朝日を背に、百日紅の赤い花が風にゆらいでいる
大きく広がった枝に、咲き誇るように、手招きするように!
鳥たちもチチチッと飛び回っている。
熊本の実家で、玄関からの涼しい風に頬をなでられながら、泉水に見入る。
父の死去、覚悟はしていたけど、お通夜、葬式、親戚の宴とめまぐるしい中で
ときどきふっと涙があふれ出てくる。
明け方の仏壇の前で、父の遺影に向かって心の中で話しかける。
もう少し、じっくりと話を聞いてあげられたら良かったね。
まだまだ一杯話したいことがあったんだろうから、、、
いつも、帰省する時には、今度こそじっくり聞いてやろう、と思っていたけど
やっぱりガマンができずに、中途半端で終わり、悔いが残っている。
でも、
人の一生は、死んだときに分かる、と言うから、全然心配しないでいいよ。
細かいことではいろいろ不満はあったけど、一番大事なことは理解できている積り。
式は、近くに住む弟と妹の厚い思いと働きのおかげで、思っていたより数倍盛大なものだった。
この町でずっと過ごしてきたことが、地域の人達以上に、自分たち子どもや孫たちにもきちんと伝わっていると思う。葬式でもはっきり確認できた。
そして、8人兄弟の残されたおじ・おば3人(80代)にも今は少しかも知れないけど、これからもっとよく理解してくれるような気がする。
親族代表の挨拶で、次のようなことを皆さんにお伝えした。
「8人兄弟の上から2番目の長男として、この町で生まれ90年近く過ごしたこと。熊本県庁に勤務中、両親の相次ぐ急死により、旅館の3代目として家督を相続、弟妹たちの教育、結婚、就職をすべてに優先させたんだよね。
戦時中のS16,7年ごろで、旧家族制度の下で否応なしだったから、いざ自分の子育ての時は疲れすぎていたのかも知れないね。
そして終戦直後の混乱時には、第1回町会議員、高校や保健所の創設、消防団長など大いに活動した時代があったことを、つい最近感謝状を見て知った。
でも、働き盛りの40,50代は仕事の面では不本意な状況ばかり続き、いつも僕たち子どもには遠慮していた。
今、戦後社会の急な変化を考えたとき、これはやむ終えないことだったように思える。
・ ・・それから60代後半から昨年骨折入院するまでの30年間は、老人会、絵画教室、年金で買った望遠鏡でハレー彗星観測など、最期まで向学心旺盛でとても充実したものであったこと。」
こんな趣旨で、ご来席の皆様に、子の立場からのメッセージとして受け止めていただきたいという思いでいっぱいだった。
そう・・・少なくとも後半は、実に良い人生だった!ということを。
大きく広がった枝に、咲き誇るように、手招きするように!
鳥たちもチチチッと飛び回っている。
熊本の実家で、玄関からの涼しい風に頬をなでられながら、泉水に見入る。
父の死去、覚悟はしていたけど、お通夜、葬式、親戚の宴とめまぐるしい中で
ときどきふっと涙があふれ出てくる。
明け方の仏壇の前で、父の遺影に向かって心の中で話しかける。
もう少し、じっくりと話を聞いてあげられたら良かったね。
まだまだ一杯話したいことがあったんだろうから、、、
いつも、帰省する時には、今度こそじっくり聞いてやろう、と思っていたけど
やっぱりガマンができずに、中途半端で終わり、悔いが残っている。
でも、
人の一生は、死んだときに分かる、と言うから、全然心配しないでいいよ。
細かいことではいろいろ不満はあったけど、一番大事なことは理解できている積り。
式は、近くに住む弟と妹の厚い思いと働きのおかげで、思っていたより数倍盛大なものだった。
この町でずっと過ごしてきたことが、地域の人達以上に、自分たち子どもや孫たちにもきちんと伝わっていると思う。葬式でもはっきり確認できた。
そして、8人兄弟の残されたおじ・おば3人(80代)にも今は少しかも知れないけど、これからもっとよく理解してくれるような気がする。
親族代表の挨拶で、次のようなことを皆さんにお伝えした。
「8人兄弟の上から2番目の長男として、この町で生まれ90年近く過ごしたこと。熊本県庁に勤務中、両親の相次ぐ急死により、旅館の3代目として家督を相続、弟妹たちの教育、結婚、就職をすべてに優先させたんだよね。
戦時中のS16,7年ごろで、旧家族制度の下で否応なしだったから、いざ自分の子育ての時は疲れすぎていたのかも知れないね。
そして終戦直後の混乱時には、第1回町会議員、高校や保健所の創設、消防団長など大いに活動した時代があったことを、つい最近感謝状を見て知った。
でも、働き盛りの40,50代は仕事の面では不本意な状況ばかり続き、いつも僕たち子どもには遠慮していた。
今、戦後社会の急な変化を考えたとき、これはやむ終えないことだったように思える。
・ ・・それから60代後半から昨年骨折入院するまでの30年間は、老人会、絵画教室、年金で買った望遠鏡でハレー彗星観測など、最期まで向学心旺盛でとても充実したものであったこと。」
こんな趣旨で、ご来席の皆様に、子の立場からのメッセージとして受け止めていただきたいという思いでいっぱいだった。
そう・・・少なくとも後半は、実に良い人生だった!ということを。
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