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トランプ大統領 ご接待に思う

2019年05月30日 | 政治 経済 社会 憲法
5/28からの4日間、マスコミはトランプのワンマンショー!
一日目、安倍首相とのお友達ゴルフ、大相撲の桟敷席での御前相撲まがいの観戦、そのあとの炉端焼きディナーのニュースが、TV、Net、新聞などで
垂れ流された。
翌日の国賓としての宮中歓迎でも、相変わらずトランプの表情は憮然としていた気がする。
護衛艦(空母?)「かが」の艦上では、どうにか機嫌を取り戻したかのようだった。

日米同盟の強化や貿易交渉を控えた大国への過剰接待!
ここまで、属国であるかのようにへりくだる意味があるのだろうか?と違和感を覚える。
何かが足りない!そうだ、日米を代表して登場する人物に、正義や道徳や倫理のにおいが全くしないこと。
「ハーバード白熱教室」で話題になった、マイケル・サンデル教授なら、この現象をどう分析するのだろうか?
ちょうど、AIの草分けと言われる西垣通さん(東京大名誉教授)の記事があった。
こういう正統派の議論が、最近のマスコミには少なくなったような気がして、それだけにホッとする。
中国は、すべてにおいて奥が深い。
以下、その要旨;
「サンデル教授、中国哲学に出会う」 マイケル・サンデル、ポール・ダンブロージョ編著
  *サンデルの正義論を中心に、中国の研究者9人が執筆した論考に応答する。

サンデルの公共哲学が中国のインテリに熱狂的に議論されている。
儒教の立ち位置は、共和主義が唱える徳の促進と間違いなく相性がいい、という。
儒教は個人の内面道徳に重きをおくが、共和主義は市民としての公的美徳を促そうとする。
だが、サンデルは、個人の善に基づかない限り、社会的正義など実現できないと考える。
共同体における善とか徳とか言うと、日本人は本能的に警戒する人が多い。
教育勅語をはじめ、戦前の国民道徳の強制と敗戦の記憶があるからだ。

サンデルは、アメリカ第一を掲げ、何かと「分断」をあおる権力者(トランプ大統領)に米国を任せないために「道徳に関する公の対話」が必要だ、と主張する。
中国で、サンデルが注目されているのは、人々が相互扶助や公共心の劣化に悩んでいるからではないかと言う。
事情は日本でもまったく同じだろう。
日本人は、今や海外の「道徳」なきビジネスや技術をひたすら追うことが進歩だと思い込んではいないか?
新札の顔で話題になっている渋沢栄一の「論語と算盤」や二宮金次郎の「道徳と経済」は、きれいごととして片付けられてしまう。
サンデルのコミュニタリアニズムを真剣に考察することで、糸口が見えてくるのではないだろうか?

<米国の倫理思想の代表格>
①功利主義(俗にいう結果主義);行為や制度の評価はその結果生じる効用(功利)により決定される。まさに米国流民主主義のイメージ!
②リベラリズム(自由平等主義);弱者に配慮しつつ、自由を尊重しインテリ層に支持されてきたが、経済的グローバリズムの進展と共に最近は余り人気がない。
③リバタリアニズム(自由至上主義);個人の所有権をあくまで市場で追求するもので大変な勢いがある。

サンデルが唱えるのは、「コミュニタリアニズム共同体主義(共和主義)」だ。
サンデルは、最終的に③リバタリアニズムを批判する。
つまり、伝統的道徳や同情心をかなぐり捨て、万物に値札をつけて取引する社会は正しいのか?と問う。
それは一部の層だけを富ませる不幸な格差をもたらすのではないか、という強い懸念を表明している。
現在の中国も、この懸念の実験場とも言える。
サンデルの公共哲学が、ほんの一部に過ぎないかもしれないが、中国のインテリに熱狂的に迎えられているのも当然だろう。

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