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原発震災

2011年08月31日 | 私生活 雑感
地震によって起こる原発事故を“原発震災“という。
日本は世界有数の地震国、それだけに原発依存の前に実態をよく知っておくことが大切。
地震学者:寺田虎彦の「天災は忘れたころにやってくる」ではないが、前向きな空気の前には警告は無視されやすい。
地震学者(変動地形学者)石橋克彦さんはじめ、真摯な学者は、浜岡原発の“原発震災“の大事故を警告していたことが、3.11東日本大震災のあとで、よくマスコミに取り上げられる。
「東海地震が今後30年間に起こる確率87%」
静岡県の会社に行くと、自治体、企業、地域が防災体制や訓練を定期的にやっているのを見聞きする。
2.3日前のnewsでは、地震予知を前提にした訓練では、余り役に立たないことが分かり、突然起こった時の「減災」の備えに変えた、とある。(“地震予知”も国家プロジェクトとして、過大な予算で推進されたが、最近の頻発地震で予知の限界が露呈したと言われる。「日本人は知らない地震予知の正体」米ロバート・ゲラー著でも、予測すら難しく、予知できないと分かっているのに、お金に群がる学・官・政「地震予知ムラ」の研究費獲得などの実態を指摘)
「地震学」は、まだ日の浅い学問らしく、とくにこの4,50年にいろんなことが解明されてきた。
大陸移動説(1911)、マントル対流説(1929)、プレートテクトニクス(構造地質学プレート理論1968)と、仮説→検証→世界的な学説として認知されてきた。
それによると、日本の海岸線の陸地は、数千年前、縄文時代には海の底にあった所が多く、海水冷却が必要な原発は、すべて海岸に立地されている。これはとても重要なことだろう。
日本列島の造山運動はまだ現在でも続いている、という。
これに対し、ヨーロッパ大陸は、数十億年前にできており、その中で比較的地震が多いイタリアは、1987年の国民投票で原発計画を凍結、3.11後も原発NOを決めた。
日本の原発54基の中でも、とくに浜岡原発は、3つのプレート(ユーラシアPL.の下にフィリピンPL.その下に太平洋PL.)が重なった危険地域であることが分かり、菅首相もここだけは「運転停止」にしたようだ。
六ケ所/柏崎/志賀も軟弱な地盤の上に立つことは同じ。“トーフの上の原発”とも言われる。
阪神大震災で、初めて「活断層」のことを知ったが、日本には3つの大きな活断層があるという。
①鹿児島から瀬戸内海を経て諏訪湖まで「世界最大級の中央構造線」 ②フォッサマグナの東「柏崎・千葉構造線」 ③フォッサマグナの西「糸魚川・静岡構造線」・・・皮肉なことに、浜岡と柏崎原発は、この対角線にある。
この20年間、日本列島は「地震の活動期」に入っているという。
1989-1995雲仙普賢岳(群発地震で大火砕流)、1995阪神大震災、2004紀伊半島沖連続地震/中越地震(直下型で、新幹線脱線・橋崩壊)、2006桜島噴火(60年ぶりに活発化)、2010新燃岳の火山灰被害など、確かに全国的に地震や噴火が頻発している。
地震学の領域はいろんな学問に広がっている。古代の地震は「地層」や文献、遺跡などから推定する。
自分の専門領域だけで判断して、「想定外」をいっぱい築いてきたことを反省する御用学者や政府機関が多いが、その誤りを指摘し、早くから警鐘を発していた人たちもいる。
日本の原発54基は、「耐震指針がなし」に建設されたもの23基、残りの31基もすべて2006年改訂指針の前に、設計は完了しており、最新の技術知見をクリアしているとは言えない。
この指針は、原子炉建屋だけを対象とし、タービン建屋や冷却系統配管などは、一般の建築基準法が適用されており、システム全体はほころびだらけ。実際に最近の中震度クラスの地震でも、危機的な状態につながるトラブルのnewsが記憶に新しい。
民主党の野田新首相は、耐性試験(ストレステスト)など厳格に安全性を確認して「原発再開」をする姿勢のようだ。しかし、ストレステストは欧米の基準がベース、地震国日本には不十分なはずだ。
原発の安全の信頼性は、タービン発電(東電の本職)、原子力(メーカー引いては欧米の技術)、地震学、地質学、地球物理・化学(使用済み核燃料の処分)、地震考古学(古文書)など広範囲にわたり、その中で一番弱いところが“安全性“を決める、というくらい謙虚に考えるべきではないか。
やらせメールや”想定外”は、とんでもないこと。(脱原発は急を要す!)

追記1)
先ほど、ケーブルTVで米リンカーン大統領が、1860年の奴隷制廃止をめぐる討論で、歴史に残る評価を得た、と解説していた。
投票結果は、賛成派の民主党議員に敗北したが、その論理的で真摯な主張が、後で人々の共感を呼び起し、ついに大統領になり、奴隷制廃止と民主主義の健全な発展に貢献した。

菅首相の”脱原発”は、権限による決定だけで、そこに至る論理的主張がほとんどないまま、個人的見解として、お茶を濁してしまった。本人は、辞任にあたり、「歴史的な評価」を口にしていたが、いかにも日本人的な引退に終わり、惜しい機会を逃した。

追記2)2011.10.15毎日新聞:
ドイツが今年6月、10年後の2022年までに原発全廃を決めたが、「倫理」の面からの議論も重視したという。
福島原発事故の2週間後、メルケル首相は「倫理委員会」を発足させ、2ケ月間17人のさまざまな立場の委員の議論の様子をTV中継、100万人以上が視聴した。
委員会は、大地震や津波がないドイツでは、福島の事故は「ほぼありえない」としながらも、飛行機事故やテロの危険性は決して排除できない、地球全体に迷惑をかけることは倫理にかなったことではない。
反対に、原発撤退のせいで、ドイツの産業力が低下、貧困層が増えれば、これも社会倫理に反する。
だが、太陽光や風力発電など再生可能エネルギー開発で、これらを解決する方向に結論を導いた。

菅首相の「脱原発」宣言は、早くも野田首相の「科学技術で安全性を」の方向で原発容認に向かう気配だ。
九電の「やらせメール」問題も、第三者委員会の調査結果を無視し、佐賀県知事の責任をうやむやにした最終報告書を出した。軽ぁるい「宣言」だから、いとも簡単に葬り去られることの繰り返しに絶望する。わが国民性というべきか。



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