ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

霞町物語

2016-10-04 07:50:57 | PiTaPaより遠くへ

 霞町界隈を歩いてみたいと思っていました。霞町という名前を知ったのは大学生だったころ、中島みゆきの文章からだったと記憶しています。今は西麻布と呼ぶようになってしまったけれど、地元の人たちは霞町と呼ぶ…そんなことが書かれていたと思います。
 それから何十年もたって、浅田次郎の短編集『霞町物語』に出会いました。この小説がむちゃくちゃ格好いい!こんなストーリーのある街の雰囲気を感じてみたいと思っていたのです。


 恵比寿の昼ごはんの後、霞町方面はだいたいこっちの方角だろうと見当をつけて(入念だとか用意周到という言葉は私にはありません。いつもテキトーです)歩いてみました。恵比寿三丁目から天現寺橋。外苑西通りを北へ歩いて地下鉄の広尾の駅を越える。近くに、聖心女子大があるらしい。「私をスキーに連れてって」で、矢野が、「聖心が俺に惚れるか?」と言った、あの聖心ですね。矢野の胸の中にある(それは東京の人たちに共通する認識でもある)、「聖心」というブランドは、広尾に存在するということも含めても「聖心」なんでしょうね。また、ランボルギーニの販売店があったりして、私のような者には場違いかなという気後れも少し感じます。やがて、首都高速に押さえつけられたような西麻布交差点。ここにかつての都電の霞町停留所があったらしい。しかも贅沢なことに、南北に広尾線、東西に霞町線がこの交差点でクロスしていたそうです。ぐるっと見渡すと、外苑西通りが底で、東西方面とも坂道を登っていく格好になっています。小説では、この近くにミスティというショットバーがあったことになっています。

 「霞町物語」(短編集『霞町物語』の中の作品「霞町物語」)の始まりに次のような文があります。


できれば冬の夜がいい。青山と麻布と六本木の大地に挟まれた谷間には、夜の更けるほどにみずみずしい霧が沸く周囲の墓地や大使館の木立ちから滑り降りた霧が、街路に沿ってゆったりと流れてくるのである。


  霞町という地名はなくなってしまったそうですが、ビルのの名前やお店の名前に霞町はまだたくさん残っているように見えました。

 田舎者が大変失礼なことを申しますが、そんなに瀟洒な街、洗練された街という印象ではありません。古い民家や古いビルがまだまだ幅を利かせている西麻布交差点周辺。この交差点から六本木方面に登っていく坂を霞坂と呼ぶそうです。そこで、外国人の女性から声をかけられました。危なげな日本語の単語で話しかけられたのでそれが韓国の人なのか中国の人なのか台湾の人なのか、よくわかりません。親子連れと思われる女性二人の若いほうがスマホのLINEらしき画面を見せて、「この店に行きたい、どこだ?」と尋ねているみたい。こっちだって生まれて初めてこの土地を歩いているのです。わかるはずがない。さっき、女性警察官が交差点方面に歩いていたのとすれ違ったので、「お巡りさんに聞きな」と、指さして日本語で教えてあげたら通じた様子。交差点待ちをしていた、POLICEと背中に書かれた女性に画面を見せると、POLICEさんは一瞬で交差点の北側を指差し、お店探しは無事に解決したようでした。
 それからしばらく坂を歩くと、町の地図が車道との間に設置されていたので、じっと眺めてみました。この辺りは坂が多いらしく、また坂にこまめに名前がつけられているらしい。それで気になったのが小説中に登場する梶井坂。この坂はどこにあるのだろう。地図からしばらく歩くと交番があって、中に若いお巡りさんが一人座っていたので、勇気を奮って、「梶井坂という坂を探しているのですが」と尋ねてみました。お巡りさんは住宅地図を広げ、道路を指で丁寧になぞりながら探してくれたのですが、わからないという結論。私は鞄から『霞町物語』を取り出して、この小説に出てくるのですが、実在するかどうかも私にはわからない、きっと架空の坂なんだろう、お手間をおかけしましたと謝ったのですが、警察といえど実在しない坂まで尋ねられたら迷惑ですよね。お巡りさんごめんなさい。


 坂の途中から、右折して住宅街の中を歩いてみます。建物の間に突如見えたのが、六本木ヒルズの森タワー。すれ違う人たちも、外国人と思しき人たちが多くなってきた気がします。各国の大使館が多くある土地ですから、その関係者や家族なのかもしれません。それに係わりがあるのかどうか、街中にお巡りさんがやたら多い。それも道路を封鎖できる準備までされている。大使館の多い土地だからいつもこうなのか、今日は要人の行き来でもあるのかわかりませんが、この日はこの付近でも、四谷界隈でもお巡りさんをたくさん見ました。空には、広告の飛行船。東京には珍しいものがたくさんあります。エンジン音で飛行船に気づいたのですが、考えてみると、エンジン音が聞こえるくらいこの界隈は静かだとも言えるでしょう。中国大使館の前を通りました。スーパーで買い物をしてきたようにいでたちの若い女性が大使館の門をくぐって中に入っていきました。


 愛育クリニックの角で左折して、麻布運動場を回り込むと仙台坂。かつて仙台藩のお屋敷があったということでしょう。この坂を下っていくと、東京タワーが見えます。道路の右側には韓国大使館、その向かいには韓国料理の食材を扱うお店。よくできていますなぁ。私の目の前で一台の高級車が停まって、家族連れと思しき3人が、その食材店に入っていきました。麻布通りまで下りていくと、またその先は上り坂になっています。この辺りは坂ばっかり。麻布通りを北に歩いて麻布十番。新一の橋の交差点ではロンドンバス。東京には中国も韓国もロンドンも…実にいろんなものがありますね。

 麻布十番は、『霞町物語』の伊能写真館があったところ。このあたりに「梶井坂」があったのでしょうか。麻布十番大通りを登っていったら、「麻布かりんと」のお店。大丸東京店でも高島屋大阪店にもあるけれど、本店はここなんですね。


 この通りはやがて六本木通りに合流して、六本木ヒルズに到着。天気予報によく登場する毛利庭園ってここかぁ。なんとまあ人の多いこと。ここから南側を振り返ると、東京タワーが小さく見える。


 ここから六本木通りを一気に下ります。お巡りさんごめんなさいの交番も西麻布交差点も過ぎて、今度は笄坂 (こうがいざか)を登ります。西麻布交差点を接点にして、東へ登るのが霞坂、西へ登るのが笄坂というわけです。  南青山との境目らしきところを南へ歩く。いわゆる高級住宅街。広尾ガーデンヒルズ、日赤病院、それから聖心女子大と大きな敷地をもつところが続いていて、広尾駅方面に向かう道が見つかりません。左折できる道が見つからないのです。歩き疲れて早く電車に乗りたいと思う私にはやや苦痛。やっと外苑西通りに出たところが地下鉄の広尾駅。
 『霞町物語』舞台をぐるっと回ったけれど、「霞町物語」の設定は1969年10月頃と思われ、現在の風景とは随分違うはず。何より、都電がなくなってしまったことが風景をまったく別物にしているような気がします。わかったような気持ちになるには、まだ足りません。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Pasta Fresca MANSALVA | トップ | 千疋屋総本店 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

PiTaPaより遠くへ」カテゴリの最新記事