ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

直系4代

2007年05月05日 | Weblog
今日は端午の節句:こどもの日

昨日まで近くに住む長男一家(夫婦+1歳の男の子)が泊りがけで里帰り(といっても核家族の親元だが)。
孫は5/8でちょうど1年、半月ほど前からヨチヨチ歩きを始めたが、この休み中だけでも足取りがしっかりしてきた。
マンション住まいの子育てにせいか、我が家の庭や散歩が珍しいようで、花壇の花や石ころに夢中になる。
水まきホースで水遊び、ミミズを手に取り食べようとする。
一つ一つが初体験!
こうやって自分の脳の回路がインプットされていくんだな、と「三つ子の魂」を実感する。

この一つの命:孫1歳には長男30歳←自分62歳←父92歳という直系4代の血のつながりがある。
当たり前のことだが、何か不思議な気がする。
今この孫の頭には、こういった過去は無く、見聞きする一つ一つの世界がすべて。
長男30歳にとっても、これからの子育てを中心に将来設計で頭がいっぱい。
一方、92歳の父(去年から骨折入院中)にとっては、この孫は過去の一コマに過ぎないだろう。
そして、自分は丁度その中間地点にいる。

過去・現在・将来、それぞれの人生において、この3つの比重は年を重ねるにつれ変化する。
今生きている時代を的確に認識すること、これはかなり難しいことだと今更ながら実感する。
自分のこれまでを見ても、過去を振り返らず/将来の予測無しの状態で、結果として行き当たりばったりに生きてきた感がある。
フルサトを離れ、高度成長・グローバリゼーションの大波に漂いながら、近くの港に休息を求めてきたと言えるのだろうか。。
ふと気がつくと、遠く船出をした母港で消えかかる灯火を振っている父がいる。
運良く、航路の先(将来、老後)に父という過去を見つけることが出来た。

でも、これからの若い人、とくに一番身近な孫にはもっと確実な生き方をして欲しい。
自分たちの時のようにじっくり育つ環境ではなくなり、何でもスピードアップし、学ぶことが多くなっている時代だから、その方向性を見守ってやることが大切だと思う。
この進化する社会の中で、変わらない大切なものを持っていることは大きな力になるような気がする。
その一つが、先祖から続く血のつながり、生きる存在、人間としての基本を身体に染み込ませることと言えるだろう。

幸い、入院中とはいえ、これまで長生きしてくれたおかげで、戦前・戦後を体験し、歴史的な見方が出来る父がいる。
戦後生まれの自分の役割として、これを自分の長男、孫へとできるだけ生のままで伝えたい。
戦後の日本の社会は、政治、教育においてもこのことを放棄してきたのではないだろうか。とくに家族制度・教育勅語の廃止に代わるものがなかったことが大きい。
経済だけで精一杯、そのヒズミを取り戻そうと、今の安倍政権は教育再生、憲法改正など目白押しの政策を急いでいるようだ。(極めて拙速な印象だが)
国の施策の是非はともかく、この趣旨を理解し、自分の身近なことから手がけていくことが大切だろう。

自分の伝えたい生の形:例えば実家の日本家屋、江戸時代からの墓所、戦前の書類(契約書、領収書など)そして父からのハガキ(政治、経済などグローバルへの関心が強い)など。
熊本の実家に帰省した折や自宅の整理の際に、これらを少しづつ整理している。

自分にとって、実家での伝統が無意識の内に力になったように、孫にも、逆境のとき、勇気を持って人生の決断をすべきときなど、羅針盤になってくれることを祈る。



















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