気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

寝つけないときには ・・・ 「無為自然」 

2010-08-25 05:12:55 | Weblog
「する」よりも「しない」ほうがよい
 
  というケースが いくらでもあります。


「考える」よりも「考えない」ほうがよい

  ということも いくらでもありえます。



「思う」ためにこそ 人間は頭(大脳)を授かっているのですが

しかし その頭は 創造的 生産的な思考をなしてこそ

  ・・・ 自分の人生の役に立つのです。


頭をムダに もしくは マイナスの方向へつかってはならない

  ・・・ ということです。

それよりは 「何も思わない」という「為無為」のほうが

  ・・・ はるかにまさるのです。


私たちは この大切な頭を
 
  いかにしばしば ムダな思いのためにつかっていることでしょう。

つぶさに顧みたら それは驚くべきほどの量に達するはずです。


その端的な例が

  眠れない夜における 「早く眠らねば ・・・ 」という想念です。

その思いによって かえって眠れなくなるのですから

  ・・・ 非生産な想念の代表的なものといってよいでしょうね。


ムダに思うことが 自然な生命活動のブレーキになるのですから

  ・・・ これも「有為反自然」の一例といえます。


寝つけないときには その状況に逆らわず

  ・・・ 水のように これに沿うしかありません。


いつ眠りに落ちるかは 「天まかせ」にします。

すると いつか 「無為自然」に 眠りに落ちてしまうのです。



一事が万事で すべてにおいて ・・・ 理は このとおりです。






童心 ・・・ わらべごころ

2010-08-25 03:06:57 | Weblog
子どもは 大人よりも「低い」ものです。

身長も低いし 内容も低いです。

だが その「低い」に プラスの価値がないか どうでしょうか?


・・・ あるはずです。

「低い」とは 「基」ということ

  「基」とは 「根幹」ということですから ・・・ 。


その基から

  年が長じるにつれて 離れしまう人がひじょうに多いのです。

そのとき その大人は

  人間としての値打ちにおいて

    「低い」子どもよりも劣ることになります。



良寛さんは 子どもの心になりきることができる人でした。

だから 偉いといわれました。

「基」を失っていないから ・・・ 偉いのです。


良寛に限ることではありません。

ほんとうに偉い人 地位がなくて 人間性において偉い人は

  例外なく その心の核に童心(ドウシン・わらべごころ)を

                 ・・・ 生涯もちつづける人です。


童話をたのしく読めない人に

 文学はほんとうには分からないのではないか と私は思っています。

あらゆる音楽のなかでもっともむずかしのは

  童謡を 全心をこめて歌うことだ ・・・ とも。





「 ナルヨウニナル 」 ・・・ 2.取越苦労

2010-08-24 10:13:28 | Weblog
自分に風を動かす力などないのに 明日の風向きを心配する。

  ・・・ これを「取越苦労」といいます。


それは あえていえば 神の領域をおかす不遜でさえあります。

それが証拠に あなたの人生は今日まで

  神の差配によって 「なるようになってきた」ではないですか?


だから 明日からも同じように「ナルヨウニナル」 ・・・ です。

むだな心配はせぬほうが賢い ・・・ ですよ。


将来のことについて不安が生じたら

  「ナルヨウニナル」と 声を出していってみましょう。

  (私はいつも そうしてきました)

