらの方が問題?とするとこの新法に沿って、やればやるほど致命的になるのではないか。
(とくにまじめな国民だけに、ワナに堕ちやすい?)
これからの高齢社会は、”生涯学習”とともに成熟して行くはず。
学校教育は、その基礎作りの段階で、教育のすべてであるはずがない。
つまり、改正は”拙速”にすぎた感を禁じえない。
改正の趣旨は理解できても、これまでと大差なく、余り期待はできない気がする。
(実に残念!)
戦後60年の復興の功罪の総括として、
「個人の自由(放任?)・経済至上主義」をベースに「経済成長=幸せ」という”夢”に向かって「教育」は組み立てられてきたこと。
→ 今になってみれば”享楽的生活”と個人的価値観だけが支え。
→ この先にあるはずの共有できる「普遍的価値観」の喪失
(ここで”美しい国”を具体化したものが欲しい!)
ということを、共通認識とした上での改正だったのだろうか。
小手先の対症療法では、いくら法律で「民主、自由、真理」など表現しても、”お題目”は空々しいものになるだろう。
*今日の新聞*
「国旗・国家懲戒処分、教職員173人、都を起訴」「思想の自由侵害」・・・「日教組的VS極右」の対立は喧嘩?両成敗! どっちもどっち!戦後の民主教育が”砂上の楼閣”だったことの証明か?
極端な例:「教育勅語」では、
絶対(天皇)からの教えという形で、
”臣民”として、国民全体に対する徳目を示し、とくに家族への愛、友人への信義などを謳いあげている。
この中では、「教育される人」だけを対象にしていない。
むしろ「教育する人」に対して、常に心がけるべき方向を示している。
(だから、両親はもちろん年配者が
教育勅語を暗唱しているのを、子供心に厳粛に感じたものだ)
教育勅語は、天皇を絶対化し、帝国主義の元凶のように言われるが、
参考にすべき点もある。
とくに声を出して読んでみると、ムダがなく格調高く美しい。
当時の為政者の、伝統重視かつ国際的認識が伺われ、反って普遍性があるように思う。
但し、権力者が、天皇の名において、都合のよいように悪用していたことは間違いない。
★以下(改正教育基本法その2)、2007年2月8日記録★
戦後の教育は、結果としてどうだったのか?
戦後生まれの自分を振り返って見ると、大きな流れに気づく。
1.団塊世代より下の世代は、”戦後の教育”を受けて育ったつもりでも、そのときの大人(親、先生、戦後の三等重役・経営者、政治家)たちは 戦前の遺伝子を持ち、それぞれ自分の中で新しい教育を試行錯誤で消化していたはずだ、ということ。戦後生まれの自分にも旧制高校への憧れもあった。
2.それは明治以来の西洋化、近代化の中で、個人の尊厳/自由の尊重という民主主義教育・ヒューマニズムを補う意味で、有効なものであったはず。
(伝統と革新、大きな絶対と小さい個人とのバランス?)
