私たち日本人は美しい自然を見ると信仰心に目覚める。
先日も富士山の威容に胸を打たれた。
そこに神が宿るそして、畏れ奉る。
それ以上は考えないのだろう。
ところが西洋人は、さらに考える。
こんな美しいものを作ったのは誰だろう?
きっと絶対的な存在、万能の神様がいるに違いない・・・と。
合理的、客観的な思考ともいえる。
キリスト教もイスラム教もそんな感じではないだろうか。
日本人はそういう”絶対”という概念が理解できないという。
あなたと私の感じられるもの、相対的な思考にとどまる。
その代わり、”無”という概念に強いという。
死んだら”無”何も残らない。
諦め、無常観に通じるのかも。
極限状態(たとえばスポーツ競技)では、”絶対”を信じる方が強さを発揮するような気がする。
実際、ゴルフ、テニスなどで外国人のプレーヤーは、信じられないくらいの死闘を演じることが多い。
異文化が交じり合う現在のグローバル社会の競争では、”絶対”に向かう思考の方が勝利するのではないだろうか。(宗教、金融、科学技術など)
”絶対”外向きのPower >(大ナリ) ”無”内向きのPower
先日も富士山の威容に胸を打たれた。
そこに神が宿るそして、畏れ奉る。
それ以上は考えないのだろう。
ところが西洋人は、さらに考える。
こんな美しいものを作ったのは誰だろう?
きっと絶対的な存在、万能の神様がいるに違いない・・・と。
合理的、客観的な思考ともいえる。
キリスト教もイスラム教もそんな感じではないだろうか。
日本人はそういう”絶対”という概念が理解できないという。
あなたと私の感じられるもの、相対的な思考にとどまる。
その代わり、”無”という概念に強いという。
死んだら”無”何も残らない。
諦め、無常観に通じるのかも。
極限状態(たとえばスポーツ競技)では、”絶対”を信じる方が強さを発揮するような気がする。
実際、ゴルフ、テニスなどで外国人のプレーヤーは、信じられないくらいの死闘を演じることが多い。
異文化が交じり合う現在のグローバル社会の競争では、”絶対”に向かう思考の方が勝利するのではないだろうか。(宗教、金融、科学技術など)
”絶対”外向きのPower >(大ナリ) ”無”内向きのPower
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