2両編成の快速電車は、立っている乗客がいるほどの乗車率。私のような世代はローカル線といえば、一人でワンボックスを占有し、靴を脱いで足をシートに投げ出し…というイメージを持っています。扉さえ自分で閉める、いやほとんど閉まったことのない扉の旧型客車が機関車に牽かれ、空気を運んでいるような経験を持っているのですが、今そんな列車はまずありません。効率的に車両が運用されて、日中時間帯でも座れなかったりします。
加佐登を出て10数分で四日市駅に到着です。同じ四日市と付いていても、近鉄が高架駅で、次々に電車が停まっては出発するのに比べ、JR四日市駅は、はっきり言って貨物駅。貨物の操車場の中に、昭和時代の懐かしい島式ホームが一面あって、「旅客列車も走る」という印象の駅です。私には懐かしい。
私が子供の頃は、地方路線のだいたいどの駅にも貨物用の引き込み線があって、数両の無蓋車や有蓋車が停まっていたように思います。物流において鉄道がまだ優位だった時代ですね。四日市のように大きくまとまった貨物を輸送するのはまだ残っていますが、今や貨物輸送はトラックの時代。コロナ以降、100円の儲けのためにかかるコストがいくらみたいなニュースが流れ、地方のローカル線が悪者のように印象付けられますが、そもそも昔から地方路線は儲かっていたのでしょうか。新幹線や都会では鉄道は儲かるものでしょうが、地方ではもともとコストのかかるものではなかったか。貨物輸送を失って旅客輸送しかない鉄道は、コスト面から考えれば、人口の少ない地域を結ぶ、いわば初めから負けが決まっている勝負をさせられているわけで。いや、新幹線にしたって、開業すると新幹線を守るために並行する優等列車を廃止したり、並行する路線をJRから切り離したりしているではないか。
高速道路では「新直轄方式」といって、通行料金不要の道路があちらこちらにあります。建設、維持のために税金が投入されているわけですが、JRの路線は民営会社の路線ですから税金の投入はできない。それでこれだけコストがかかるので存続か廃止かという議論になるのはフェアじゃない気がします。
改札口を出て、水辺を目指します。駅舎の中に「こにゅうどうレンタサイクル」という貸自転車があったのですが、知らないところは自分の足で歩いてこそと勝手に理屈をつけて、徒歩を選びました。後で、自転車にしておけばよかったと思うことになるのですが、今はまだ元気。自分の後ろを振り返ると、二階建て駅舎はがらーんとしています。かつては大きな駅にたいがいあった日本食堂、この駅にもあっただろうか?そんなことを思えるような駅舎。駅前を歩いている人もほとんどいない。駅前もだだっ広いスペースの割には車もほとんど停まっていない。少し寂しい。そしてこの駅前の広い道路を1kmほど歩けば、近鉄四日市駅にぶちあたる。道路の向こうとこっちとで賑やかさは両極端。
さて、私は末広橋梁を見てみたいと思ったのです。運河にかかる鉄道橋で、船が通るときは跳ね上げるらしい。訪れたのが土曜日で、列車は走らないかもしれませんが、橋だけでも見てみたい。と、倉庫や工場が連なる町を、だいたいの方角の見当つけて歩くのですが、なにしろ倉庫や工場というのはひとつの敷地が大きい。遠回りをしながら、臨港橋の近くまでたどり着きました。臨港橋は道路橋ですが、これも船が通るときは跳ね上がる珍しい橋らしい。すると、機関車の警笛が聞こえてくる。土曜日でも貨物列車は走るのだと思い、私もその景色を見たいがために走り出す。
臨港橋の上から、貨物列車を見たのでした。さらに、臨港橋から北、運河の北側200mほどのところに末広橋梁が見えるのですが、まさに今レッドベア(DF200形ディーゼル機関車。正しい愛称は「エコパワーレッドベア」らしい)が太平洋セメントの貨物車両を牽いて四日市駅方面に渡るところ。いい景色を見ることができました。
