直通特急というのは、阪神電車の梅田と山電姫路を結ぶ特急電車です。なかでも5030系と呼ばれる、一人掛けクロスシートのある車両が私のように友達も連れもいない者にはとても心地よいのですが、最近は運が悪くなかなか5030系に当たりません。この日も運が悪い。
明石海峡大橋。
飾磨駅で直通特急を下りる。
山陽そば飾磨店。駅の東端にある。昭和そのままの雰囲気のお店。
飾磨駅で乗り換え。飾磨駅を通過するたびに、ここのホームの「うどん」を食べてみたかったのですが、やっと実現しました。山陽そば飾磨店。山陽そばは昔、山電姫路駅にもあったのに、いつしかなくなってしまっていました。そんなわけで、あこがれの山陽そば。てんぷらときつねの両方が載った、得得うどんを汗をふきふき食べていたら、お店のラジオから(うれしいねぇ、飲食店でラジオ!)、近畿地方が今日梅雨明けしたとニュースが。暑いはずです。
得得うどんです。
新しい車両。サラリーマン風の男性もスマホで写真を撮っている。
網干線は8.5kmの線。車両が真新しくてシャレています。6000系というそうですが、これが昨年あたりに新造された新車です。車内の明るさもシートの色も、ドア上の液晶画面の案内情報も、支線に配置された車両とは思えない。第一、デザインがそもそも山陽電車らしくない斬新さ(失礼ながら)。
赤いシートがきれい。優先座席のシートは水色である。
シートの意匠は兵庫県の花「のじぎく」。
エアコンのよく効いた電車は出発してすぐに高架になります。高架の西飾磨駅。次が夢前川駅。
夢前川駅と製鉄記念広畑病院。
広畑駅。駅舎もベンチも、時計も懐かしさを感じさせてくれる。
この駅前には大きな病院があります。母がしばらく入院をしていたこともあり、何度か通ったことがあります。次が広畑駅、その次が山陽天満駅。ここまでの3駅が、かつての新日鉄広畑製鉄所につながる駅であったのではないかと思います。子どものころ、父が、「新日鉄広畑というのは広い広い大きな工場だ。山陽電車の駅で3つぶんもある。」と言ってたのを今でも思い出します。しかし、今改めて車窓を眺めても住宅くらいしか見えず、南のほうに微かに「鉄」関係の工場が見えるくらいです。父の話を聞いて想像していた風景とは違います。のどかな風景の中をのどかな速度で6000系は進み、15分ほどで終点、山陽網干駅に到着。ホームも含め、駅舎全体はまだ新しい様子ですが、駅の周辺はぐっと時代をさかのぼる印象です。
山電網干駅。ホームもまだ新しい雰囲気。新しい車両とお似合い。
この山電網干駅には、少なくとも高校時代には2度やってきているはずなのですが、まったく記憶がありません。駅のすぐ近くに病院があったと記憶していますが、それらしい病院も見当りません。駅周辺地図を眺めてみますが、この暑さの中、歩いて行けそうな距離の中には魅力的なものがみつからない。駅周辺を歩いてみます。帽子を持ってこなかったことを後悔。出がけにどうしようか考えたのですが、どうせどんよりした天気だろうと荷物を減らしたのでした。
山電網干駅と平松駅間で撮影。望遠側で撮ると陽炎が確認できるほど、暑い日。
まずは線路に沿って東に歩いてみましたが、住宅や店舗くらいしか見つかりません。駅の西側には揖保川。橋を渡ってみますが海までは距離があるようで見えません。代わりに赤白の高い煙突や、少し西側にはテーマパークかと思われるような化学工場。のどかな景色の向こうは電車から見るのと同じような工場の風景です。
揖保川の上流方面。
暑さに参って、駅近くの古本屋で涼ませてもらいました。新書を2冊買って電車に乗りました。やはり6000系。網干線はすべて6000系になっているようです。冷房のよく効いた新しい明るい車両はいいですね。
安全確認用のミラー。網干線はワンマン運転である。
山電網干から飾磨行き。単線なので前方の西飾磨駅で電車の交換。
全線踏破。残りは山電姫路駅と大阪難波駅を押さえれば完了です。飾磨駅から直通特急で山電姫路へ。
山電姫路駅。
大手前通りと姫路城。右手にヤマトヤシキと看板は出ているが、この百貨店は昨年2月に閉店した。
このブログには何度も登場した、まねきの「えきそば」とタコピアの「明石焼き」を食べて、また直通特急で大阪に戻ります。やはり5030系には乗れません。直通特急に乗っていると、いつも神戸市特に三宮を境にして乗車率がぐっと変わります。三宮から西はのどか。東はいつも座れない人がたくさん。
大阪難波駅。阪神電車の終点でもあり、近鉄なんば線の終点でもある。
尼崎で阪神難波線に乗り換え、大阪難波にとうちゃこ。阪神電車山陽電車全線走破完了です。
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