ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

創る・考える

2008年04月26日 | 企業と仕事 
電車に乗ると、半分くらいの人がケータイかヘッドホンを相手に通勤時間を有意義(?)に過ごしている。
メール、ゲーム、音楽・・どうもオタクっぽくて、余りいい感じがしない。
ずっと昔、評論家の大宅荘一さんが、テレビ時代を”一億総白痴化”といって嘆いたが、それと似た現象に思える。
よく宅急便を利用するが、窓口でA4サイズのケースで差し出すと、必ずコンベックスでタテ・ヨコ・厚さを測っている。
その会社の名入りのケースなら、測る必要はないと思うが、店長に測れといわれているから、と機械的な答え。(考えるな、とロボットのように扱われていることに気づいていない?)
考えてみると、自分で一から十まで創りだすということが、どれくらいあるだろうか。仕事や日常の生活で。
サラリーマンなら、会社という枠の中で、与えられた役割をこなすことでほとんど精一杯。自分らしい仕事といっても、小さな工夫・改善にすぎないことが多い。
新入社員に至っては、詰め込まれたわずかな知識と指示されたこと以外には、関心も示さない、と嘆く経営者が多い。
最近、新聞で”地頭力”という言葉を初めて知った。
大雑把に言うと、
知識(後天的)と才能(先天的)の中間にあり、「自分の頭で考え、工夫できること」だろうか。
こういう地頭力のいい人を、大企業を初めとして、世間一般も渇望しているらしい。
「詰め込み教育だけでは、役に立たない。
自分の中に潜在している能力を引き出し、実際に役立つ知恵と工夫が大切だ。(地頭力)」
なるほど、分かるような気がする。
山田昌弘/伊藤守著:「格差社会スパイラル」では、
コミュニケーションCommunicationの不足を挙げ、「関わりを作り出す知能」の大切さを説いている。
自分で考えて、新しい何かを創りだすこと。
自分で”深く考える”機会は、単調な繰り返しの作業中にもある。
たとえば、鍬で耕す/草取りをする・・・そんな時、色んなことを考えるだろう。
ちょっと前の農業はそうだった。日常の洗濯、掃除でも同じような作業があった。
朝の散歩、通勤電車の中でもいい。
そこには、自分だけで創る世界が拡がっているはずだ。
自分の内面を見つめ、夢を思い描き、考えをまとめる習慣も、自然に身に付いてくる。
反面、
現代社会は、便利さと効率(見た目の)優先で、その機会を奪っていると感じることが多い。
せめて、電車の中くらいは、朝の自由な時間にしたらどうだろうか。
周りの人たちを観察することで、世間というものに触れることもでき、
五感を働かせて、自分を活性化できる少ない機会にもなる。
”忙”と言う字は、”心が亡ぶ”ことからできたという。
自分の頭で考えるプロセスを大切にしたい、それが自分を創ることにもつながる。

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