これは真理の言葉ですから

  いいすぎてマイナスになることは ぜったいにありません。



よく人がいう 「ナルヨウニシカナラヌ」 は

  ・・・ 口にしないほうがよい ・・・ と思います。

この言葉には 不平や諦め(アキラメ)の匂いがあります。

  ・・・ それだけ 弱くて 暗い言葉なのです。


同じいうなら

  「ナルヨウニナル」 ・・・ といいましょうよ。

強くて 大きくて 創造的な言葉である ・・・ からです。





「 ナルヨウニナル 」 ・・・ 1.明日には明日の風が

2010-08-24 09:11:57 | Weblog
人間だれでも 明日のこと 将来のことにかんして

  大なり小なり不安や心配をもっています。


当然のことともいえますが

しかし それにもおのずからホドというものがあります。


「なんじら 明日のことを思いわずらうなかれ」(聖書)というとおりで

先ゆきのことをいたずらに心配してみたとて

  ・・・ どうにもなるものではありません。

いまの自分が苦しいだけ損 ・・・ というものです。



先のことについて考え 計画を立てることは必要ですが

自分の思索や判断がおよばない領域にかんしてまで

  ・・・ あれこれと考えをめぐらしてみてもはじまりません。


それはいわば神の差配したまう領域ですから

  これについては 神サマにおかせしてしまうのが正しい

  ・・・ と思いますよ。


すなわち

「明日には明日の風が吹く」 ・・・ と 腹を決めてしまうのです。






硬いものが折れやすい ・・・ ボケ ・ 自殺 ・ うつ病

2010-08-24 06:57:54 | Weblog
「硬いものが折れやすい」 ・・・ の理は

  広くわれわれ庶民レベルでみても よくわかることです。


これから「ボケ老人」が

  ますます大きな社会問題になっていくと思われますが ・・・

ふつう考えられるのとは逆に

  勝気で やり手 我が強くて 他人のいうことを聞かぬ

  ・・・ といった人のほうが ボケやすいそうです。

私の知る何人かが そうですし

  老人病院の医師たちも 同じ判断をもっているようです。


ボケるとは いわば「頭が折れる」ことですから

  ・・・ 「堅強者死之徒」 であるわけです。



青少年の自殺にしても

  ふだん 弱そうで ふさいでいるような男女は 案外やりません。

逆に

「あんなに明るくて シッカリしていた子が どうして ・・・ ?」

  ・・・ という言葉が よく聞かれるのです。


重症の<うつ病>にとりつかれるのも

  かってモーレツ社員ふうに張り切った男(女)に多い といいます。

  ・・・ 剛だから 折れるのです。



「自分がすべて」という式に我の強い女性が まれにいるものですが

  ・・・ こういう女性の晩年は わびしいでしょうね。

夫とは 冷え切るか 離婚するか であろうし

  子たちは反逆して寄りつきもせぬ

  ・・・ という可能性が大きいからです。


鉄だから 折れたり 錆びたり ・・・ するのです。



よく注意して眺めれば 「反面教師」は 人の世のいたるところいます。

  ・・・ もって 「他山の石」となしたいものです ・・・ ね。






早朝にゴールデンタイムがある

2010-08-24 06:10:31 | Weblog
職場の仕事に気がのらない人は

  出社や登庁がおくれがちなものです。


ギリギリいっぱいまで寝ていて

朝食を5分ぐらいですませ

・・・ 時計をにらみながら アタフタと出かける。


すべりこみでゴールイン。

遅刻することも珍しくない。



何事においても始めが大切です。

一日のうちでは朝が大切 朝がその一日の姿を決めます。

こういう出社のしかたでは 一日中 仕事に気が入りにくいでしょうし

  人に遅れをとってばかりいる ことになるでしょうね。


たまには ・・・ 毎日とはいわない たまにです ・・・

30分でも1時間でも ふだんより早く出社してみたらいかがでしょう。


職場についたときの気分がちがうはずですし

したがって その日の仕事にたいする心の姿勢もまた

  ・・・ ちがったものになってくるはずです。


こんなことで 人とことさら競争する必要はないけれど

しかし 

 つねに人より遅れる ・・・ というのも 感心しないことですね。





寛大 ・・・ 3.カミナリ上役

2010-08-23 21:42:07 | Weblog
部下によくカミナリを落とす上役がいます。


筋のとおった叱責ならまだしも

感情的な爆発であったり

  とるにもたらぬほどの過ちに目クジラ立てるというふうでは

部下はたまったものではなく これでは 彼らは萎縮してしまい

  ・・・ のびのびと力を伸ばしてゆくことができにくいでしょうね。


才気にあふれた「鋭い」上役が

  ・・・ その鋭さゆえに こういう傾向になやすいのです。

部下のアラや未熟がみえすぎて ・・・ 寛(寛大)になれないのです。



こんな話が残されています ・・・

関ヶ原の戦いのあと2年間 京都所司代を務めた板倉勝重。
その長男の重宗があとをついで これがその職35年間。
ともに清廉な人格をもって知られ 父子で55年間にわたってその施政の大要が『板倉政要』として記録に残されて 長くのちの世の範とされた。

