気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

代役のきかない人生 ・・・ 3.弱い存在

2010-08-30 06:11:50 | Weblog
中学生や高校生と話をしていて感じることは

  じつに彼らは「頭がいい」ことです。

いや 頭がよすぎます。


15や16で

「自分の力は 自分で知っています」

「限界というものがあるから」

「人間は 弱い存在だ」 ・・・ などと言ってきます。



なにが「限界」だ。 なにが「弱い存在」だ。

  そんな言葉は冥土に行ってから吐け。
 
         ・・・ と言ってやりたくなります。



こんなこと言うときの彼らは 生き生きしていません。

棺おけに片足を突っ込んだ 死にぞこないのような
 
  ・・・ 情けない顔をしています。



もちろん

彼らとて 悟りすましているわけではありません。

内心ウジウジしています。

あれもやりたい これもやりたいと考えています。

不平不満がもうずまいています。


その証拠に

「そんななまいきなことを言ったって

  なにもわかっとらんくせに・・・」と挑発すると

・・・ 気色ばんで食ってかかってきます。


そのときの彼らの目は ・・・ じつに生き生きとした いい目です。




    (2010/5/29 撮影 エジプト)





「がんばってます」 は ・・・ ただのオシャベリ

2010-08-30 05:37:56 | Weblog
私は 「意見」というものを信じません。

とくに

言葉で表現される意見は その内容について

  ほとんどひとかけらの価値もない ・・・ と思っています。


「こうしたらいいと思う」

「ああすべきではないでしょうか」

  ・・・ そう思ったら 自分でやる。



「思っています」というのは

政治家の「善処します」 「慎重に検討します」と同じで

  ・・・ じつはなにもしないに等しいのです。


あるいは また

「あなたの考え方はまちがっている」

「いや そっちこそ正しくない」

  などという議論も それ自体なんの意味も持ちません。


考え方が正しいか まちがっているかなどではなく

生き方として ・・・

  精いっぱいやっているか それとも

  だらっと暮らしているか ・・・ どっちかです。


それは

言葉の上でどんなに「がんばっています」と言ったところで

  じっさいの生活がそうでなければ

      ・・・ ただのオシャベリにすぎないのです。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)




 

代役のきかない人生 ・・・ 2.後ろ向き

2010-08-29 15:32:45 | Weblog
だれでも お釈迦さま ・・・ 「天上天下唯我独尊」です。


だから

勉強もし 仕事もします。

他人のためにやるのではありません。

あくまでも 自分が生きているのです。


ところが

人間は 追いつめられ せっぱ詰まるとガンバルのに

  ふだんは どうしてもそういう気にはなりません。

「だれか他人がやってくれるだろう」

「まあ なんとかなるだろう」 ・・・ と たかをくくります。


あるいは

「こんなことをしたら笑われるかもしれない」

「あんまり出すぎたまねをしないほうが身のためだ」

  ・・・ と 後ろ向きになるのです。




    (2010/5/28 撮影 エジプト)





代役のきかない人生 ・・・ 1.天上天下唯我独尊

2010-08-29 12:09:48 | Weblog
いま 小便に行きたい。

しかし 便所に行く時間が惜しい

  ・・・ だれか おれの代わりに小便してきてくれ。


いま 目の前でガスが漏れている。

  ・・・ だれか呼んできて ガスの栓を閉めてもらおう。


いま わが子が川でおぼれている。

  ・・・ 泳ぎの達人を探しに出かけよう。


おれ 生きるのがめんどうだ。

  ・・・ だれか おれの代わりに生きてくれ。



アホ言うな おれだって忙しいんだ

  だれがおまえさんなんかのために ・・・ とだれもが思います。


だが おなじようなことを人間は ついしがちです。

人のことは笑えても 自分のことは笑えません。

・・・ それが人間の悲しさと愚かさだ ・・・ と思います。



ところが どっこい 人間はしぶとい。

どんなに時間が惜しくても 小便を漏らすわけにはいかない。

  ・・・ やっぱり 走って便所へかけこむ。


ガスが漏れていれば ・・・ 自分で栓を閉める。


生きるのがめんどうでも 腹が減れば ・・・ メシを食う。


眠くなれば ・・・ 横になる。



お釈迦さまは 生まれたとき 天と地を指さし

  「天上天下唯我独尊」 と叫んだ。


これは どういう意味か。


おれがやらなきゃ だれがやる。

  だれもやってくれやしないじゃないか。

正真正銘 ひとりで生きていかなきゃならない自分の命があるだけだ。

  ・・・ こういう意味なのでしょうね。


生き生きした姿そのもの ・・・ です。




    (2010/5/29 撮影 エジプト)





精いっぱいの人生

2010-08-29 09:38:50 | Weblog
穴を掘っている男がいた。
ところが 大きな岩に突き当たったので
  それ以上掘り下げることができなくなった。
やむなく男は 岩にそって横に掘っていった。

