はるばる本州最南端までやってきた一番の目的は、どうもうまくいかなかったような、少しモヤモヤした気持ちで大島(紀伊大島というらしい)に移動しました。
30数年前にはくしもと大橋はできておらず、船に乗らなければ大島へは渡れませんでした。だから今回が私にとって初めての大島。大島で知っていることといえば、トルコの軍艦が座礁して串本の人たちが献身的に救助に当たったとか、「仲をとりもつ巡航船」(「串本節」しかし、節は思い出せない)くらいです。大島へ行ったにしてもどこを尋ねればいいのかもよくわかりません。道なりに走っていくと樫野埼灯台に着いてしまいました。樫野埼は大島の東の端へ突き出た岬です。広い駐車場には自家用車がほんの数台。駐車場から灯台までの通路をエルトゥールル通りというそうです。トルコ記念館やトルコ関係の雑貨屋などが何軒かがあります。しかし時間が早くまだ営業前。通りから時折太平洋が見え、大きな船の行き来が見えます。
目を引いたのはクレーン船の曳航。海を見ずに毎日暮らしている者には、港で作業中のクレーン船ならともかく、大洋を曳航されている姿はとても珍しい景色です。
突き当りが樫野埼灯台。石塀に囲まれた敷地の中に、官舎があってその向こうに灯台。灯台の建物としては3~4階建てくらいの低いものです。もっとも、標高30数mの崖の上に建っているので34km先まで光は届くそうな。灯台の横に螺旋階段があって灯台(のテラス部分)まで行けるようになっているものの、鎖がかかっています。とその時、スタッフと思われる男性の方が、「どうぞ、灯台からの景色を眺めてください」と解錠していただいたのでした。その日一番に灯台に上がった人は私。私より先に到着した人たちはこの灯台テラスからの景色を眺めずに帰ったわけですね。
テラス部分から太平洋を眺める。地球は丸いと言われたらそうかなと納得するくらいの水平線です。しかしそれよりも、眼下の岩場で釣りをしている人のほうが気になります。波は怖くないのかな?
敷地の中には水仙が群生しています。黒潮に洗われる本州最南端だから、11月下旬でも咲いているのかなと思っていましたが、もう少し深い意味があると後でわかりました。
さて、灯台の手前には石造りの古い平屋があって、灯台の管理用だろうと思っていました。中に展示物があるようですが、資料を展示されていたにしてもどうせ私なんぞ見たそばからすぐに忘れてしまいます。さぁ帰ろうかと思ったら、中から先ほどのスタッフの方の熱心な勧誘で、100円の入館料を払って入ることになりました。入場者は私一人。あとでもう一人、男性が入ってきました。ほとんど無音時間のない解説。長年、この案内をされていて、ソラでも毎回寸分たがわず説明ができるんだろうなと思いました。覚えている知識をいくつか記しておきましょう。
- そもそも樫野埼灯台は1866年の江戸条約によって建設が約束された8か所の灯台のひとつで、イギリス人技師ブライトンが設計した日本初の石造灯台であること。
- 北海道から沖縄まで150人の石工が集められ、着工から1年3か月となる、今から151年前の1870年7月に初点灯したこと。
- 石材は古座から切り出してきたこと。
- この建物は灯台守の官舎で、ブライトンはここで他の灯台の図面も書いたこと。
- 波打っているような窓ガラスも窓枠もほとんど当時のままのものであること。
- ブライトンは背が高かったらしく、壁に今もある外套架けが現代の日本人から見ても随分高い位置にあること。
- 石造りの内部は漆喰で固められていること。ドアにも壁にも、本物の木目を真似て木目が描かれているが、本物と見紛うほどに質が高いこと。イギリス車を見ても木目調はよくありますから伝統的にイギリス人は木目が好きなのかもしれません。
エルトゥールル号遭難は1890年ですから灯台の初点灯から20年後のこと。乗組員のうち10人か11人が灯台下の崖をよじ登って官舎の戸をたたいたそうです。その時は日本人の当直が2名。言葉も通じないので、相手が何者かもわからない。国旗の本を開いたらトルコの国旗を指差したそうです。当直がいるということは、それなりに仕事があったわけで、灯台の灯りに油を使っている時代のことで、1時間に一度の給油が必要だったそうです(その頃の灯大の光は今の40Wほどだったとか)。給油をしながらの忙しい介抱だったようです。
スタッフの方はたった二人のためにあれほど丁寧にしっかり解説していただきました。串本の人は親切だな、とここでも思ったことでした。
水仙は、技師ブライトンが母国から取り寄せて植えたものが現代まで続いているということでした。
大島から戻ってもう一度潮岬を一周し、高野竜神スカイラインを経由して帰りました。途中の、道の駅のある、ごま山スカイタワー付近は標高が1200m超だそうです。降雪のあとが残っていましたし、ここから見える大峰山も冠雪していました。
(おしまい)
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