3.しかし、今や大人たちのほとんどは、戦前を知らず(書物を通じても)、それ を直接伝えてくれる親も持たない世代、借り物の民主的教育(?)のゆがみがいじめ、ニートなどに顕著になってくる。
4.バランスを欠いた戦後の教育理念と体制の中で、たっぷりと個人主義、自由主 義を享受して育った大人たちの時代になっている、という現状をしっかりと認識しなくてはいけない。
その認識の上で、「改正教育基本法」を理解しょうとしたが、大きな欠落部分を感じる。
戦前の伝統:(絶対的なもの)天皇制・・・⇔・・・畏れ(西洋のキリスト教)
(良き文化・伝統)家族主義、公共精神などからの徳目、富国強兵に基づく創業精神・・・⇔・・・人格(西洋の啓蒙思想:ヒューマニズム)
教育勅語には、この「絶対的なもの」⇔「個人的な徳目」が均衡していたように思えるが、どうだろう?(西洋キリスト教に対応して、天皇制を築いたという説もあるようだ)
個人⇒ 家庭⇒ 地域⇒ 国家(天皇)というつながりで、具体的に、日常的に、しかも普遍的に表現されている。 全体主義には、実に都合がいい盤石の思想といえる。
「改正教育基本法」の大きな欠落部分:
国民の”心を一にする”思想、国の形、価値観、そういったものがないこと。
(グローバリゼーションの波への対応で精一杯)
(参考)
《教育勅語》 M23.10.30制定→教育基本法(1947.3.31制定)の翌年1948年6.19廃止
朕 惟フニ 我カ皇祖皇宗 國ヲ肇ムルコト 宏遠ニ 徳ヲ樹ツルコト 深厚ナリ
我カ 臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ 世世 厥ノ美ヲ 濟セルハ
此レ 我カ國體ノ 精華ニシテ 教育ノ 淵源 亦 實ニ 此ニ 存ス
博愛 衆ニ 及ホシ 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ 智能ヲ啓發シ 徳器ヲ 成就シ
進テ 公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ 國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 以テ 天壤無窮ノ 皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ 獨リ 朕カ 忠良ノ臣民タルノミナラス
又 以テ 爾 祖先ノ遺風ヲ 顯彰スルニ 足ラン
斯ノ道ハ 實ニ 我カ 皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫 臣民ノ 倶ニ 遵守スヘキ所
之ヲ 古今ニ通シテ 謬ラス 之ヲ 中外ニ 施シテ 悖ラス
朕 爾 臣民ト倶ニ 拳々服膺シテ 咸 其ヲ 一ニセンコトヲ 庶 幾フ
明治二十三年十月三十日
御 名 御 璽
ギョメイギョジ
★以下(改正教育基本法その3)、2007年2月10日記録★
これから教育関連法案など、教育制度改革が行われる予定だ。
今、”ゆとり教育”の見直しが是か非か?といったことも話題になるが、
この反対は”詰め込み教育”ということだろうか。
どっちも大事、両立はできないのかな。
量(時間)⇔”ゆとり”、質⇔”詰め込み”よく内容を整理して考えれば、両立できるし、むしろ相乗効果は高いように思える。
時間当たりの効果(=効率)、適性を考えて、必要なときに集中できるようなシステム(選択できるコース)⇔ 親・教師と本人が相談できる双方向の弾力的な制度
(退職者の経験と知恵も活用すべきかも)
その点、戦前の複線型の教育制度は参考になるかも知れない。
(高度知識社会、グローバル化の中ではそっくりというわけには??)
●政官財のエリート:高校(官8校公私合わせても32校:1940)→官立大学へ進学
●軍のエリート:陸軍士官学校、海軍兵学校
●資産家の後継者:私立の大学
●教師:各県に最低男女1校づつの師範学校(授業料無料)
●その他、高商や高専など実業界のリーダー養成コース
とくにガツガツ詰め込みされた状況ではなく、思考力を鍛えられた印象。
これは当時の高等教育だから、ほんの一部のエリート層。
ほとんどが、
長男は家業を継ぎ、他は自分の能力に応じて小学校・高等小学校、商業・工業学校を出て、社会人として自分の仕事を通じて人生を築いて行ったと言える。
入り口は運命的であるが、その中では”ゆとり”があった?
それだけに違う進路の序列化は無意味だったんだろう。
それが、戦後180度転換して、サラリーマンめざして民主教育のワンパターンコースに押し込まれた。(家族制度の廃止、傾斜生産方式という国策の下、否応無しに)
そして団塊世代の受験戦争へと加熱し、現在の教育崩壊?へと進んできたといえるだろう。序列化がすべてに浸透している。(でも、この世代には、戦後の"異常な時代"を生きてきたという自覚がない人の方が多いだろう)
今日のTVでも「700万人の団塊再び社会を変える?」特集番組。
戦後教育の量産型成果品(?)とも言える団塊世代の生き方は、これからの教育の方向を探る上で興味があるし、世間(とくに女性、若者)の期待・見方も気になる。
高齢社会は、個人の”差”拡大の一面を持つ。
健康、知識、趣味・生きがい、人脈、資産などこれまでのストック(錯覚も多い?)とその使い方に大きな差が生じるはずだ。
高齢者のそれぞれの生き方を監視・検証することも、一番確実な教育制度改革の一環になるのではないだろうか。
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