この板倉勝重に
これも名君として名の高かった備前(岡山)藩主の池田光政が
  「おおぜいの者を治めてゆくコツ」についてたずねたことがあった。

「そうですな。四角い箱に味噌を入れまして

  これを丸い杓子(しゃくし)で取るようにはからいますと

    まず うまくゆくかと存じます」

丸い杓子では 四角い箱のスミズミまではとりきれない。どうしても残る。

それがいいのだという。



部下のささいなアラをまでほじくるようでは

  ・・・ 彼らはとてもついてこれません。


いい意味で 適当にボンヤリした上役のほうが

  ・・・ 部下は仕えやすい というのです。


さて 如何なものでしょうか ・・・ 。





寛大 ・・・ 2.自分への戒め

2010-08-23 10:09:44 | Weblog
宝井馬琴(江戸時代後期の作家 代表作『南総里見八犬伝』)は

  ある著書で


「怒る者は内むなし」 といっています。


「人間的な内容の貧しい者が 腹をたてるのだ」

  ・・・ というような意味でしょうか。

つまり 容れる力の乏しい 心の小さい人間がよく怒る

  ・・・ ということでしょうね。


そのあとさらに


「一朝(ちょう)の怒りに身を忘るるは

  これ小丈夫(チッポケな男)の所為にして

    世に馬鹿者といわれんのみ」


「おのれ是(正しい)にして

  人の非なるを知らば 争うところなかるべく

 彼が是にして我が非なるを悟らば

  負けて過ちを改むるにしかず」 ・・・



馬琴は謙虚に

  これらは「自分への戒め」である といっています。

このように自戒

  「おのれを責むる」ことのできるほどの人はまちがいなく

  ・・・ 「他人には寛(寛大)」を実行できているはずですね。



人間おたがい 心が狭いと

  人の世はギスギス トゲトゲした 生きにくい場所になり

  ・・・ 人をも 自分をも苦しめることになります。


「寛」(寛大)は もっとも大切な

  ・・・ 人徳のひとつである にちがいありません。








寛大 ・・・ 1.ふだんの心

2010-08-23 08:47:08 | Weblog
よく怒る人や不平屋サンが

  立腹の発作がおきそうになってから自制しようとしても

・・・ まず たいていは遅いとしたものでしょうね。


十か百を数えて

  かりに自制できたとしても ・・・ 胸のうちは苦しい。



けっきょく大切なのは ・・・ ふだんの心の姿 です。

気は長く 心は広く ・・・

  「人を容れる容積の大きい心(寛大なこころ)」を

        ・・・ つねに持っていることです。


腹の立たない自分をつくる ことでしょうね。





怒り ・・・ 損ばかり

2010-08-23 07:09:28 | Weblog
「腹へり男は腹立ち男」 ・・・
 
  たしかに 空腹のときは腹が立ちやすいものですが

しかし 空腹ぐらいの悪条件に流されるようでは

  ・・・ 自制力はとうてい 一人前にはほど遠いでしょうね。


「腹の立つようには家倉(いえくら)建たぬ」 ・・・

腹を立てることの容易さと

  マイ・ホームを建てることのむずかしさを対比させると同時に

怒りっぽい人は損ばかりするから

  家や倉を建てるまでにはなかなかゆけぬと

    ・・・ 暗にさとしているのでしょうね。



怒ることは健康にもよくありません。


血液が酸化し 血圧があがり 体内に毒が生じて

  ・・・ それが 肝臓の負担になります。


逆に 「肝臓の悪い人は怒りっぽい」わけで この観点からも

  ・・・ まさしく 「怒りは敵」 ですよ。




 

オコリンボさん ・・・ 瞬間湯沸かし器

2010-08-23 06:48:28 | Weblog
怒りは感情の爆発であり それゆえ 瞬間的におこりうるものです。


だから よく怒る人 いわゆるオコリンボさんに

  「瞬間湯沸かし器」というアダ名がつけられます。


「煙草一服のむ間」の自制ができないわけで ・・・

それゆえ 西欧の俚諺にも

「腹が立ったときには十数えよ。特別に腹が立つときには百数えよ」

  ・・・ と 説かれるわけです。


交通標語を借りていえば

  「腹立ち一秒 けが一生」 ということでしょうか。


「腹が立つことは明日いえ」 も同じ趣旨のことわざで

要は 一時的な感情の発作をおさえる

  ・・・ 自己支配を説いているわけですね。


「腹は立て損 喧嘩はし損」

  ・・・ 腹は立てても 人と争っても

        いかなる得もない 損をするだけ。


だから

「腹立てるより 義理立てよ」 ・・・ ということになるのですね。





腹を立てない

2010-08-23 05:56:47 | Weblog
  気は長く

  心は広く

  腹立てず

    自分は小さく

    他人は大きく


という古歌があります。


「忍耐と寛容」を要約して 一首にまとめたような作です。


下の句は 「下座」の心を説いており

  「おのれを責めて 人を責めるな」にも通じています。

謙虚の徳 「人を立てる」ことの必要を 説いているわけです。


この五項目は たがいに関連しあっており

  せんじつめれば ひとつのことであるともいえます。

だから たとえば「腹を立てない」のひとつが実行できるなら

  ほかのすべてもまた ・・・ ということになりますね。


たしかに 怒ることの少なさが

  忍耐力の豊かさのバロメーターでありうるようです。

「腹の大きい」人ほど 「腹を立てる」ことが少ないのです。



怒ることによって 自分も相手も

  ・・・ いかなる得もありません。


怒る人の一時的な発散の快感のあとに

  ・・・ 大きな損害のツケがまわってきます。


自分に害をなし 自分を滅ぼすことさえあります。

  ・・・ 自分にとっての大敵なのです。







 
  

スポーツは ほんとうに体にいいのか?

