朝、劣勢を書いたら夜には崩壊していました。
2024.04.26
アウディーイウカ北側の防衛ラインが崩壊、ソロヴィオーヴェにロシア国旗が登場
https://grandfleet.info/war-situation-in-ukraine/defense-line-north-of-audiiuka-collapses-russian-flag-appears-in-soloviove/
戦況略図を見るとノボバフムテイフカNovobakhmutivkaとソロヴィオーヴェSolovioveを制圧したロシア軍は、更に南に支配地を広げつつありベルデイチBerdychiの背後に回り込む動きを見せています。
そのまま南下して、ベルデイチBerdychiやセメニフカSemenivkaのウクライナ軍を攻撃するようです。
ウクライナ軍にしてみると東のロシア軍と戦うだけで手が一杯だと思います。北からも攻められては、撤退するしかないと思います。
アウデイーイウカ方面のロシア軍の支配地に近いウクライナ軍には、撤退時期の判断を現地指揮官に委譲しているのかもしれません。現地指揮官が無理だと判断した段階で撤退する方式です。
そう考えないと理解しがたいウクライナ軍の撤退ぶりです。敗走と言うには、部隊単位で秩序だった撤退をしているようなので戦術的撤退と見るべきだろうと思います。
アウデイーイウカ市街西側は、湖の東側は放棄したと言うことだろうと思います。地図で見てもかなり広い面積です。
そしてロシア軍は、オチェレティネOcheretyneの北東方向のウクライナ軍の拠点のアルハンヘルヅケArkhanhel's'keまで進撃して市街地を攻撃中のようです。距離にすると2~3キロ進出しました。進撃の速さからするとこの間、ウクライナ軍は交戦していません。
更にオチェレティネOcheretyneの東のノボカリノベNovokalynoveでも市街地を南から北に攻撃中で少し前進したようです。
ウクライナ軍参謀本部は、アウデイーイウカ戦線で西側と北側のかなり広い地域からの戦術的撤退を決めたのであろうと思います。
そうしないと各個撃破で順番に潰されると思います。
チャシブ・ヤールChasiv Yar攻撃は陽動作戦で、本命はアウデイーイウカ戦線であったのかもしれません。
東部戦線で最もウクライナ軍の防御が弱いのが、今分かってみるとアウデイーイウカ戦線です。
強力な要塞であったアウデイーイウカ市街が陥落してしまうと、ウクライナ軍はその西と北に軍事拠点がほとんどありません。
だから最初からアウデイーイウカ戦線で西と北に進撃するのが、ロシア軍の作戦であったような気がします。
アウデイーイウカ市街攻略でロシア軍にはかなりの損害と消耗がありましたから、市街陥落後は小休止して部隊の休養と補給をしていたのかもしれません。
地面も固まりつつあり、「ボチボチ行こか❓」と言うことのようです。
ロシア軍も結構、芸が細かいです。
4万人程度の部隊をアウデイーイウカ市街からマリンカの南に移動したり、チャシブ・ヤールChasiv Yarに大攻勢をかけるように思わせたり(いずれは攻めると思います)、ハルキウ方面ではベルゴロド州付近で怪しげな動きをしたりと色々やっています。
結局、動き始めたのはアウデイーイウカ戦線でした。
ロシア軍にここから攻められると軍事拠点の少ないウクライナ軍は、どこで防衛するのか私には分かりません。
西の方角だとポクロウシクPokrovskまで行かないと防衛は難しいように思います。ここは州境から20km位東の位置にあります。
北の方角を見ると、コンスタンチノフカ:Костянтинівкаくらいしか軍事拠点らしき地点が見当たりません。
地図上でアウデイーイウカとポクロウシクPokrovskとコンスタンチノフカ:Костянтинівкаを線で結ぶと三角形が出来ます。結構、広い面積です。
あるいは、これがロシア軍の2024年前半の目標かもしれません。
※関連記事目次
「中立の視点で見るウクライナ紛争」の目次④
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/e/e2c67e9b59ec09731a1b86a632f91b27