ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

家族制度

2007年02月19日 | Weblog
我が家は妻と長男(妻子1人)、長女(同居)の4人家族で
それぞれ九州の両親(93歳から80歳)は4人とも生存、墓所も2ヶ所にある。
典型的な核家族だ。

戦前なら、家族制度の下、今のように関東と九州にバラバラになってはいないだろう。
家父長制で、長男は親の面倒と兄弟の世話、墓所や檀家の維持を
先祖代々続けていたはず。

戦後生まれとして、核家族の自由を当然のように享受してきたが、最近、戦後の家族制度を180度転換したひずみがいろんなところにでてきたと感じる。

柳沢大臣の「女性は子供を産む機械」発言も、家族制度と無関係ではない。
とくに60,70歳代以上の世代の男性は同じような本音を持つ人が多いのではないかな?
家を中心に地縁共同社会さらに国家へと秩序がきちんとしていた時代からすると
今は何でもありの無責任すぎる・・・という感じ。

家を中心にした戦前は個人の自由が極端に規制されていたことは確か。
”女は三界に家無し”
家族制度の犠牲者はとくに女性、自分の83歳の母の人生をみてもそう実感する。

孔子の「修身斉家治国平天下」:
まず自分の徳を積み、家族の面倒を見て、地域の中で役に立つ、
そのことが国家の平和・安定につながる。
男たるもの、この心構えでかんばろうぜ!と勇ましい美学だった。

結婚式では、花婿はそう意気込んで家庭をスタートさせるはずだ。
こうして、個人がまるで無から生じたとでもいうように、核家族は始まる。

自分の学生時代(S40年頃)、主任教授が学長になり「女子大生亡国論」なる趣旨の発言で
マスコミのエジキになったことを思い出す。
戦艦の振動学が専門で、戦後大学で研究しておられた明治人だった。
(もっとも当時の大学進学率は今の1/5位で少数で、特権意識も強かった)
この方に限らず、歴代の文部大臣や尊敬すべき経営者も
似たような感覚だったようで、著作にもはっきりと述べていることが多い。
今問題になっている石原都知事、第3国人発言や家父長としてのファミリー特権の乱用など、この部類に入るのだろうか?


俗に言う、国粋主義の枠から抜け出せないまま、グローバル社会を見やすいので要注意・・・身体で身についたモノは大事な局面で顔を出す?

日本の家族制度はナポレオン法典と似ていると、昔親父から聞いたことを思い出す。(熊本の実家の田舎町で、若いフランス人旅行者との道路上でのコミュニケーションのあとで興奮して「日本の民法と同じたい!」)
ナポレオンの軍隊は、初めてフランス軍としての自覚があり強かった、その基本は「家庭→共同体→国民軍」という確固たる秩序がその理由らしいが、、、
*参考
 1789フランス革命の後、女性の権利拡大が進んだが、1804ナポレオン法典(世界初の近代的市民法)では女性差別が強化された。(家長権、財産権”夫のモノは夫のモノ、妻のモノも夫のモノ”)*

国家のまとまりを強くするには、地縁を機能関係に同化できる最も有効な方法らしい。(政治家が重視するはずだ)

今、わが国と社会の秩序は混迷の中にあり、一層方向が見出せない状態だが、
旧世代(リーダー階層)と戦後の世代のギャップはかなり大きく、もっと悪いことが表に出てくる予感がする。

戦後60年、経済オンリーで専念してきたツケだと思って
根気よく全方位に亘って、歴史の事実をつかみ、良い流れを築いて行くことが大切だと思う。(急には変わらないのは確か)
これは間違いなく旧世代(団塊世代も含む)の責任&義務だろう。

自分自身→家庭→親族→地域社会→国家さらには地球環境へとみなつながっている。

このブログのタイトルの”償い”の意味もそこに込めている。

























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