2010-08-22 18:03:16 | Weblog
スポーツは 健康で丈夫な体をつくるのが目的 ・・・ 
  そう考えている人もたくさんいると思います。
でも 同じスポーツばかり続けていると
  体をこわすこともあるので注意が必要です。

プロのスポーツ選手にはケガがつきもの。
引退するときの理由は ほとんどケガですよね。
それに現役時代から <腰痛>や<膝痛>のほか
  いろいろなスポーツ障害に悩まされています。
素人の誰だって
  頑張りすぎれば体を痛めてしまう危険性があるのです。

テニスでは <テニス肘>
ゴルフでは <腰痛> <変形性関節症>などが心配ですし
エアロビクスは <足首の損傷> <股関節障害> <膝痛>
水泳では <腰痛> <肩や背中の障害> 
  などが起こる危険性があります。


それから とくに女性が注意したいのは
  運動によって「婦人病」の原因をつくるものがある ということです。

「女性の時代」の表れか 最近では
男性なみのはげしいスポーツをする女性が増えてきましたが
  ・・・ 女性にとってもっとも危険の大きいのが 「マシンジム」。

重いバーベルを持ち上げた拍子に
  ・・・ 子宮の位置がずれてしまうことがあるのです。


また 最近
  若い女性のあいだで<子宮内膜症>という病気が増えています。
この病気は 月経血となって月に一回はがれ落ちる子宮内膜の組織が
  卵巣内や直腸の範囲で増殖するというもので
多量の月経血が逆流して
  子宮以外の部分に入るなどのケースが考えられます。

女性が激しいスポーツに向かないとされてきたのは
  それなりに ちゃんとした理由があってのことなのです。


もちろん スポーツには筋肉を引き締め 強くする効果がありますし
  心肺機能を高め 病気やケガに強い体をつくります。
それから 体内の脂肪が燃えやすい体質をつくる効果もあります。

けれども ・・・
それはあくまでも「自分にあった適度な運動」であることが大切で
  やみくもに 体をこわすまでやっては なんの意味もありません。  


真の強さとは ・・・ 克己 その続き

2010-08-22 09:57:48 | Weblog
克己をめぐる名言といえば ・・・


「自分に克つのが最大の勝利である」 (プラトン)


「最上の戦士とは 戦場で千人の敵に勝つ人ではなくて

  たった一人のおのれに克つ人である」 (『法句経』)


 などが思い出されますが ・・・


「力あり」と「強さ」の言い分けの絶妙さによって

  老子の言のほうがパンチ力があるように 私には思われてなりません。


「・・・ 他ニ勝ツ者ハ力アリ 自ラ勝ツ者ハ強シ」 (老子)


ぜひとも 声に出して言ってみられることを おすすめします。



どうやら 「他に勝たん」と「自らに克つ」の二つの心は

  二律背反的にそむきあうようです。


老子がいましめた「為しすぎ」の多くも
 
  「他に勝つ」ことにはやる心からこそ

    ・・・ 生まれるのではないでしょうか。



<うつ病>や<ノイローゼ>におちいる人たちも

  じつは「他に勝たん(負けたくない)」とする想念が強いのであり

その願望をうまく実現できないために

  ・・・ 心が「落ちこむ」のではないでしょうか。

一種のふてくされ ・・・ と いえないこともないのです。


劣等感の本質も 「他に勝ちたい。しかし 勝てない」という

  ・・・ 欲求不満でこそある のではないでしょうか。


これとは一見反対 異質のものに見える ・・・

  暴力的 破壊的な行動に走る人たちも やはり

「他に勝たん」の欲望を低い次元において

  ・・・ 歪んで発動させているのだ と思われるのです。







真の強さとは ・・・ 克己 

2010-08-22 08:11:06 | Weblog
・・・ 他ニ勝ツ者ハ力アリ 自ラ勝ツ者ハ強シ。


老子の言葉です。



「自勝」は ミズカラニ勝ツ と読んでもよいでしょうし

また その意味でもあります。

いわゆる 「克己」のことです。


勝負なり 競争なりにおいて 他人に勝つのは 力(才能)があるのです。

それはそれなりに価値があるでしょう。

しかし それはそれだけの 相対的な(二義的な)価値でしかありません。

いくら他人に勝っても

  ・・・ それをもって「強い」とは いえないのです。


第一義的な絶対の価値は 自分に勝(克)つこと それだけにあります。

それのできる人だけが 真に強いといえるのです。

他人との優劣 勝敗は 第一義的にはどうでもよいことです。

人生において真に相手とすべきは ・・・ この自分自身だけ なのです。



・・・ といった意味なのでしょうね。



「力あり」と「強し」の区別をよく味わい

  その次元の深浅の差のほどを よくよく認識すべきだ

      ・・・ と思われます。