ぶろぐのおけいこ

ぶろぐ初心者は書き込んでみたり、消してみたり…と書いて19年目に入りました。今でも一番の読者は私です。

姫路モノレール

2023-07-11 19:37:02 | PiTaPaで歩く

 姫路駅南西方向に手柄山があります。子どもの頃、手柄山に厚生会館があって、お餅の屋根(丸もちをイメージしてください)の厚生会館として記憶しています。今はもうなくなってその場所に武道館が建っています。

 姫路駅から手柄山へ走る姫路モノレールに一度だけ乗った記憶があります。姫路大博覧会のときですから、昭和41年のことになるでしょう。まだ小学校に入っていません。記憶があいまいで、片道だけだったのか、往復で2回乗ったのかもよくわかりません。それから乗った記憶がないのは、そもそも手柄山へ行く用事がなかったからだろうと思います。これまたあいまいな記憶ですが、このモノレール、距離の割に運賃が高かったようで、手柄山方面に勤める人もバスのほうが安いと言っていたように思います。ウィキペディアの記事によれば、当時100円だった片道運賃は2020年時点で800円に相当するといいます。

 そのうちいっぺん手柄山に行ってみたいと思いながら何年過ぎたでしょう。機会をえて5月の連休中に歩いてみたのでした。阪神・山陽シーサイド1dayチケットをもって行きました。飾磨駅で直通特急を降り、普通電車に乗り換えたのですが、驚いたことに山陽そばが無くなっていました。2019年の夏に、汗をふきふき得得うどんを食べたのに。

 

 山陽電鉄の手柄駅で降りて西へ歩く。電鉄の線路に沿って存在していた姫路市中央卸売市場は移転したらしく、大きな敷地に建物だけが残っていました。

 

 

 丘を登っていけば、西洋のお城のような建物が今でも残っています。私の記憶の中ではパルナスのCMに出てくるような建物のイメージです。

 そのパルナスの入り口の手前に展示してあるのが、姫路モノレールの台車。ロッキード社製。飛行機の会社だと思っていたのですが、そうではなくて「見上げるものを作る」会社だったのですね?!まだ「ピーナツ」とかいって騒ぎになるずっと前に、この台車は輸入された。

 そこから導かれるように中に入ると、モノレール展示室。そこに2両のモノレールが置かれています。私からすれば50数年ぶりの対面ということになるでしょう。姫路大博覧会の昭和41年に開業し、昭和49年4月に営業を休止したとありますから、49年までの間に走るモノレールを遠くから見たことはあるでしょうが、こんなに間近にみることはなかったはずです。しかも車内に入ることができます。車内のフロアが電車のようにフラットだったのは、私の記憶と違っています。何かの記憶とごちゃまぜになっているようで、跨座式のモノレールは、車内の移動がしにくいものだと思い込んでいました。

 帰ってから写真を眺めていたら、このモノレールは営業時間が短かったことに気づきました。夏場でも8時から21時まで。冬場に至っては9時から18時まで。どうみても通勤に使うものではないでしょう。手柄山のアトラクションが姫路駅まで手を延ばしたと見る方が正しいように思えます。姫路市のサイトには「姫路の勤労者がお金を使わず家族と楽しく過ごせる公園にしたい。」という理念で作られたと書かれていますが、その割にはアプローチがお高いように思えます。

 このモノレールが当時東京モノレールについで日本で2番目に開業したモノレールだったらしい。たった1.6kmという短い路線でしたが、構想は大きく、姫路から日本海側の豊岡や舞鶴まで結ぶ予定だったそうです。「人類の進歩と調和」の大阪万博より前のこと。これからモノレールの時代が来るとみんな思っていたんでしょうね。

 そのモノレールを導入しようとしたのが当時の姫路市長、石見元秀市長だったそうです。昭和21年から42年まで20年間、空襲で焼け野原になった姫路の復興を担った市長だそうです。私が子どもの頃、姫路駅からお城(姫路城)まで直線の道路を大手前道路とは言わず、「50m道路」と教わりました。道路幅が50mあるからなのですが、空襲で壊滅した姫路の復興として50mの道路を作ったのもこの市長らしい。姫路競馬場も姫路城の昭和の大修理(昭和39年)も、もちろん姫路大博覧会もこの市長に関連する事柄だそうです。結局、このモノレールの営業的失敗もあり、市長としては失脚するのですが、その37年後に息子である石見利勝氏が姫路市長になる。

 この息子さん市長の時代に姫路城の平成の修理(私も2011年に見学していました)が行われ、JR姫路駅が高架駅になって、駅から大手前道路と姫路城を臨む展望デッキを作ったというのですから、不思議な話です。親子でペアとなる事業があるのですからね。ウィキペディアの情報をもとに書きますが、お父さん市長が作った書写山ロープウェイ(小学校の遠足以来、何度か乗りました)が神姫バスの運航受託になったのも、姫路市営バスが幕を閉じたのも息子さん市長の御代。昭和の復興期から平成の終わりまで、石見さんという親子市長を取り巻く時代の変化を思うことです。

 そのお父さんのほう、石見元秀市長の像が手柄山にあります。手柄山中央公園を整備したのも彼だからです。ドラマになりそうな話ですね。


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