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科学技術による経済発展を疑いもなく受け入れてきたことへの反省の表れとも言える。
我が国の先進国という一面では、原発震災でも大きな力となった「助け合い・絆」といった日本的精神が根強く残っていることを皆が実感したことだろう。
日本と日本人に対する特異性について、「ユダヤ人と日本人」「恥の文化」「菊と刀」などこれまでも海外文化との比較も為されているが、ここ数年のグローバリゼーションの波の中で、世界の動きに付いていけない我が国の政治・経済・社会全般にはがゆい思いをしているのは自分だけではない。
「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎・大澤真幸著という本に、その解決のヒントを求めた。
明治以来の「日本の近代化」が科学技術によることは疑いがないが、一方で「西洋文明の起点は、キリスト教の人間観にあり、教育による近代化(新島襄)」という部分がほとんど浸透せず、真の国際化を阻んでいるとも言われてきた。“和魂洋才“というイイトコドリ。
戦後日本の構造も、「日本国憲法・民主主義・市場経済・科学技術・文化芸術」という五人の良い子は、実は「キリスト教」というよそからの養子。そこで親:キリスト教のことを縦横無尽に俯瞰した本である。
①キリスト教の欧米で、なぜ資本主義が発展して来たのか?
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー
救済予定説:「最後の審判で分かるとされる結果は、GODが創造した時にすでに決められている。
個人の行いによって変えることはできない。(GODは絶対で、人に影響されないはずだから)」
そうだとすると、A:勤勉に生きる。B:自堕落に生きる のどちらが支配戦略になるか?
A:は隣人愛 B:は地上の自己愛・・・神の恩寵は勤勉な生き方に現われる。
結果が分からないだけに、この世の評価(人間同士の)は勤勉な生き方に左右される。
カルヴァンの意図しない結果として、全体として、逆説的にA:隣人愛(勤勉)が資本主義につながって行った。
②同じく、なぜ自然科学(科学革命)が発展したのか?(プロテスタンティズム(宗教改革)の後で)
世界はGODが創造した=そこにはGODはもういない。GODの証“自然Nature”というモノがあるだけ。
GODと呼ぶのは、神、かみ、カミを超える唯一の存在の意味。
世界を支配する権限が人間(理性)に委ねられている、と考える。
理性による自然科学(真理)の追究を通じて、GODと対話できる、ということ。
これは、聖書がかなりあいまいだから。ユダヤ法やイスラム法みたいに厳格なこの世の規準がない。
宗教改革で、神学、哲学、芸術(音楽・絵画)自然科学を深めることで、GODの意志に沿う創意工夫を必要とした。
僕も漠然と①と②の疑問を抱えながら、技術或いはマネジメントの仕事をしてきたが、“目からウロコ“の感がある。明治以来の我が国の近代化は、我々が意識していない部分ではあるが、科学技術とキリスト教という両輪で進められてきているのだ。キリスト教のヒューマニズム(隣人愛)は、普遍性・自然科学・理性というものにつながっているということだろう。
日本人は、無宗教と言われるが、「神に支配されたくない」というのが大多数の共通の感覚。(日本教)
神道で、カミの像を作らなかったのも、像を拝んで支配されなければならないから?
その代り、主体性が大好き、努力でよりよい結果を手に入れようとする。神頼みは大嫌い、ご利益という自分の都合で利用するだけ?こういう説明をされると、なるほどと思い当たることが多い。
世界の古代・中世・近代という大きな流れを俯瞰的に述べているが、実に爽快だ。
本来、どの民族も多神教、様々な神・かみ・カミを敬い、怖れてきた。
異民族の侵入で、ローマ帝国、オスマントルコ帝国、帝国主義が成立し、身近な神を捨て唯一の神(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に転向を余儀なくされてきた。
律法による契約(旧約)→守れない→愛による契約(新約)ここから近代化(合理主義)が始まり、今日のグローバル社会につながっている。
今、キリスト教世界は、“最後の審判“を迎えるまで、人間がどう応えるか?をDODに試されている、と観る。
そんな中で、日本は、先進国でありながら、身近な神々がいる珍しい国、と言い切る。
現在、行き場を失った西洋文明の限界がいろんな面でみられるが、”世界の中のNIPPON”が遅れをとればとるほど、周回遅れの先頭に立つ、そんな時代になりつつあるのかも?という期待を抱かせるではないか。
Globalizationの波とうまく付き合いながら、旧い日本の良さを自信を持って継承・進化させていくこと、そんなことを示唆してくれる本だ。
*追記2011.10.4
米「ウォール街を選挙せよ」のデモ、経済格差や行き過ぎた資本主義に対する抗議がヨーロッパ都市、東京などに広がっている。
2年半前のリーマンショック後の金融界が世界経済の元凶だ、として草の根運動で猛烈な怒りがわき起こっている。
金融緩和でお金がだぶつき、株価の暴落、為替のヅッコケ競争など制御不可能な強欲資本主義経済はもうすでに破綻しているはずだ。
フェイスブックやツイッターはやっていないが、こういう運動ではすごい威力を発揮しているという。
参加者数、主催者側発表と警察?の発表と4万人もの差が有るっ、昔から変わっていませんね。
勤勉と自堕落のどちらが支配戦略になる?
私の観点では、近年TVのお笑い系風潮を始めとした「退廃番組」は政府や資本の側からの攻撃と思わされます。国民が真実や裏の世界を見ないように目や心をそらされているのでは?などと危惧します。
隣人愛なんてきれいごと、GODが人間に求めるもののスタンスが邪悪な人間によって変えられてしまってきて、まさに終末の模様を帯びている気がしてなりません。
ただ、人間の力では抗えきれない大きな力、見えなく聴こえない姿が人間が気づかないうちにいざなわれているように思わされます。
生きるって疲れます・・・。
>人間の力では抗えきれない大きな力、見えなく聴こえない姿が人間が気づかないうちにいざなわれているように思わされます。
「見えなく聴こえない姿「に」
=「が」を「に」へ訂正です。
コメントありがとうございます。
良いことがあれば、悪いことも・・・
ガンにも増殖・転移する細胞と、逆にそれを抑制する細胞もあるとか。
義理と人情に支配されやすい世間第一の中で、漱石も悩んだんでしょうか?
人類の英知に、Something Greateが働きますように!
の
絵は
太平記のイメージでしょうか?
(多分ハズレだと思いますけれど。)