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年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

改正教育基本法(その3)

2007年02月10日 | Weblog
これから教育関連法案など、教育制度改革が行われる予定だ。

今、”ゆとり教育”の見直しが是か非か?といったことも話題になるが、
この反対は”詰め込み教育”ということだろうか。

どっちも大事、両立はできないのかな。
量(時間)⇔”ゆとり”、質⇔”詰め込み”よく内容を整理して考えれば、両立できるし、むしろ相乗効果は高いように思える。

時間当たりの効果(=効率)、適性を考えて、必要なときに集中できるようなシステム(選択できるコース)⇔ 親・教師と本人が相談できる双方向の弾力的な制度
(退職者の経験と知恵も活用すべきかも)

その点、戦前の複線型の教育制度は参考になるかも知れない。
(高度知識社会、グローバル化の中ではそっくりというわけには??)

政官財のエリート:高校(官8校公私合わせても32校:1940)→官立大学へ進学

軍のエリート:陸軍士官学校、海軍兵学校
資産家の後継者:私立の大学
教師:各県に最低男女1校づつの師範学校(授業料無料)
その他、高商や高専など実業界のリーダー養成コース
とくにガツガツ詰め込みされた状況ではなく、思考力を鍛えられた印象。

これは当時の高等教育だから、ほんの一部のエリート層。
ほとんどが、
長男は家業を継ぎ、他は自分の能力に応じて小学校・高等小学校、商業・工業学校を出て、社会人として自分の仕事を通じて人生を築いて行ったと言える。
入り口は運命的であるが、その中では”ゆとり”があった?
それだけに違う進路の序列化は無意味だったんだろう。

それが、戦後180度転換して、サラリーマンめざして民主教育のワンパターンコースに押し込まれた。(家族制度の廃止、傾斜生産方式という国策の下、否応無しに)
そして団塊世代の受験戦争へと加熱し、現在の教育崩壊へと進んできたといえるだろう。序列化がすべてに浸透している。(でも、この世代には、戦後の"異常な時代"を生きてきたという自覚がない人の方が多いだろう)

今日のTVでも「700万人の団塊再び社会を変える?」特集番組。
戦後教育の量産型成果品(?)とも言える団塊世代の生き方は、これからの教育の方向を探る上で興味があるし、世間(とくに女性、若者)の期待・見方も気になる。

超高齢社会は、個人の”差”拡大の一面を持つ。多様性の乱舞時代!
健康、知識、趣味・生きがい、人脈、資産などこれまでのストック(錯覚も多い?)とその使い方に大きな差が生じるはずだ。
高齢者のそれぞれの生き方を監視・検証することも、一番確実な教育制度改革の一環になるのではないだろうか。
(これから同世代の高度経済成長型の仲間をよく観察して行きたい)
 
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