原爆記念日を前に、広島の平和記念公園に立ち寄った。
学生のときに一度来たので、40年ぶり。
原爆ドーム(被爆前の写真では県物産陳列館)の周りを見て回ったが、
壁面の被害の程度にバラツキがある。
ガイド文を見て納得、垂直爆風で半径2kmの範囲で廃墟と化し、20万人が即死。
公園の南には、広島市女(イチジョ)の生徒541人と職員7人の慰霊碑があった。
E=MC2(原子エネルギーの公式)という銘は、占領下で「原爆」という言葉が使えなかったから、とある。
公園は
二つの川と緑に囲まれ、近代的な空間を備えているが、62年前の8月6日の悪夢を思う時、戦争と原爆について、乏しい知識だが、いろんな思いが湧き上がってくる。
先に、久間防衛相が「アメリカの原爆投下は、・・・しょうがない・・」と言ったとかで、辞任に追い込まれたが、
こうやって、悲惨さは風化して行き、また同じ過ちを繰り返すのだろうか。
この見るに耐えない原爆ドームを、クサイモノにフタと新しモノ好きな我々日本人として、よくぞ原状のまま残してくれた、と不思議な気さえする。
公園では、外国人の姿が多く目に付いた。
観光バスの団体は、高齢者が多いようだが、公園のベンチやドームの周りには若い世代もガイドに見入っていた。
彼らは、多分投下したアメリカ人ではないのだろう。
日系2世監督の「ヒロシマナガサキ」という映画が話題になっているが、
アメリカ人は原爆投下した事実に向き合うのが怖いのだという。
責めるのではなく、被爆者一人一人の事実から核廃絶を訴えたいとコメントしている。事実を知ることには勇気が要る。
経済戦争というが、経済はルールの上での戦い=ゲーム、戦争はルール無き争い。
ゲームはやり直せるが、戦争の犠牲は計り知れない。
「しょうがない」で済ませるはずがない。
平和憲法というルールで、一線を越えない状態を維持することが、今こそ大切。
平和大通りをホテルに向かいながら、そんなことを思った。
学生のときに一度来たので、40年ぶり。
原爆ドーム(被爆前の写真では県物産陳列館)の周りを見て回ったが、
壁面の被害の程度にバラツキがある。
ガイド文を見て納得、垂直爆風で半径2kmの範囲で廃墟と化し、20万人が即死。
公園の南には、広島市女(イチジョ)の生徒541人と職員7人の慰霊碑があった。
E=MC2(原子エネルギーの公式)という銘は、占領下で「原爆」という言葉が使えなかったから、とある。
公園は
二つの川と緑に囲まれ、近代的な空間を備えているが、62年前の8月6日の悪夢を思う時、戦争と原爆について、乏しい知識だが、いろんな思いが湧き上がってくる。
先に、久間防衛相が「アメリカの原爆投下は、・・・しょうがない・・」と言ったとかで、辞任に追い込まれたが、
こうやって、悲惨さは風化して行き、また同じ過ちを繰り返すのだろうか。
この見るに耐えない原爆ドームを、クサイモノにフタと新しモノ好きな我々日本人として、よくぞ原状のまま残してくれた、と不思議な気さえする。
公園では、外国人の姿が多く目に付いた。
観光バスの団体は、高齢者が多いようだが、公園のベンチやドームの周りには若い世代もガイドに見入っていた。
彼らは、多分投下したアメリカ人ではないのだろう。
日系2世監督の「ヒロシマナガサキ」という映画が話題になっているが、
アメリカ人は原爆投下した事実に向き合うのが怖いのだという。
責めるのではなく、被爆者一人一人の事実から核廃絶を訴えたいとコメントしている。事実を知ることには勇気が要る。
経済戦争というが、経済はルールの上での戦い=ゲーム、戦争はルール無き争い。
ゲームはやり直せるが、戦争の犠牲は計り知れない。
「しょうがない」で済ませるはずがない。
平和憲法というルールで、一線を越えない状態を維持することが、今こそ大切。
平和大通りをホテルに向かいながら、そんなことを思った。
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