それを見ていた者が
「なんだ 穴を掘るといいながら 溝を掘っているじゃないか」
  と冷やかした。
しかし 穴掘り男は そんなひやかしには耳もかさず掘りつづけた。


この男にとっては 第三者が「穴だ 溝だ」と騒いでいるのは

  ・・・ なんの意味も持たなかったのです。

ただ 土があり シャベルがあり 岩があり ・・・
 
それすらもなくなって

  ・・・ 一心不乱に掘っている自分があっただけなのです。


この精いっぱいの境地
 
  吸う息吐く息以外のなにものもない世界 ・・・

そんな人生こそ もっとも確かなものだ

             ・・・ とは言えないでしょうか。




    (2010/5/28 撮影 エジプト)




 

医源性疾患 ・・・ 自然治癒力

2010-08-29 07:00:30 | Weblog
「医源性疾患」という言葉がありますが
これは 医者に
「あなたはちょっと心臓が悪いようですね」と言われたとたんに
  心臓がズキンズキンと痛み出す というような病気です。

ところが
  心臓病やガンで体のぐあいがわるい人が 病院に入院する。
それまで 病院のベットが満員で待たされていた。
それが やっとはいれることになった。
すると 病院にはいったという安心感のために ・・・
その翌日には あとかたもなくガンが治癒していた ということが
・・・ 冗談でなく 実例がなん件かあったそうだ。


自然治癒力というものを 人間はみんな持っているのです。

それを自覚することが大切です。


医者や薬が治すのではありません。

その人が 人間として本来もっている治ろうとする力が

  その人の病気を治す ・・・ のです。


人間が

この世に生まれついてから持っている諸々の思惑や煩悩を振り払って

  ありままの裸になりきれれば ・・・

そういう力は 自然に湧いてきます。


医者や薬は 仲介の役を果たしてるにすぎません。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)




 

インスタント一行論

2010-08-29 05:59:47 | Weblog
ひとことで言うと ・・・

かんたんに言うと ・・・

要するに ・・・


なんでもかんでも「インスタント一行論」ばやりです。


こんな早わかりを好む風潮は 悲しいことです。


早くわかったことは ・・・ 早く忘れること必定ですよ。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)





マイペース丸出しで

2010-08-29 05:23:21 | Weblog
学校へ行きます。

職場へ行きます。


成績が悪かろうが

これを重荷にしたときは

  ・・・ あなたは 他人にだまされている姿です。


あなたのマイペース丸出しで

  いっぱいいっぱいで進めている姿こそ

  ・・・ 生きた自分の人生を展開しているシルシです。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)






脱力 ・・・ 死にきる

2010-08-28 13:48:16 | Weblog
脱力 ・・・ からだのすべての部分の力を 全部抜きとります。


息が自然に整い 頭の中からつまらぬ思惑が払いのけられます。



これがなんの役に立つか ・・・ なにも役立ちません。


ちらっとでも なにかの役に立てようと考えたら

  ・・・ その瞬間から「脱力」はなくなります。



脱力すれば その時点で 死にきっています。


死にきっているあいだに

  頭も からだも 「気」(エネルギー)を充実させています。


そして

ひとたび外から刺激を受ければ ・・・

  すらすら対応していく準備が完了している ・・・ のです。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)




 

片づく方向 ・・・ 安心

2010-08-28 08:22:17 | Weblog
積もり積もった仕事をみると ・・・ だれもがイライラします。


しかし

そのうちひとつだけでも

  最善の力を向けて片づけると ・・・ 心が落ち着きます。



仕事は「片づいた」から安心するのではありません。

「片づく方向に進んでいる」から ・・・ 安心するのです。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)





尊敬される人間になるな

2010-08-28 06:11:21 | Weblog
尊敬される人間になるな。


人を尊敬する人間になれ。



尊敬されているとちらっとでも思ったときに

  すでにきみの命は蝕まれています。


その人からなんらかの教えを得ようとする態度こそ

  たるみのない真剣な日常生活なのです。




    (2010/5/27 撮影 エジプト)





許される憤慨(ふんがい)

2010-08-27 17:45:06 | Weblog
自分のことを棚に上げて

  他人に憤り(いきどおり)を感じるのは恥ずべきことです。


しかし ・・・

もし 子どもたちのように柔軟性に満ちた人間なら

つぎのようなときには 本気で他人に憤慨(ふんがい)しても許される

  ・・・ と思いますね。



  おとながよく口にする

    「○○してくれたら ○○してもいい」などの

      交換条件が出てきたとき。



  自分がやってもいない作業を他人にヤイヤイ言う同僚を見たとき。



  自分のまじめな発言を
 
    他の人が冗談ばかり言ったり

      騒いで ちっとも聞こうとしてくれなかったとき。