さらに臨港橋を渡った向こうの踏切には、太平洋セメントの機関車が重連で進行中。土曜日でしたが思っていた以上の風景を見ることができました。
この臨港橋もちょっと変わっていて、船が運河を通るときには橋を跳ね上げるらしいのです。通っている分には全く気づきませんが、臨港橋の脇には管理棟と書かれた建物があって、その中で橋を操作するらしい。今日は跳ね上がる予定はないのか、中に人は見えません。橋の袂には踏切で見るような×の字になった警報機がつけられています。跳ね上がる時は、鉄道の踏切のように赤いランプが点滅することでしょう。
引き込み線の踏切。ふつう踏切の渡るときは一旦停止ですが、ここは違うらしい。車は減速も停止もしないまま走っていきます。踏切の脇には踏切保安係の詰所があって、遮断機を下ろす時は係員が自転車でやってくるみたいです。さきほど係員さんは自転車のに乗ってどこかへ行ってしまいました。ということは当面、貨物列車は来ない。そこで私は引き込み線の踏切を渡って、線路沿いに北に向いて歩いてみました。末広橋梁を間近に見られるところはないかと思ったからです。
線路沿いには興味深い立札がありました。書かれていることを理解するまでに少し時間がかかりました。この道路は駐車禁止ではないのです。私の生活圏はほぼどこもかしこも駐車禁止なのですが、ここは違うみたい。車を駐車する時は線路から一定距離を取っておかないと、貨物列車が通るときに邪魔になる。業務に支障を来すときには損害賠償を求めますという看板なのです。
うまく運河に出ることができて、末広橋梁を北側から眺めることができました。冬の低い太陽で橋梁がシルエットになって、建築物の無機質な冷たい感じが強調されて見えました。運河によって遮られているので、市街地側に戻るためには、また臨港橋まで戻るしかありません。自転車を借りておけば短時間でラクチンに移動できるのにと思ったことでした。今度はぐるっと回って末広橋梁の西詰まで歩く。運河の幅は100mもないのに、橋の反対側へ移動するのには1kmくらい歩かねばなりません。末広橋梁を見学してみようと思った方は、是非ともJR四日市駅で自転車を借りましょう。さて、臨港橋まで歩いて運河の向こうにある末広橋梁を眺めて、「あっ」と声をあげてしまいました。
さっきまで閉じていた(列車が走れる状態になっていた)末頃橋梁の橋桁が跳ね上がっています。まるで線路が空中へのジャンプ台になったかのように空に向かっています。
末広橋梁の西詰?へたどり着いたら案内板がありました。この橋は国指定重要文化財で、1931(昭和6)年にできたらしい。私の父と同い年で誕生日も比較的近い。94歳で現役の橋。臨港橋も歴史があって、1932(昭和7)年にできたそうですが、臨港橋のほうは現在で三代目なのだそうです。一方も末広橋梁は現代も初代のまま、設計製作した山本工務所の銘板が今もついています。
だんだん残り時間が気になりだします。しかしもう一か所見ておきたいところがあります。
潮吹き防波堤。やはり自転車を借りておくべきでした。徒歩で潮吹き防波堤に向かいます。防波堤の側面に穴が作ってあって、外海からの波のエネルギーをうまく消す仕組みになっているそうです。防波堤そのものは遺してありますが、今は防波堤として働くことはないようです。運河沿いに歩いてもやっとこさたどり着きました。こちらも近代化産業遺産。とはいえ、この防波堤には近づくことができないようです。湾のこちら側から見ておしまい。急いで近鉄四日市駅に向かったのでした。
JR四日市駅の北側の踏切を渡るとき、駅のほうを見れば、レッドベアが貨物車両をしたがえて停まっています。先ほど、末広橋梁の上で見た貨物列車です…と思ったのは早とちり。後ろの貨物列車が違いますものね。末広橋梁のは太平洋セメントの貨物、こちらは日本石油輸送の緑色のですよね。別の赤熊でした。
(おしまい)
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